第3話 鬼か蛇か
階段を百段ほど昇った先に、鳥居がある。鈴木は鳥居の前で頭をさげると、境内に入っていった。
鈴木からはだいぶ遅れてやっと石段の上に到着した俺は、鳥居の下で息を整えてから、辺りを見まわした。境内は木の枝や葉っぱが散らかっていることも無く掃除されているようだが、建物は古くて今にも壊れそうだ。
普段人の居ない、廃墟のようになった神社で、夜中に光がうろつき、物音がするという。街灯も無い場所だし、地元民は夜中に近づいたりしないから、実際に何があるのか見にいった者はいないそうだが。
依頼人たちは、まずこの神社を管理しているところに確認をしたようだったが、心当たりが無いといわれたらしい。通報もしたが、警察がやってきたときは何もいなかったそうだ。たまにパトロールには来てくれるものの、警察だって暇じゃないし、実害も無いのでしょっちゅう見張ってはいられない。というわけで、また「不穏な物音に悩まされていませんか!? お気軽にご相談ください!」なうちの会社に依頼が来たというわけだ。
どう考えてもホームレスか、近所の若者がたむろしているんだろうが。
「こういう神社って、管理どうなってんだ。古い割にはけっこうきれいだけど」
「継ぐ人間がいなくなって放置されているか、氏子が年をとって管理に手がまわらなくなったか。あとは近くの神社の神主が兼務していると思います。ここは手入れされていますから、兼務の神主が手入れに通っているはずです」
それならやっぱり、鈴木を着替えさせてきて正解だったのか。依頼人に、神社の人が来たと勘違いされるのは面倒だ。
「通うって、あの階段をか」
「珍しくないですよ。うちだって奥社はあのくらい昇ります」
道理で。普段から体力ありまってやがると思ってたが、基礎が違うのか。
今日はひとまずWEBカメラを設置し、俺たちも見張る。夜間は赤外線で撮影もできるから、暗くても問題ない。今日何も起きなければ、あとは車からカメラを見張っていればいい。録画は証拠にもなるし。この程度なら普通の調査会社でも十分なんだろうが、神社で不審な物音というのが、近隣住民をためらわせたのだろう。
ホームレスにしたって若者のたまり場にしたって、近所の人にすれば治安的に不安だろうから、とりあえず原因は突き止めないといけない。
突き止めて報告したあとどうするかは、俺たちの仕事とは別。場合によっては通報すればいいし。
今回は近隣住民からだが、神主自身から依頼があってもいい案件だ。通いとは言え管理をしている神主がいるのなら、敷地を荒らす者がいるかもしれないと知れば、何らかの手をうつものじゃないのか。
ふと疑問が浮かんだ。
「神主がうちみたいな会社に依頼してくることもあるのか?」
「うちの兄みたいに、神社内のことは自分たちでって考えの人ばかりじゃ無いですからね。人手不足で、こういう神社での問題ごととか、対処しきれない呪いの人形を祓うのとか、依頼されることはありますよ。面倒ごとはよそにやってもらったほうがいいですから」
鈴木は、境内のあちこちを確認するように、うろうろしている。突然、「あっ」とデカい声を出した。
「どうした!?」
鈴木の姿は、社殿に隠れて見えない。
慌てて駆けつけると、鈴木は社殿の横で、わなわなと震えていた。
その目の前の地面に、お菓子の袋や空のペットボトルなんかの食い散らかしたゴミが散らばっている。
「境内でこんなことするなんて! 許せません!」
「あー、やっぱり、誰かが住み着いてるだけみたいだなー」
「その現場を取り押さえるのが仕事です」
いや、現場を取り押さえる必要は無いんだが。見つけたら通報でいいんだが。
「とっちめないと!」
「やめろ」
めんどくさい。
「車に掃除道具ありましたよね!?」
「まさかお前掃除するつもりじゃねーよな」
「当たり前です!」
「いやまあ、掃除はいいけど、またあれ昇るつもりか?」
「当たり前じゃ無いですか。どうやって来るんですか。宮田さん飛べましたっけ?」
鈴木は真顔で変なことを言った。普通なら冗談なんだろうが、こいつの――というか、この会社の常識では、本当に空を飛ぶ奴だっているんだろう。ああうらやましい。飛べたらさっきみたいにヒイヒイいいながら昇ってこねーよ。
「俺いかねーからな。絶対嫌だからな。俺スウェットじゃねーし。動けないし」
「もっと運動した方がいいと思いますよ」
鈴木のくせに正論を言い放ち、鳥居をくぐって、また社殿に向けて頭を下げてから、駆け下りていった。
騒がしいやつがいなくなった途端、あたりはシンと静まりかえった。日はもうすっかり落ちている。木が途切れた境内の上だけぽっかりと空が見えて、月の光がさしこんでいる。山の中は鬱蒼として、風に揺れる木の葉鳴りの音が、ざわざわと俺をとりかこむ。
俺は暗い山の中の、人の居ない古い神社の境内で、ぽつん、と立ち尽くしていた。
しまった。
これ怖い。
ぞわぞわと悪寒が背中を這い上がった。心なしか風も冷たく、身震いする。落ち着かない。
――タバコ吸っていいかなー。
さすがに境内の真ん中に突っ立ってタバコを吸うのは気が引ける。俺は古ぼけた賽銭箱や、色あせたぼろぼろの鈴緒を避け、神社の建物を避けて、境内の隅っこに立った。狭いからあんまり変わらないけど。
太い木の前に立って懐に手を入れたところで、人影に気がつく。
「鈴木、お前早すぎねえ?」
ここでタバコ吸ってるのが見つかると絶対にうるさいので、断念した。賽銭箱の前に立っている鈴木に歩み寄る。
――あれ?
小柄な鈴木とは違う。すらっとした人影だった。スウェットじゃない。白っぽい着物が浮き上がるようだ。
ビクッとした。思わず固まった。
夜目にもわかるほど、きれいな女が立っていた。参拝客だ。そうだ。びっくりした。
いつの間に来たんだろうか。気づかなかった。物音すらしなかった。
俺は知らず止めていた息を吐いた。そっと大きく息を吸って自分を落ち着けながら、鳥居の方を見る。参道には街灯もなく、鳥居から下へ続く石段の先は暗くて見えない。周りの木の鬱蒼とした気配が、恐ろしさを増している。
あの足場の悪い石段を、明かりも無く、よくあの着物で昇ってきたな。と思うが。やっぱり違和感がすごい。すう、と静かに立っている女は、息も切れてない。
まさか、この人が、ここに住み着いてる奴か?
見る限り、着物は汚れてもいない。夜目で分からないだけかも知れないが。こんなところに寝泊まりするようには思えないような、すらりとしたたたずまいをしている。だがもし女一人でそんなことしてるんだとしたら、危険極まりない。勝手に侵入しているのを咎めるのとは別に、やめさせるべきだろう。
「あのー」
声をかけると、思いのほか響いた。女はゆらりとこっちを見る。ゆっくりと唇を動かした。
「あのー」
無表情で返してくる。
思わずビクリと指先が動いた。
なんかおかしい。まわりの木々が、ざわざわ揺れて音を立てる。なんかおかしい。いま風ふいたか?
――まさか。
まさか、これ。幽霊か。また。何で見えてんだ。もうヤバイ状態なのかこれ。
「あははははは」
思わず笑ってごまかそうとした。鈴木、早く帰ってこい!
「あははははは」
女の方から笑い声が返ってきた。
――ゾッとした。
汗がいっきに引いた。
「うわああああああーーーーー!」
思わず叫びながら後ずさった。「うわああああああーーーーー!」と叫びながら女が近づいてくる。なんだこれほんとなんだこれ!
俺は懐に手を入れる。タバコ、火をつけておくべきだった。
「宮田さん! うるさいですよ! なに騒いでるんですか!」
石段の方から声が聞こえた。鈴木が駆け上ってくる。
いや俺の悲鳴を聞いてそれかお前、どう考えても遊びで叫んでる声じゃねーだろっていうか、いい年した大人が一人で叫んで遊んだりしねーから! 何かあったかとか、ちょっとは心配しろよ!
鳥居の下にたどり着いて、鈴木は女を見た。仁王立ちで、片手にゴミ袋かわりのコンビニのビニール袋、反対の手に小さいホウキとちりとりを持っている。その鈴木に向かって女は無表情で「うるさいですよ! なに騒いでるんですか!」とデカい声を出した。
――いや、うん、それは正しい。言ってやれ。気味が悪くてそれどころじゃないが、なんかおかしかった。
鈴木は眉をしかめる。
「あなたは誰ですか?」
「あなたは誰ですか?」
女は変わらず無表情で同じ言葉を返した。鈴木は目をすがめて女をじろじろ見る。
「ここで何をしているんですか?」
「ここで何をしているんですか?」
埒があかない。
どっちの立場からしても、言ってることは間違ってはいない。だがそっくりそのまま言い返してくるのは、どう考えても挑発行為だ。ビビらされたのもあって、なんか鈴木の登場に少しばかり気がぬけたのもあって、俺はイラだってきた。
当の鈴木もそうなのか、口を右に歪め、左に歪めた。そして爆発するかと思いきや、鈴木は肩から力を抜いた。
「……木霊(こだま)?」
「やっほーっていうと、やっほーって返してくるやつか?」
俺は女の方を見ながら鈴木に問う。女はこっちを見て、無表情で「やっほ-」と言った。やめろ、気味悪いから。
「それです。山の反響じゃ無くて、木霊が返してることもあると言われてます」
「アニメで首クルクル回してた白い小さいやつとは違うのか?」
「そうですがそうじゃないです。あれは、宮崎さんの想像の産物です」
知り合いみたいに言うな。
「昔の百鬼夜行の絵には、おじいさんとおばあさんの絵で描かれたりしてるんです。古木に宿った精です」
「この人ばあさんには見ねーけど」
「たまたま絵を描いた人がみたのが老人だっただけですよ!」
しかしこれは要するにつまり、妖怪ってやつじゃ無いのか? はじめて見た! はじめて見た……んだが。この木霊は、見た目はまるきり人間にしか見えないから、あんま怖くない。いや登場の仕方は怖かったけど。
鈴木が何かわめいているのを無視して、俺は女の方をみる。タバコの煙を爆発させて、メン・イン・ブラックみたいなスカウトマンが迎えに来てから、幽霊を見たり、妖怪を見たり、どうなってんだと思う。変な会社だってのは分かってたが。
じいと黙って俺たちのやりとりを見ていた女は、唐突に言った。
「我は、あの神木の精だ」
驚いてビクリと肩が震える。
なんだよ。まともにしゃべれるんじゃねーか。びびらせやがってふざけんなよ。
女が指さす先、境内の端に、巨木があった。しめ縄が渡された木は、大人が3,4人手を渡さないと囲めない位に大きい。
鈴木は黙って木を見上げる。それから女の前につかつかつ歩いて行くと、スッと頭を下げた。
さすがにここは神職、カミサマとか精霊の扱いを心得てるはずだ。珍しく頼りになる。
と思っていたら、鈴木はスウェットのズボンのポケットに手を入れる。名刺入れを取り出した。
「わたし、こういう者です」
――なんで木の霊に会社の名刺出すんだよ。
ほんとわけわかんねえ。
「お前やっぱ袴で来た方が良かったんじゃねーのか」
「家の仕事するときにしか着ないって言ってるじゃないですか!」
いやもう、そういうことじゃねーよ。
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