第4話 不審者じゃない

 煉瓦敷きの玄関先、茶色の木製のドアに、くるくると金属の巻いたかわいいドアノブをあけて、若い奥様が顔を出した。

 鈴木さんはにっこりと笑ってから、勢いよく頭を下げる。

「日本総合フェノミナンリサーチから参りました」

 折り目正しくハキハキと、俺に釘を刺すだけあって、好感度はいい。だが奥様は、ドアの隙間から顔を覗かせ、上から下まで鈴木を見てから、眉間にしわを寄せて言った。

「警察から紹介されてお願いした調査会社の方、ですよね?」

「そうです。鈴木と申します」

 鈴木さんが名刺を渡すと、奥様Aは素直に受け取ったものの、不安そうに後ろに立っている俺を見た。あーこのパターンか。

 俺はいつぞや俺をスカウトしにきた黒スーツのおっさんみたいに、顔にサラリーマンスマイルを張り付けて、もらったばかりの名刺を差し出した。

「宮田と申します。なるべく早めの解決を目指しますんで、ご協力をよろしくお願いします」

 社名の上に「不審な人影、物音に悩まされていませんか!? すぐ相談を!」と書かれた名刺の俺の名前の横には、志官補と書かれている。部長の言う通り、鈴木よりランクは下の下の一番下っ端なんだが、そんなこと一般人にはわかりゃしないし、俺が現場はじめての新人もド新人なんてことは、わかりゃしない。どう見たって三十代でスーツ着なれたサラリーマンスマイルの貼りついた俺の方が上司だ。たとえスーツが安物でよれよれでもだ。

 奥様はドアを大きく開け、俺から名刺を受け取った。

「あまり時間をとれませんが、どうぞ」

 ウサギ型のドアマットの敷かれた玄関へ、ようやく入れてもらえた。




 通されたリビングには、待ち構えていた奥様BとCがいた。すすめられるままソファーに腰掛けると、冷たいお茶も出してくれる。だが、奥様ABCは自分たちで依頼をしたくせに、不信感丸出しの態度だった。ものすごく見られてる。一挙一動見逃すまいぞという、あまりのガン見っぷりに、お茶に手を出すのがためらわれた。だが、鈴木さんはまったく気にせずぐいぐい飲んでいる。

 シンプルなガラスのコップをローテーブルに戻して、鈴木さんは居住まいを正した。

「ご依頼いただいた内容について、再度確認をさせていただきたいのですが」

 印刷したメールを黒いバッグから取り出す。

 奥様方は、スッと目をスライドさせて俺を見る。あー、はい。

「ええと、不審者の出る場所についてくわしく聞いてもいいですか?」

 依頼メールにはだいたいの場所も記載されていたので、グーグルマップを印刷しておいたのだった。地図をテーブルに置くと、奥様たちが身を乗り出す。

 学校がここで家がここだからどうだこうだと相談しはじめる。そして、広い道から住宅街へ入る、カーブを描いた細い道を指さした。ぐりぐり押しながら奥様Aが言う。

「この辺りは車も多くて。抜け道にしてる車が多いんです。道も狭いのに、スピードを出して。そういうの取り締まれないのかしらね。街灯も少なくて暗いし、危なくて」

 話し出すと、止まらなかった。奥様BCが続く。

「自転車で道いっぱいに広がってる学生とか」

「学生と言えばちょうどあのあたり、マンションの入り口前に少し場所があるから、そこにたむろしてて」

 しかし時間は三十分もない。ヒートアップしていく奥様方の文句をのらりくらりとかわしながら、地図にお子さんが不審人物を見たあたりに赤印をつけてもらう。今度は×印を人差し指でトントン叩きながら、奥様Aは言った。

「一番気味が悪いのは、子供にしか声をかけないことなんです」

 奥様Bは眉を潜めて続いた。

「塾帰りの子たちが、噂をしていて、それで知ったんですけど」

「わたしたち、見かけたこともないんですよ。気味が悪くて」

「子供を狙う犯罪も多いですし。ここのところはずっと送り迎えをしていて」

「あのあたり、事故も多くて。この間も轢き逃げがあって、子供たちには近寄らないように言っているんですけど、近道だからって知らないうちに通ってるんですよ」

 子供たちが嘘をついているとは思わないようだ。何人も目撃していると言うから、まあ、嘘ではないのだろうが。

「分かりました。数日わたしたちで見張ります。場所がはっきりしているので、すぐに結果が出ると思います。何かあってもなくても、三日後には一旦ご連絡しますから」

 キビキビとした口調で鈴木さんが言った。奥様方はまだしゃべり足りないようだったが、時計を見て慌てだした。追い立てられるようにして、俺たちは再び外に出る。

 無駄に疲れた。



「あの態度、納得がいきません!」

 白壁のかわいい家を後にして、鈴木さんは憤慨しきっていた。大股でガンガン歩いて行く。

 女性の躍進とか、女性が活躍できる場所を! とか言うものの、たいていの場合、それが専門分野であればあるほど、男が出る方が丸く収まることが多い。人間関係を築いてしまえば話は違うのかもしれないが、お客さんとそこまでのかかわりがない場合、どうしても女性はなめられるようだ。前職でも、バリバリにできる女性がいたが、はじめてのお客さんは彼女をなめてかかったものだ。

 しかし今回は、俺の方がだいぶ年上だし、どうしても俺の方が上司に思われるのは仕方ない。

「まあ、調査するのって19時からだし。夜に若い女をうろつかせるのとか、不審者退治を女にやらせるのかとか、色々思ったんじゃないデスか」

「そんなこと考えてる風には見えませんでした!」

 それは否定できない。

「でも、もし俺だけだったら、家に入れてくれるどころか、玄関開けてくれたかどうかも分からないですよ」

 新人の俺が一人で来ることはあり得ないとしてもだ。

 不審な三十代男性の調査に不審な三十代男性がやってきたら、やっぱり警戒するもんだろう。おかしな調査会社だと奥様方だって思ってたはずだ。そうでなくたって、昼日中にいい年の男が訪問するのは、不審がられる。鈴木さんが先に立ってチャイムを押したから、警戒心が和らいだはずだった。

「そりゃあ、何か押し売りしてくる営業マンみたいな宮田さんよりはわたしの方が印象はいいでしょうけど! フォローは必要ありません!」

 おいコラ。

 鈴木さんは俺の気遣いをむげにするどころか、ひどい暴言を吐いた。そして来たときと同じように、住宅街をロボットのようにずんずんと歩いて行く。

 その一角に、白い帽子の人が立っていた。

 下校中の子供たちが、道路いっぱいに広がって、おしゃべりしながらその前を通りかかる。

「こんにちは~。はい、こんにちは~」

 背中の曲がった老人は、間延びした声を子供たちにかける。子供たちは、くすくす笑いながら、こんにちは~と返している。礼儀正しい。

「あれ、怪しくないですか」

 次から次へと子供たちに声をかける老人を指さして、俺は言った。鈴木さんは足も止めず、さっさと歩いて行く。

 老人に向けて「こんにちは」と頭をさげた。老人は、にこにこと、こんにちは~と返してくれる。俺は慌てて会釈だけした。

 老人の前を通り過ぎてから、鈴木さんは俺を見下すような目で見た。

「あちらはご近所の小林さん七十四歳です。定年退職されてからずっと、朝夕あのように子供たちに声をかけるのが日課だそうです。説明聞いてなかったんですか」

 うるせえ。そんな情報もらってない。

 俺は内心毒づいたのが表に出ないように、営業スマイルを鈴木さんに向けた。

「あーそうでしたっけ」

「さっき佐々木さんが言ってたじゃないですか。依頼人の話ちゃんと聞いてなかったんですか?」

 鈴木さんは見下すような顔で俺を見た。あの怒濤のような情報と文句と感想の飛び交う会話から、聞き取っていたとは。

 それにしても、まぎらわしい。少し前の会話を思い出し、俺は少しおどけた風に言った。

「ほら、あれをこんにちはおじいさんって言うんですよ」

 鈴木さんは黙殺した。地図を見ながら、淡々と言う。

「探すのは、三十代男性ですよ。あの人のどこが三十代に見えるんですか」

「時々、三十代でも、疲労とストレスで老人みたいに顔が変化していく奴がいるし」

 十四連勤後の二徹明けとか。どんどん顔が落ちくぼんで、怪しい外国人みたいな顔になったり、老人みたいになったり、なんか分からないけど顔が崩れるやつがいる。客先から戻って久しぶりに会ったりしたときにそんなんだと、心底ギョッとする。

 鈴木さんは、俺を心底哀れむような顔をした。

 やめろ。




 地図の赤印のつけられた、路地の角。そこを見張れる場所にちょうど小さなカフェがあったので、俺と鈴木さんはそこで待った。その間に、会社に連絡を入れ、警察に問い合わせる。路地の角には白い看板が立てられていて、その内容について、気になることがあったからだった。

 警察からの連絡を待って、またあちらこちらに電話をする。不審がられて怒鳴られたりはしたが、途中で俺が電話をかわって、相手をなだめて、色々大変だった。

 それから黙って待った。3時間半も待った。手持ち無沙汰過ぎたので、早めの夕食までとった。

 食後のコーヒーを飲んでいるとき、鈴木さんは、街灯に照らされた路地をじーっと見ながら、つぶやいた。

「いますね」

「何が?」

「そこの角。男性」

 えっ。いやっ。カーブミラーしかないけど。

 明らかに一点を見ている鈴木さんに、ゾッとした。

「いませんよ?」

「いますよ!」

「いないっつの!」

「ああ、宮田さん見えないんでしたっけ」

 あからさまに馬鹿にした顔で鈴木さんが言った。

 ……ええーなにそれえ。なんか二重の意味で嫌なんですけど。

「え、あのあれ、あんた見える系?」

「実家が神社ですし」

 うえ、意外。

 やたらと失礼なくせに、折り目正しいのはなんだか納得がいった。

 しかし断じて言うが、俺は、幽霊とか信じていない。こんな変な会社に転職したけどだ。俺の変な力は実際にあるけど、幽霊は見えないからな!

 俺は顔をしかめながら、鈴木さんに言った。

「神社とか寺に生まれたからって、見えるとは限らないですよね?」

「見えるとは限らないけど、見える人が多いですし、私は有能だから見えます」

 鈴木さんは胸を張って偉そうに言った。すげえ。そこまでわけわからない自信すげえ。

「行きますよ」

 鈴木さんはさっさと立ち上がった。

「いや、ちょっと、もうちょっと待った方が」

 幽霊がいそうなところ行きたくない。いや幽霊とかいねーけど。いねーけども。

「待てません。また被害が出る前に、食い止めないと!」

「被害って、こんにちわって声かけられるだけじゃないですか」

「地縛霊はいつ悪いものに変化して、人を襲うか分かりません。そんなことも知らないんですか!」

 普通知りませんし。

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