第2話 常識と教養と実用性

 鈴木の実家は町からかなり離れている。砂利の敷かれた駐車場に車を停めて、しばらく歩く羽目になった。緑の生い茂る山の中、俺は赤い鳥居をくぐった。

 鳥居の向こうには、一面に黄色い花が咲いている。

 山吹まつりというお祭りらしい。由緒とかとは違うから、イベントごとの手伝いって感じだろうか。

 石畳の参道を歩く。脇に生えている木にも黄色い花がたくさん咲いている。

 どこにいったらいいのか。社務所とやらか。とりあえず手を洗うか。右で柄杓を持つんだったか左だったか。初詣にしか神社に来ない俺は、とりあえず手水舎で説明書きを見ながら手を洗った。

 そこに、なんか聞き覚えのある声が聞こえてきた。きょろきょろ見まわすと、花の向こう、境内に続く鳥居の近くに、茶色の髪を後ろに束ねた女性がいた。白い着物に、薄い水色の袴。外国人観光客らしきグループに、境内の説明をしているようだった。神社の人だろうか。

 話が終わったら鈴木の居場所を聞いてみるか――って、あれは鈴木だ。

 バーイ、と集団が手を振って社殿の方へ去ったのを見送ってから、声をかける。

「おい、鈴木」

 髪を揺らしていぶかしげに振り返る。鈴木は俺を見て、目を見開いた。

 着物を着ていると、おしとやかに見える。もともと姿勢も良く立ち居振る舞いは悪くないから、余計だ。鈴木のくせに。なんか調子が狂う。と思ったら、いつもと変わらずガツガツ歩いてこっちに来た。

「やたら疲れた雰囲気のサラリーマンがいると思ったら、宮田さんですか」

 余計な言葉が多いわ。

「部長にお前を拾って行けって言われたからな」

「思ったより人が来てくださったので、なかなか離れられなくて、すみませんでした」

 鈴木の言うとおり、平日だというのに人が多い。ツアーバスも外にあった。

「ああ、山吹まつりとか言うのか。山吹すごいな」

 正直、山吹色、という名前でしか知らない。色鉛筆の中にあった濃い黄色。花自体を認識したのは、はじめてだった。

「毎年見てたのでそんなに気にしたことなかったんですが、そうみたいですね。最近はフォトジェニックだとかで、こういうお祭りも人気みたいで。SNSにアップされた写真で、少し口コミもあったみたいです」

「なんで山吹なんだ」

「山吹は黄泉の国に通じますからね。うちは水に絡む由緒があるんですが、水も黄泉に通じるので」

「へー」

 よくわからんが。生返事の俺の態度など無視して、鈴木は不快な顔で鼻をつまんだ。

「宮田さん、なんか、犬のウンコくさいんですけど」

「はあ?」

 俺は思わず靴の裏を見る。いや、土だらけでわかんねーけど、犬の糞とか踏んでないし。踏んでたらお前んちの敷地内だけどな!

「しゃべらないでください」

「あー? お前ほんと失礼な奴……あ――――電子タバコのせいか」

 タバコの煙ほど重い臭いじゃないし残らないが、別の独特の臭いがする。

「迎えに来てやったのに、しつれーなやつだな」

 鈴木はしかめっつらをしてから、鼻をつまむのをやめた。

 それはともかくだ。俺は鈴木の格好を見る。鈴木は不審者を見る目で俺を見た。いや、嫌らしい目とかで見てねーから。

「赤い袴じゃないのか」

「わたしは巫女じゃありません。権禰宜です! 人の話聞いてないんですか?」

「違いなんかわかんねーし。権禰宜が何かもわかんねーし。女の人で神社って言ったら巫女さんじゃないのか」

「偏見です! 女性の神職も少なくありませんよ。このくらい業界の常識です。勉強してください」

 ふん、と偉そうに鼻を鳴らして鈴木は言った。

「お前は生まれたときからこっちの業界だろうけど、俺は違うんだよ。じゃーお前、仏教の流派の違いとか、特徴とかわかんのかよ」

「当たり前です。一般常識ですよ」

 鈴木は思い切り、俺を見下した顔で見上げてきた。難しいことするなお前。

 お葬式や法事の時に、慌ててインターネットで作法を検索する俺からすれば、常識ではない。教養かもしれないが。

「あーもう、宮田さんと組んでたらわたしの出世が遠ざかります!」

「失礼な奴だな、お前。先輩としてもうちょっと後輩に気を遣えよ」

「宮田さんこそ新人のくせに、偉そうにふんぞり返ってるじゃ無いですか! わたしにもっと気を遣っておいた方がいいですよ、わたしはいずれ幹部になるんですから!」

 すげー出世欲。あーいやだいやだ。暑苦しい上についでに人のこと馬鹿にして。

「もういいからさっさと仕事行くぞ。暗くなる前につかないとめんどくせーんだ。夜の山の中運転したくねーんだから」

 鈴木は、ハッとしたようだった。忘れてたのか仕事のことを。人のことを馬鹿にしておいて。

「お前ちゃんとメール見てんだろうな」

「当たり前です! 小さなことからコツコツと!」

 訳分かんねーし違う気がするけど、見てるならいい。

 鈴木は突然真顔に戻って、シャキシャキと歩き出した。なんとはなしについていくと、社務所の方へ向かうようだった。

「着替えて荷物を取ってきます」

「そのままでいいんじゃねーか。箔がつくんじゃねーの」

「会社がカルトだとかインチキだと思われると困ります!」

「お前それめちゃめちゃ語弊あるって言うか、実家のこと下げてるけど大丈夫か」

「あくまで世間の抱くイメージの話です!」

 憤慨して鈴木は言う。

 そりゃすみませんね。

「それに兄が、わたしの仕事に実家が関わるの嫌がるので」

「実家のことなんて出さねーだろ、別に。会社の仕事で行くんだから。コスプレみたいなもんだろ」

「コスプレとか言わないでください! 兄は能力者じゃないんです。そのせいか、わたしの力のこと昔から嫌ってるので」

 ……そうなのか。

 見えるのとか、変な能力とか、神社とかならわりかしすんなり受け入れられているのだと思っていた。自分でも、実家が神社だから当然みたいなこと言ってたし。

「加持祈祷は、清め祓うのが本分で、幽霊退治だとかは違うというのが兄の主張で。昔から鬼退治だとかの神話や由緒には事欠かないんですけどね。頭が固いので仕方がありませんね」

 鈴木は声を潜めもせずに、いつものでかい声で言った。

 どうも兄妹で確執があるようだ。

 実家を継ぐ予定はないのに、神職の資格をとっていて、霊能力的なものをもっている妹というのは、家を継ぐ兄からしたら目の上のたんこぶなのかもしれない。跡を継ぎたくないなら、押しつけておけばいいものかもしれないが、プライドとか色々あるのかも知れない。

 まあ何でもいいや。他人の家の事情なんて、めんどくさいことには関わりたくない。

「まあ、今回は待機も長そうだし、洋服の方がいいかもな」

 車で待っとくからな、と俺が言うと、鈴木は素早く振り返り、わかりました! と大声で応えてから、社務所の方へと消えていった。




 会社がフレックスだったりするのは、夜に事件が起きることが多いからだと今更ながらに気づいた。

 まあ、そりゃそうだよな。

 今回の依頼の場所は、鈴木の実家から山一つほど隣の、古い神社だった。依頼主は、地元住民。いつもと同じように、細かい話を聞いてから、山の中の神社へ向かう。日はもう傾いて、山の中はかなり薄暗い。街灯なんてものがあるわけもない。暗くなったら嫌だ。ほんとに嫌だ。

 山の中にまっすぐ細い道が延びていて、雨に削れた石段がずっと続く。その両脇に、石灯籠がずらっと並んでいる。石灯籠はこけをかぶっていて、湿って濃い緑色になっている。

 石段はところどころえぐれて土が覗いていて、昇るのに苦労した。ぜえはあ言う俺を尻目に、スウェット姿の鈴木が、身軽にドンドン昇っていく。

 ――いやもう、依頼人のところにもスウェットで行ったからほんと勘弁してほしい。

 袴のまま来させれば良かった。

 集まっていた依頼人のおじさんおばさんたちの不審な目と言ったら。以前の奥様たちの不審な目は、鈴木にとってはいわれの無いものだっただろうが、今回はどう考えても鈴木が悪い。

 現場直行の上、待機が長そうだからって、依頼人のところにはもうちょっとまともな格好するものじゃないのか。せめて後で着替えるもんじゃ無いか。あいつあれでよく幹部がどうとか言えるな。

 何十段も先に行った鈴木は立ち止まり、俺を振り返って仁王立ちした。

「遅いですよ!」

 薄暗い山の中に響く。

 あいつ、やっぱりバカなんだな。何しに来たか分かってんのかな。

 俺は額の汗を手の甲で拭い、ネクタイを外してポケットにつっこんだ。会社はノーネクタイだが、依頼人のところに行くからネクタイをしていたのだ。襟元から、熱がふきだすようだ。寝袋と機材が重い。

 一歩一歩踏みしめるようにして、やっとこさ鈴木のところまでたどり着いた俺に、鈴木はあわれみの顔で言った。

「動くのが分かってるんだから、身軽な格好で来ればよかったのに」

「だからって、お前、スウェットは無いだろうが。もうちょっと、なんか、あるだろうが」

 しゃべるのきつい。

「そんなこと言っていざというとき動けなかったらどうするんですか。まあ、宮田さんはいつでも動けなさそうですけど。すぐ息があがるのはタバコのせいですよ」

 うるせえ。俺がこの会社にいる意義を全否定してんの分かってんのか。

 俺は鈴木の横を通り過ぎて、ペースを落とさずに昇り続けた。止まったら動けなくなる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る