第2話 危険な目にはあいたくない

 通された小さな会議室で人事課長と名乗ったのは、例の黒いスーツのスカウトマンの、おっさんの方だった。分厚い封筒を机の上に置く。

「これ、社内規定と、セキュリティ保護関係の資料、目を通しておいてくださいね。まーセキュリティ関係のは、前職でいろいろ詳しいとは思うけど」

 にっこりと、先日と同じサラリーマンスマイルを見せて、人事務課長は言った。この間も思ったけど、妙にテンションが明るい。

「はあ」

「あと、保険とか手当関係の入社手続きの書類、明日持ってきてください。特にこっちの手当は、今後の仕事に大事だから。何か気になることがあったらいつでも質問してね」

 給与関連登録申請、と書かれた書類を、スッと封筒の横に置いた。

 ちらりと目をやる。交通費関連、扶養控除、云々書かれている。

 その中に、「危険手当支給」という文字がちらりと見えた。

「いや、危険手当って」

 思わず声が出た。

「何? 気になるとこありましたか?」

 人事課長の妙に明るいテンションが、どんどん異様な感じを醸し出してくる。

「危険手当ってあるんですけど、なんか危ない仕事なんですか? 調査会社って言ってませんでしたっけ」

 聞いてないんですけど。

「あーそれね、一応、確認してるだけですよ」

「はあ」

「調査業務ってやっぱり、ずっと社内にいるわけじゃなくて、現場に出て色々調べるわけですよ。そしたらやっぱり、ちょっと危ない場所に行ったり、体を張った仕事になることもあるんです。山とか海とか、徹夜で張り込んだりとか、廃墟調べたりとか。時短勤務とかでそういうのが難しい人とか、希望しない人もいるので、事前に確認をしているわけです。それで無理をして心身がつらくなっちゃって休職したり辞めちゃったりするよりは、希望者に手当を支払って、やってもらおうっていうことです」

 にこにこと笑いながら人事課長が言った。なるほど。

「じゃあ、大怪我したりするような、危ない目にあう可能性があるってわけじゃないんですか? まさか命の危険に関わるような」

「うーん」

 課長は笑顔のまま、あからさまに答えに詰まった。おい。

 俺の顔が引きつったのに気づいたのか、人事課長は、いやだなあ、と手をヒラヒラさせた。

「廃墟とかほら、ホラーが駄目な人は、そのへん備考に書いておいてもらわないと。そういう体質の人もいますからね」

「えっ。ホラーですか。えっ、まさかなんか霊とかそういう」

「あ、でも、大丈夫ですよ~。絶対に一人で調査に行くことはありませんよ。そういう場所には特に人数を投入しますからね。ぼくら、一般の、ただの調査会社ですからね。命に関わるようなことはありませんよ~」

 明るいテンションで人事課長は言う。うさんくさい。

 そうだ、この会社は「特殊な能力を持った人を集めて、怪奇現象の調査とか研究とかしてる会社」だった。「奇妙な音や現象に悩まされていませんか? お気軽にご相談を!」なんだった。

「後で申請を変更してもらっても大丈夫ですからね。お金はもらえるわけですし、とりあえずOKにしておいたらいいと思いますよ~。OKで無い場合は、内勤にまわされる場合もありまして、そうなると職務が変わってしまって、給与に差も出てしまいますからね」

 すごく適当に流された感じがする。

 しかし実際、警察とか自衛隊とかみたいに危ないところに行かされることはないはずだ。一般の、普通の会社なんだから。……いや普通とはあんまり言えないかも知れないけど。

 それで、俺はふと疑問に思ったことを尋ねた。

「あなたも、そのう、何か能力持っているんですか? 人事課って主に内勤だと思いますけど」

 しどろもどろになってしまったが、我ながら変な質問をしてる……。俺のとこにスカウトには来てたけど、海中やら山奥やら空やらにスカウトに行くとは思えない。

「うちの会社にいる人はほとんどが能力者ですよ。そうでないひとは身内が能力者です」

 なんかはぐらかされたなあ。

「あなたは現場には出ないんですか?」

「ぼくはむかし膝に矢をうけてね」

「矢ぁ!?」

「ちょっとちょっと真に受けないでよ、ネタであるでしょこういうの。老兵が一線を退いた理由みたいなやつ。エンジニアさんだったらネットのネタとか知ってるでしょ」

 偏見だ。

「あんま興味ないんで」

 パソコンあんま好きじゃないんで。

 なあんだあ、と人事課長はあからさまにがっかりして、何故か恨みがましい顔で俺を見た。何でだ。

「いや実際ね、昔病気をしてから、現場を離れたんですよ。危険な現場で怪我をしたわけじゃないです。昔はね~前線を飛び回ってバリバリ働いたものです」

「はあ? 前線で? バリバリ?」

「言葉の綾ですよ~」

 不審の目を向けた俺に、人事課長は手をヒラヒラさせる。まるで戦争に行ってたみたいな言い回してたけど、矢の話と一緒でネタだよな。「一線で活躍してた契約獲得率一位の営業職」とか「検挙率ナンバーワン刑事」とかそういうノリか。

「うちの会社って、能力者を集めているんですけど、そういう人って、社会になじめずに生活をしていることが多いんです。力を持て余してしまって、うまくコントロールできずにいたり、周囲に理解をしてもらえなかったり。そういう人に活躍の場を与えたいというのも会社の理念なので、無理をしてもらうのは本意では無いんです」

 にこにこと顔に笑顔を貼り付けて、人事課長は言う。

 とても立派なことを言ってる気もするんだけど、妙に軽いテンションのままで言うので、すごく嘘くさい。

 規定をよく読んで考えよう。変えてもいいって言うし。そもそも俺は体力に自信がなさ過ぎるから、危険手当とかすごい不安だけど、正直急な転職のせいで、住民税の残りをまとめて引き落とされたりして懐具合に不安があるので、あんまり選択の余地はなかったりするんだが。

 いきなり変なところにぶっ込んだりはされないだろう、多分……。楽観的に考えようとしたが、そういえば前職では、新入社員の時からいきなり十連勤の徹夜勤務にぶち込まれた上に、右も左も分からないうちに怒鳴り散らされたのを思い出した。まあ、まともな会社じゃ無かったとは言え、ここも違う意味でまともとは言えないだろう。

 ほんとにヤバそうだったら、とっとと逃げよう。せめて内勤にしてもらおう。



 軽い説明の後、すぐ地下に連れて行かれた。フロアへ入るセキュリティドアの横に、「研究開発部」と書かれている。

 ガラス扉を開けると、病院の受付のようなカウンターが置かれていて、「能力開発課」と書かれた札が置かれている。部屋の中には、何やら机やら実験器具のような物があった。製薬会社とかそんな雰囲気だ。この会社は一体なんなんだ。

 総務課長は、何やら書類を出して、カウンターの近くの席の、メガネのもっさりした女性に声をかけた。

「今日から出社の宮田君です」

「ああ、タバコの」

 女性はメガネを押し上げて、俺を見た。それから、奥に向かって声を上げる。

高口こうぐち君! 新人さん来たよ」

 新人さん、と言われるとなんか変な感じがする。もぞもぞしていると、女性は俺を見て言った。

「すみません。わたし、タバコの煙でくしゃみが止まらなくなるんで」

 そりゃーすみませんでしたね。

 ここはこの課の事務室か何からしい。部屋の奥のドアから、メガネのもっさりした背の高い青年が姿を現した。

 音も無くやってくると、ずりさがったメガネを押し上げて、人事課長から書類を受け取る。俺の名前と顔写真とちょっとした経歴だけ書かれた書類は、他が真っ白だ。

 青年は俺を見もせずに言った。

「どうも。高口です。じゃあ始めましょうか」

 背が高いが、猫背で細身で威圧感が少しも無いのに、なんかただならない空気がある。

「はあ? 何を? え? 実験?」

 マッドサイエンティストか?

 ただでさえ得体の知れない会社の、しかも地下だというのが、変な想像をかきたてた。

 青年は振り返り、大きなメガネをこちらに向けた。前髪がもっさりしてて、表情がよく分からない。

「なに言ってるんですか。健康診断ですよ」



 猛烈に恥をかいて大汗をかく羽目になったが、説明してくれない人事課長が悪い。

 実際、健康診断と能力測定のようなことをやらされた。

 身長体重を測ったり、脳波を取ったりCTを取ったり、呼吸機能検査をやったり人間ドッグのような事から、手を使わずに物を動かしてみろと言われたり、霊視の検査だとか、よくわからないことをさせられた。一週間くらいかかったが、毎日定時で帰れるので、俺はむしろ家に帰っても何をすればいいものやら途方に暮れた。転職前は、動いているプロジェクトをほったらかして退職したせいもあって、有休消化なんてできなかったし。いや、そんなの関係なしに、まともに有休が使えた試しなんか無いが。

 時間をもてあました末に、近所を散歩した。朝と夜の他に時間が存在するのになんだか感動した。そして、やたらよく寝ていた。

 規則正しすぎて、一時期かえって体調を崩したくらいだ。土日も休めるなんて、暇すぎた。

「どうやら宮田さんは、もともとちょっと呼気に異能力を持っていたみたいですね」

 週明け、能力開発課に足を運ぶと、俺をあちこちに連れ回して検査してた高口青年が言った。メガネがいつもずり落ちそうになっている。

「はあ」

「火気と相性がいいみたいですね。それが輪になることで、力が循環して増幅されたというか。輪って言うのは永遠や循環をあらわす形ですから、タバコの煙による火を含んだものと、宮田さんの呼気が輪になって吐き出されることで、その能力が発動されたんだと推測されます」

「あーそうなんですか」

 メガネの青年は、ぺらぺらと書類をめくりながら言った。

「三十すぎて新しい能力が発見されるなんて、人生何があるかわからないですよね~」

「はあ」

 それ俺が言うセリフでは。

「タバコ吸うだけで火を噴いちゃうとかじゃなくて良かったですね。宴会芸にはおもしろいですけど、まかりまちがったら大事故ですし。あ、でもその方が健康には良かったかな? さすがに禁煙しますよね」

「はは……」

 余計なお世話なうえに、それだったら吸い始めた学生の時に大事故になってて、人生変わってたな、と思ったが、まあそうでなかったのが俺の人生だ。

 今回のだってたまたま合コンで成功しなかっただけで、居酒屋で成功してたら、人間を吹き飛ばしてたかもしれない。それがいけ好かない女だったとしても、絶対に勘弁願いたい。

「今度キセルとかパイプで試してみましょうよ。電子タバコとか。輪っかになるかなあ。火のついたリングをもって息吹きかけてみるとか。こう、大きいシャボン玉作る時の要領で。というか、シャボン玉ってどうなるのかなあ」

「…………ええと、機会があれば。今日は結果もらったら総務に来いって言われてるんで」

 シャボン玉をたくさん吹かされる光景が頭をよぎった。恥ずかしすぎる。

 ここは危ない気配がする。俺は唇片方だけで笑いながら、手を出した。さっさと書類をよこせ。

「まー現場出てから多分またうちに来いって言われると思うんで、その時にまた色々試してみましょうか」

 ……そうなのか。

 青年は、メガネをずり上げながら、検査結果の書類の入ったクリアファイルをさしだした。冗談なのか本気なのか、真面目くさった顔で言う。

「霊視能力はないみたいですけど、裸眼で2.0てほんとですか? ズルしてませんよね。エンジニアでしょ? ほんとに現代日本人?」

「偏見だ」

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