第6話 生きていないが死んでもいない

 ものすごい爆発音が響いて、水は弾け飛んだ。それでも、土砂降りの雨みたいに降り注いできたが。上から塊を落とされるよりましだ。

 やばい、通報される。トイレを爆破したときのトラウマが蘇る。いやトイレは爆破してねーけど。壁だけど。

 バクバクする心臓を落ち着けながらゼーゼー息をしていると、鈴木は眉をつりあげて、怒鳴った。

「いきなり攻撃するとかどういうつもりですか!」

「お前が言うなお前が!」

「お前って言わないでくださいって言ってるじゃないですか!」

「お前と言わずにいられるか! 俺までびしょ濡れになったろうが! なんだあの水は!」

「頭冷やした方がいいかと思って! 宮田さんのせいでわたしも濡れましたし!」

「お前のせいだろうが!」

 だいたい、幽霊に触れないのに水ぶっかけて何の意味があるんだ。

 そうだ、幽霊。思ってジャージの三十代男性を見ると、やつは呆然とした顔で俺たちを見ていた。ゆらゆらと頼りなく、薄くなっている気がする。膨れ上がっていた黒いオーラが縮んでいる。ついでに言うと、濡れてる。

 なんでだ。能力で操ってる水は霊にも効果があるって言うのか。

 俺はとりあえず、気を落ち着けようとタバコを吸った。携帯灰皿を取り出して、灰を落とす。幽霊が煙を不快そうに見る。ますます薄くなった気がする。幽霊は不機嫌そうに言った。

「それこっちに向けるなよ」

「はあ? 霊のくせに煙いとかタバコ臭いとか言うんじゃないだろうな」

 俺の言葉に、はああーとわざとらしいため息が聞こえた。鈴木は額を押さえながら言う。

「幽霊は煙に弱いという説があります。知らないんですか」

 知らねーよ。けど、いいこと聞いた。今度から怪談聞いたときはタバコふかして寝るわ。いや火事になるか。

 俺はもう一度タバコを吸い、煙を吹きながら、三十代男性に向けて言った。

「とりあえず、お前に聞きたいんだけど」

「はい」

 弱々しくなった幽霊は、ちいさく頷いた。

「なんでジャージに裸足なんなんだよ。お前、ジャージに裸足でディナー行くつもりだったのか。それが仕事着なのか? 霊って、死んだときの姿で出てくるんじゃねーのか」

 詳しく知らないが。

 百歩ゆずって、靴はひかれたときに脱げたとしてもだ。こいつが靴下をはかずに靴をはくタイプだとしてもだ。

 記念日ディナーにジャージで来たら、遅刻してなくても怒られるのではないか。それ以前に店には入れるのか。

「……あれ?」

 ジャージの三十代男性は、自分を見下ろして、ふと正気に戻ったようだった。空気の圧が少しまた軽くなる。

「そう言えばそうですね」

 鈴木は、顎に手をあてる。

「おい鈴木」

 俺はおっさんを指さした。

「このおっさんまだ死んでないんじゃないのか」

「おっさんにおっさんって言われたくない」

 ジャージの三十代男性が文句を言う。

「うるせえ」

 そこじゃねーだろ。


 そのとき、カツカツとヒールの音が住宅街に響いた。俺たちが騒いでる以外は、あたりは静かだ。足音はこっちにまっすぐ歩いて行くる。

 角を曲がって姿をあらわしたのは、妙齢の女性だった。ヒールをはいた足で、大股に歩いてくる。猛然とこっちに向かってくる。

「後藤君!」

 憤慨しきった声で、カーブミラーに向けて怒鳴った。

「ほんとにこんなとこにいるなんて、どんくさいわね!」

 ジャージの三十代男性がゆらゆらと揺れた。肩幅がやたらと小さくなって、しゅんとして頭をたれる。上目遣いに女を見る。

「祥子ちゃん、ごめん。あの、ディナー間に合わなくて」

 そこか。

 女は仁王立ちで幽霊の前に立ち止まる。

「何やってんのよバカじゃないの!? 遅刻するなって言われて慌てすぎて事故に遭うなんて、間抜けすぎるでしょ!」

 そんなとどめ刺さなくても。

「あんた、この人の彼女さん?」

 俺が割って入るように声をかけると、女は眉をぎりぎりとあげて怒鳴った。

「なんなのよあなたたちは!」

 はあ、と俺は彼女の怒りを受け流した。

 いや、こう言っては何だが、俺は怒鳴られるのに慣れている。前職のクライアントにはまあ、俺たちが悪くもないのにやたらと怒鳴る人も居て、そういうのにまともにとりあっていると、疲れる。ただでさえ疲れているのに、余計に疲れる。何をやっても怒鳴ってくるんだから、はい、ええ、その件は持ち帰って上と相談を、と相づちを打っておく。怒鳴る上司も同様だ。持ち帰って相談はできないので、相づちを打ちつつ、申し訳ありませんと唱えつつ、精神を切り離して、近々発売のゲームなどに思いをはせる。

 心を柳のようにして、ふうっとこう、右に左にさらりとかわすのだ。

 俺は持ったままだったタバコを携帯灰皿につっこんだ。

「わたくしども、このような者でして。夕方ご連絡を差し上げたと思いますが」

 俺のところに来たスカウトマン、もとい人事課長を思い出しながら、にっこりと笑って懐から名刺を取り出した。

 俺たちは喫茶店で待機している間、警察にこの事故について確認をとっていた。被害者が三十代男性だというので、今回の件に関係があるのではと目星をつけていたわけだが。いやそのときは幽霊とか信じてなかったけども、鈴木がうるせーから。

 警察を通して、被害者の両親やこの彼女とも電話で話した。どういうつもりだというので、鈴木が馬鹿正直に今回の事情を話したところ、彼女はさらに怒り狂い、じゃあ直接確認した方がいいのでは、ということで、現場で落ち合う約束をしていたのだが。

「遅刻ですよ。約束したでしょう。十九時にって」

 彼女は眉をつり上げ、俺の手から名刺をひったくった。例の「お気軽にご相談を!」のキャッチコピーを見て、眉間に縦皺が刻まれる。

「うるさいわね、いたずら電話だと思って無視するつもりだったのよ! あなたの知り合いが幽霊になってますよとか頭おかしいでしょ! 事故の被害者をからかって何が楽しいの! ご両親は動転してしまって、大変だったんだから」

 そりゃ確かにそうだ。

「でも、警察通したんだから、信じてくれても」

「警察名乗った詐欺かも知れないでしょ! 実際何なのうさんくさい会社!」

 最近の振り込め詐欺はそういう手の混んだのもあるというが。警察を名乗った詐欺って罪重いんじゃなかったか。いやそれは今関係ない。

「だいたい、後藤君まだ死んでないし!」

 ――あ、やっぱりそうか。

 だから余計に詐欺だと思ったのか。

 でもそれなら、電話したときに、被害者が死んでないって教えてくれても良かったんじゃないのか。いや詐欺だと思ったから言わなかったのか。

 それなのに結局来てしまうとか、彼女さんも、ご両親も、わらにもすがる思いだったのかも知れない。

「昏睡状態の人を捕まえて、幽霊になってるとか、ほんとたちわるい電話! 目を覚まさないまま死んだかと思ったじゃないの! 詐欺ならとっ捕まえてやろうと思って来たのよ!」

 あ、そうですか。

 一人で来るとか不用心すぎるが。警察には言わなかったのか。無視するつもりだったが、突発的に来てしまったのか。

「はは、祥子ちゃんが遅刻とか、めずらしいな」

 ジャージの三十代男性は、力なく笑った。

 この人がジャージに裸足なのは、今は病院で眠っているからか。

 三十代男性の言葉は彼女の怒りにますます火を注いだようで、彼女は怒鳴った。

「人がたまに遅れたからって、偉そうにしないでよ!」

 目に涙がにじんでいる。

「どんくさいわね! もう一回だけチャンスあげるから、さっさと体に戻って目を覚ましなさいよ!」

 三十代男性は、泣きそうにくしゃりと顔をゆがめた。その体がまたゆらゆらと揺れるが、消えない。まだ俺にも見えてる。


「生き霊ですか」

 成り行きを見守っていた鈴木は、今までで一番、冷静で落ち着いた顔をしていた。

「仕方がありませんね。手を貸してあげます」

 パン、と両手をあわせた。

「掛けまくも畏き 伊邪那岐大神」

 あれ、なんか分からないけどそれ、神社とかで唱えるやつじゃねーのか。祓っちゃうんじゃないのか、大丈夫なのか。

 思ったが、今までとは打って変わって、なんだか止められない空気があった。

「諸諸の禍事 罪 穢有らむをば祓へ給ひ清め給へと白す事を」

 鈴木は、すう、と静かに息を吸う。

「恐み恐みも白す」

 ひやり、と風が吹いた。




 カーブミラーの下は、街灯の明かりで照らされて、影ひとつない。

 最初と同じように、何もない。

「後藤君!! どこに行ったの!? ねえ!」

 さっさと体に戻れと怒ってたくせに、三十代男性が消えると、彼女さんは動転して叫んだ。間近にいた俺を力一杯揺さぶる。

「いや、ちょっと、お姉さん待って」

 俺は彼女さんをなだめて、乱暴にならないように一応気をつけながら、手をどかした。鈴木を見ると、鈴木はカーブミラーの下を見て、白い看板の辺りを見て、頷いた。

「いなくなりましたね」

 いや俺、本来は見えないからね。

「お前、なにやったんだよ」

「祓ったんです」

「祓ったって」

「わたし、神職の資格を持っています。実家が神社の関係で」

 ああ、なるほど。お祓いか。

 納得しかけたが、いやいや。なるほどじゃねーし。

 神職の資格持ってても、普通こういうことに使わねーよな。そういうのて、知識とか伝統とかそういうの学んだり継いだりしていくためのものだよな。

 幽霊退治の資格じゃねーよな。

 だいたい、さっきのやつはまだ死んでなかっただろ。思って、サーッと頭から血が下がるような感じがした。まずくないか。

 俺は、彼女さんに聞こえないように、声を潜めた。

「まさか、とどめ刺したのか」

 この場合それ人殺しにならないか。大丈夫かそれ。

「生き霊祓ったら本体に戻るに決まってます。六条の御息所だって、追い払われて体に戻ってたじゃないですか」

「なにそれ」

「源氏物語ですよ知らないんですか恥ずかしい」

「いやだって普通、精神を殺されると、体は生きてても目が覚めなくなるって」

 普通って言うか、漫画とかだと。

 鈴木は俺を見下した顔で言った。

「戻りますよ。数々の憂いを祓って、本来の場所へ戻るように導いただけですから」

 そういうものなのか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る