第6話 柏手とチェーンソー
おっさんたちに背を向けて、俺たちは山の中に踏み込んだ。もうこんな夜中に道の無い山に入るとか冗談じゃねえ。でも、チェーンソー軍団に突っ込む勇気はもっとない。
道の無い山は険しく、木のせいで視界も悪い。革靴はすべるし、土で汚れるし、藪にスーツはひっかけるし、最悪だった。うう、寝袋と機材が重い。役に立たない。
両手を地面や木についてなんとか山を登り、進みながら俺は怒鳴った。
「鈴木、警察に通報しろ!」
「今それどころじゃないです!」
体力馬鹿な鈴木でも、さすがに道のない山、しかも月明かりしかない中を突き進むのは厳しいようだった。
「これ、危険手当対象の仕事だったか」
「いいえ。中途採用者は、三ヶ月間は危険手当対象の仕事割り振らない規定になってるはずなので」
「三ヶ月って。短くないか」
「宮田さんみたいに、完全異業種から来る未経験者って珍しいですからね。別の仕事をしていた人でも、子供の頃から何かと体験してたり経験を積んできてる人が多いので」
神社の子だったりとかか。
ああもう嘘だろ。チェーンソーのおっさん軍団に追いかけられるとか、スプラッタ映画みたいな目にあって、危険手当つかねーとか!
必死に土を掻くようにして進んでいく。
這いつくばるようにして山の中を進んでいると、異様な光景に出くわした。突然視界が開けて、月の光が辺りを照らす。
木がぽっかり無くなっている。神社の境内のように、きれいに整えられた広場では無く。切り株がいっぱい並んでいた。
青年は切り株の間を走り抜けながら、吐き捨てるように言った。
「あいつら、材木泥棒なんだ。何日か前から出入りしてたらしい。素早く木を切ってさっといなくなる」
ヘルメットにヘッドライトにチェーンソー。もう見た目からそんな感じだったが。
しかし夜中に皎々と明かりをつけて、チェーンソーの爆音を鳴らして、木を伐って。隠れるつもりなんか全然ねぇ。近隣住民で騒ぎになるのも分かっているはずだ。効率を重視して、短時間、短期間で採れるだけ採って、逃げていくのか。
「盗伐は捜査が難しいし、警察もそこまで人手をさいてくれない。だからああいう奴らがのさばって、無計画に木を伐っていってしまうんだ」
「詳しいな」
「通報しようと思って色々調べたんだよ」
話しながら山道を進んでいると、息が上がる。もう無理。俺は肩で息をしながら、切り株の群れを通り過ぎたあたりで、足を止めた。膝に手をついて、崩れ落ちそうになるのをこらえる。
「宮田さん、止まったらいけませんよ!」
鈴木が怒鳴る。声が山に響く。逃げてんのに、居場所教えるようなことするなよ。――いや、待て。
息を整えて、ちょっと気持ちが落ち着いてくると、エンジン音が遠いことに気づいた。
「追いかけてこないな」
言いながら俺は、ふう、と大きく息をついた。
「あいつら俺たち殺すのあきらめて、逃げたかな」
殺すなんてやっぱ、ただの脅しだったか。やだなあそうだよなあ。
ホッとしたのも束の間、青年は、月明かりでもともと青く見えていた顔をさらに真っ青にした。
「戻らないと!」
少しの迷いも見せずに、くるりと背を向けて、元来た道を走り出した。
「いや、ちょっと待て!」
俺はとっさに青年を追いかけようとしたが、足が思うように動かなくてよろけた。ほとんど青年の腕にすがりつくようになってしまった。
「離してくれ!」
青年は俺の手を振り払う。
「ユヅキをおいていけない。こっちに引きつけられるかと思ったのに、あいつら今日で仕上げをして逃げる気だ」
「なんのことだ」
「この辺りで一番立派な木はユヅキだ! 仕上げにユヅキを伐っていくつもりなんだ! あいつら最初からユヅキを狙ってたんだってユヅキが言ってた。よく見に来るって。でも神社の人も来るし、神木が切られてたら騒動になるから、最初には伐らなかったんだ」
このあたりで一番太く立派な古木。一枚板でテーブルも作れるだろう。今時あんな木は滅多に無い。
高く売れるはずだ。
「お前、死ぬ気か」
殺すなんて、脅しだろう。だがもしかしたら、脅しじゃないかもしれない。木霊の言っていたように、居直り強盗になって、本当に殺そうとしてくるかも知れない。
「でも逃げたらユヅキを殺される!」
青年は霧の方へ駆け戻っていった。あの、しめ縄の大木のところへ。
「もおー、宮田さん、運動した方がいいですよ!」
鈴木は、すぐに身を翻して、青年を追っていく。
霧は長くもたなかった。神社は元通りに、すっかり月明かりの元に照らされている。おっさんたちは、エンジン音をドゥルンドゥルン響かせながら、注連縄された巨木を取り囲んでいた。そして木霊は、自分の木の前に立っていた。最初に現れたときと同じように、静かなたたずまいで。チェーンソーを持ったおっさんと対峙していた。
「ユヅキ!」
青年は、おっさんたちを突き飛ばし、かきわけるようにして、注連縄の大木の元へ駆けつけた。
「お前、よく戻ってきたな!」
リーダー格のおっさんが叫ぶ。青年を見て、続いて駆けつけてきた鈴木を見て、まだ木につかまりながら、おっかなびっくり山をおりている俺を見た。
「妙なことしやがって!」
さっきまでの間延びした感じじゃない。完全に殺意むき出しだった。うなりをあげるチェーンソーを掲げた。
マジか、脅しじゃねーのか。マジか。
おっさんたちを無視して、木の精は穏やかに言う。
「直紀、お前まで命を危険にさらすことはないのに」
「ユヅキを見殺しにするくらいなら、俺も一緒に死ぬ!」
青年は女を後ろにかばい、両手を広げる。おっさんたちの前に立ちはだかった。
「メロドラマはそこまでにしてください!」
何故か憤慨した声で、鈴木が叫んだ。
大きく息を吐く。それから、柏手を打った。パアンと、小気味のいい音が、木々の間に木霊した。
パアン、パアン、と、山のあちらこちらで破裂音のように響き渡る。右で左で、手前で、遠くで。音は止むことなく、どんどん増えていく。
鈴木の仕業か。ヘロヘロになりながら、俺はやっと鈴木のところまでたどり着いた。だが、鈴木も驚いた顔をしている。
「お前たちが無残に切り倒した木たちの恨み」
着物の女が、すう、と前に進み出る。
訳の分かっていないおっさんたちはビビって、あたりを見まわした。鼓膜をたたくような音に加えて、ドゥルン、ドゥルンとチェーンソーのエンジン音も、あちらこちらで響き始めた。音は大きくなり、増えていく。木霊して四方八方から響き渡る。音の波がおっさんたちを取り囲んだ。
「思い知るがよい」
音の波がおっさんたちに襲いかかる。ざわざわと木が揺れる、木の葉ずれの音が、そこに覆い被さってくる。ミシミシと木が揺れる音、大木が倒れるような音。
「う、う、うわあああ~~~~!!!
一人が悲鳴を上げた。チェーンソーを取り落とし、頭を抱える。
「耳が、頭が……! やめろー!」
チェーンソーはうなりを上げて地面を暴れて止まった。あぶねえ。
「もう、頭を冷やしてください!」
また、柏手が鳴り響いた。
おっさんたちの頭の上に、水の塊が出現する。
たらいの水をひっくり返したような大水を、おっさんたちは頭からかぶる羽目になった。
ポタポタとヘルメットから水をしたたらせながら、おっさんたちは座り込んでいる。小さい子供みたいに。みんないつの間にかチェーンソーを取り落とし、エンジン音は消えていた。
聞こえてくるのは、パトカーのサイレンの音。
おっさんたちは、ハッとして立ち上がろうとした。
「そのまま、じっとしてください!」
鈴木は、すばやくチェーンソーを拾い上げて、おっさんたちを脅した。
「やめろ、あぶねーだろーが」
怖いから。まじで怖いから。
人の声が、石段を上がってくるのが聞こえる。
通報する暇なんてなかったから、ご近所さんか、依頼人の誰かかもしれない。あれだけ叫び声やら尋常じゃ無い物音がしたのだから、当然だろう。
木霊は、青年の頬を撫でると、すう、と姿を消した。青年は名残惜しそうに、注連縄の木を振り返る。
「何をやってるんだ!」
懐中電灯を持った警察官が二人駆け上がってきた。ぜえぜえと肩で息をしているものの、声の迫力がすごい。
そして鈴木を照らして、一気に険しい顔になった。
おっさんたちは何故かびしょ濡れでへたり込み、鈴木はチェーンソーでおっさんたちを脅しており、男二人が立ち尽くしている。この状況。
「君! 離しなさい!」
ほらあ、ほらあ。
鈴木は不満たらたらの顔でチェーンソーを置いた。警察官が、何をやっていたんだ、と叱責しながら歩いてくる。俺はあわてて、鈴木のところに行った。
「お手数おかけしてすみません、これわたしの部下でして」
「部下じゃありません、わたしの方が先輩です!」
「うるせえ、黙っとけ! あ、あの、わたしはこういう者で」
またあの胡散臭い名刺を出す羽目になった。それから、社員証。これがあると、警察に話が通りやすいと部長が言っていた。
うちの会社は怪しいが、俺が最初に関わった事件が警察からの口利きでもあったように、そこそこ警察ともつながりを持っているらしい。
「あー……あんたたちか」
警察官は名刺をしまうと、社員証は返してくれた。胡散臭そうな目で俺と鈴木を見る。もう一人はどこかへ連絡している。応援を呼んでいるのか。
「とにかく、事情は署で聞くから。全員一緒に来なさい」
最悪だ。
おっさんたちは、私有地での窃盗容疑で逮捕された。ついでに言えば、殺人容疑の現行犯だ。俺たちと青年は別に悪さをしていたわけではないので、証人として色々聞かれただけですんだ。夜中にああいうところうろついたら危ないでしょ、と怒られはしたが。俺たちは仕事だから仕方がない。
寝袋の出番は無かったが、また夜遅くまで捕まる羽目になり、次の日は昼から出社した。徹夜で見遣りの予定だったから、当初の予定から変わりは無いのだが。
「これ、危険手当ってどうなってるんですか」
ガメツイと言われようとなんだろうと、解せぬことは金にでも換算してもらわねば、飲み下せねえ。
「これねえ」
部長はメガネを押し上げて、口をへの字にした。
「もともとは、カメラ設置して、一晩見張って、あとはカメラ越しにってことだったよね」
報告書をさらりと見てから、顔を上げる。
「自分たちの行動で危険を招いてしまったんだったら、危険手当の対象にはならないなあ。依頼人にも請求しにくいしねえ」
うう。言い訳できない。
「でも、チェーンソーの集団に出くわしたんですよ」
「怖かったよねえ。でも隠れてたら出くわさなかったんじゃ無いかなあ」
「俺たちがいなかったら、あの青年は木をかばって殺されてたかも」
「今回の依頼とは関係ないしねえ」
にっこりと笑って、部長は言った。
ひどい――ようだが、確かに依頼人に請求はできない。するとしたら青年にだが、俺たちのせいで騒ぎが大きくなったと憤慨してた奴が、そんなもん払うか。
「まあ、うまくいかないこともあるよ。また次、がんばろう!」
「……はあ」
俺は力なく返事するしか無かった。
――うう、がんばりたくない。
鈴木とコンビ組んでる限り、また空回りする予感しかしない。
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