第3話 愛おしい毎日をどうすれば和らかに美しく過ごせるんだろうね

翌日からのわたしの高校3年生の生活はとても張り合いのあるものとなった。高校の校舎内にいる時間もさることながら、一歩校外に出て、市立図書館に向かう道すがらからの時間がとても美しいものへと変わっていった。

休日の昨日図書館で出会ったあの子、名前はセエト。高校生、ってことだけは教えてくれたけれども、何年生か、どこの高校かは言ってくれなかった。当然、メルアドの交換もない。会う方法は市立図書館へ行くこと。けれども、市立図書館は近隣の中・高生の間では受験生問わず学習場所の定番となっており、普通に遭ったのでは同級生に見つかり、セエトが匿名を貫きたいという意向に反する。なのでわたしたちは一計を講じた。


「特別閲覧室なら高校生は来ないよ」


これはわたしの提案。

特別閲覧室というのは、極めて学術的な資料のみが書架に納められ、超専門的な資料調査を行う利用者に限定される部屋だ。まあ、言って見ればマイナーな調べ物、たとえば、地元の民俗学・博物学にかかる民話や神社の歴史などをセカンドライフワークにしている高齢の方々などがその代表。

問題は、利用申請が必要で、自分の研究テーマと閲覧資料を司書に提示しないといけない。

わたしとセエトはこんなテーマを設定した。


『地蔵堂の不動尊像の歴史的考察・・・双輪市のケース』


「渋い」


セエトの一言。

こう見えてわたしはおばあちゃん子だ。同居している。もともと思考・行動全般が同年代の子たちよりもまあ渋い。このテーマを選んだのは、幼稚園の時におばあちゃんとよく散歩に行っていたのだけれども、必ず川べりの地蔵堂にお参りした。


「おばあちゃん、あの仏様、刀を持ってるよ」


お花が供えられたお地蔵様方の後ろに、目が鋭く剣を手に立てて持っている石仏がおられた。


「お不動さまだよ。人間のわたしたちが持っている悪い心・弱い心をあの剣で成敗してくださるのさ。それに、ここのお不動様はね、この双輪市中心部の人々みんなを守り通しでいてくださるんだよ。ミスミが交通事故に合わないのも、学校でいじめに合わないのも、みんなこの仏様がお守り通しだからさ。さ、手を合わせて、なむなむと、お礼を言いな」


「ということで、おばあちゃんは去年亡くなったけど、とても印象に残ってるからこれを研究テーマにしようよ」

「ミスミって、いい子だな。ますます好きになったよ。結婚するならミスミだな」


セエトはこんなことを日常会話のようにさらっと言う。だからわたしも普通に受け流すようになった。


さて、この研究テーマ申請で特別閲覧室の利用権は確保できた。けれどもわたしは一応受験生だ。放課後から閉館までの3時間程度の内、30分程度をまあ形ばかりの研究時間に充てて司書への義務を果たし、残りは資料の山に隠して受験問題集をやることにした。そして、どうやら司書もそれは黙認してくれてるようだ。


「セエト、それ、なに?」

「ん? ああ、読む?」


セエトがぴらっとブックカバーを外して見せてくれた文庫本の表紙にはこんなタイトルが書かれていた。


『ノラや』


「内田百閒の本だよ。読む?」

「読みたい、けど。一応受験生だし、あまり時間もないんだけどなあ」

「ミスミは大学でなにを研究したいの?」

「漠然とだけど、社会学。人種差別問題の研究とかやってみようかな、って思ってる」

「ふうん。じゃあ、いわゆる学術じゃだめだね」

「え?」

「だって、差別されてる人って、みんな切羽詰まってるもん。一番手っ取り早いのは自分が差別される側の立場に立ってみることだね。身近な事案であれば、いじめとか」

「うーん。でもそれとセエトの読書とどう関係あるの」

「関係・無関係、って言い換えれば得か損かの話でしょ。受験に役に立たない、って理由で本を読まないんだとしたら、差別される人の研究しても得にならないからやーめた、って話にならないかな」

「うわ。屁理屈っぽいけどなんか説得力ある」

「もっと言うとね。この人間と結婚したら得か損かで相手を選ぶみたいな話にもなりかねないよ。寂しすぎる」

「うーん。反論できない。でもさ」

「ん?」

「確率的にはこの時期に読書する時間的余裕があることをもって、セエトは高校生ではあるけど受験生ではない。どう、この推理当たってる?」

「それは訊かない約束でしょ」


結果的にはわたしはセエトから内田百閒の本を借りた。そしてそれはとてつもなく面白かった。

ああ、でも、受験生なのに。お不動様の研究やら、内田百閒の本読みやら、セエトとのぐるぐるループするような会話やらやっちゃってる。

わたしって、もっと合理的な人間だったはずなんだけどな。

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