第4話 人間と人外
木霊は、鈴木から受け取った名刺をじっと見ている。
「すずき、みれい」
薄い唇を開いて、たどたどしく読み上げた。字が読めるのか。ちょっと意外だ。
鈴木は俺に向かってわめくのをやめて、女を見た。
木霊は名刺から顔を上げ、鈴木をじい、と見る。
「龍神≪たつかみ≫の社≪やしろ≫の子か」
鈴木は姿勢を正して、木霊に向き直る。
「ご存知ですか」
「お前の声はうるさくてよく聞こえてくる」
鈴木の声がどれだけデカいからって、さすがにこんなところまで実際に聞こえてくるとは思えない。この木霊の耳が良すぎるのか、別の霊的な要因なんだろうが。
なんか笑える。
「龍神に授かった力、無にするでないぞ」
鈴木は唇を引き結んだ。表情を引き締めたような、不機嫌になったような、よく分からない表情だ。ただ、珍しく真面目な顔だ。木霊はそんな鈴木のことなどお構いなしに、再び名刺に目線を落とした。
「不穏な物音に、悩まされていませんか」
ゆっくりと読み上げる。恥ずかしいキャッチコピーを。
それから、ぱちぱちと瞬きをして、顔を上げた。
「悩まされておるぞ」
どういうことかと問い返す間は無かった。
光が石段を上がってくる。しまった、騒いでいる場合じゃない。ここに来た理由を思い出して、俺は慌てて鈴木を引っ張る。
「おい隠れるぞ」
「なんでですか!」
鈴木はすごい勢いで俺の手を振り払う。そこまでしなくてもいいだろうが。
「デカい声を出すな。ここに来た理由忘れたのか」
「夜遅くこの神社で騒いでる不届き者を捕まえることです!」
いやだから、捕まえる必要はねーんだって。それ以前に、いま騒いでるのお前だからな。
「ここに出入りしてる不審者が何者かを突き止めて、できれば証拠を掴んで、警察に突き出せばいいんだよ。いちいち事をデカくしようとするな」
まだカメラを設置してないのはマズかった。鈴木が掃除するとか言い出すから。待ってる間に設置すれば良かったのかも知れないが、木霊とか出てくるし。暗いの怖いし。
「お前たち、何やってるんだ!」
怒鳴り声にそっちを見ると、光に目を射られてチカチカした。何なんだよ。目を細めながら手をかざしてなんとか見ると、ライトを携えた若者が一人、鳥居の下で仁王立ちしていた。さっきまで鈴木が立っていた辺りだ。
「ユヅキから離れろ!」
青年の手には、懐中電灯とコンビニのビニール袋が握られている。お菓子とか飲み物とかが入ってるのが見える。あのゴミこいつのか。
「直紀≪なおき≫!」
木霊が声を上げる。今までと違って、どこか切羽詰まった声だ。俺たちが唖然としている間に、青年は懐中電灯とビニール袋を放り出して、木霊の元へ駆けつけた。鈴木をつきとばさんばかりの勢いで。
「ユヅキ!」
二人は、ひしと抱き合った。
「もっと遅くに来ると思って油断してた。ごめん。危ないところだったな」
「良いのだ、直紀。この者たちは……」
木霊が言いさしたのにかぶせるようにして、青年はこちらを振り返り、叫んだ。
「お前ら、ユヅキを殺すなんて許さないからな!」
全然話しについて行けない。
しかも何か分からないが誤解されてる。
「いや、殺すなんて人聞きの悪い」
「お前たちのやってることは、殺人だぞ!」
いやもうここでも冤罪なのか。
なんか訳が分からないが、青年が俺たちを呪い殺しそうな目で睨んでいるので、俺は仕方なしに名刺を出すことにした。
「俺たちはこういう者で」
俺が懐に手を入れたとき、青年はビクっとして身構えたが、四角い名刺入れを取り出すと、ちょっとホッとしたように肩の力を抜いた。俺は青年を落ち着けるためにも、腰を低くして、両手で丁寧に名刺をさしだす。
「宮田と言います」
「あ、これはどうも」
青年は思わずのように、両手を出して受け取った。
「調査会社……。何を調査しに来たんだ。ここの木の価値とかか」
「……いや? ここちゃんと読めよ。『不審な物音に悩まされていませんか』って。夜になると、このあたりで物音と光が見えるって、地元の人が不審がってんだよ。騒いでるのはあんただろう」
青年は眉をしかめた。
「騒いでたのはお前だろう。……光は俺かも知れないが、騒いだりしてない。いつもユヅキに会いに来てるだけだから」
会いに来てるって。さっきの感動の再会といい、木霊をかばうようにしているのと言い、俺だって察しはつくけども、だ。
「え、これ、どうやって知り合ってそういう関係になるんだ」
「学生の時にトレーニングにあの階段昇ってたら、いつの間にかユヅキが見守ってくれるようになって」
甘酸っぱい。甘酸っぱいぞ。
青年は二十代も半ばに見える。こいつの言うことが本当なら、かなり長い付き合いのようだったが。
「お前……これが人間じゃないって分かってるのか」
「これって失礼な奴だな。分かってるよ」
男は俺に向き直り、力説した。
「でもそんなこと関係ないだろ。世の中の恋愛には年の差も性別も関係ないんだから、人間とか人間じゃ無いとか関係ないだろ」
いや……よく分からんが。確かに世の中の恋愛に年の差も性別も関係ないとしても、人間かどうかは気にした方がいい気はするんだが。それにしても、ものすごい年上のカノジョだな。樹齢何百年か知らないが。
「まあ、そこは俺がとやかく言うところじゃねーけど。あんたのこと知らないし」
「邪魔しないでくれるんならありがたいけど薄情だなあんた」
うるせー知らない奴にかまってる場合じゃねーし、仕事中だ。俺が青年に質問しようとした横から、鈴木が割り込んできた。
「ゴミ散らかしたのはあなたですか!?」
偉そうにふんぞりかえって憤慨している。
「確かにこのゴミは俺のだけど、ちゃんと片付けて帰るつもりだったよ。ユヅキのいるところ散らかしたままにしたりしない。当然だろ。ちょっと買い出しに行ってる間にあんたたちが来たんじゃないか」
「境内で食べ散らかすなんて、許せません! その都度、片付けてください!」
こまかいなー。
「その木の人が気にしないんだったらいいんじゃねーのか」
「木の人って」
青年は俺の言い方がやっぱり気に入らないらしい。
いや、じゃあなんて呼べばいいんだよ。あの木の人。だいたいそんなことはどうでもいい。
「騒いでるのがあんたじゃなければ、なんなんだ。さっき、その木の人を殺すのがどうとかどうとか言ってたが」
「だから、他の奴だ。ユヅキを殺そうとする奴がいるんだ。俺は、ユヅキを守るためにここで見張りをしようと……」
青年が言いさしたところだった。
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