第7話 メーカーによる価格支配

四月になり、松太郎は本間重太郎商店で二年目をむかえた。この一年よく辛抱し問屋の顔になってきた。人間的にも成長し、十六歳とは思えない仕事ぶりだ。荷物取り、配達、営業フォーローそして事務と、なんでもこなした。高校のほうは疲れて眠ってしまうことがあったが、予習復習をしていたことで成績は一番を維持していた。

今月から松太郎はファミリー商事の商談に

同席させてもらえることになった。毎月十日前後に、中野が来社してくる。来社の三日前くらいから事務があわただしくなっていた。高野がファミリー商事の仕入担当の本間勇作と頻繁に話をしていた。本間勇作は営業なのだが、菓子の品揃えや納価の把握の必要があり海老名の指示で担当になっていた。高野と打ち合わせをしていたのは、商品の納価が間違っていないか、返品や値引きの処理がちゃんと請求書に反映されているかを本間に確認をしたかったからだ。それが確認されないと

支払いの小切手がきれないからだ。一次問屋からの請求書は、納品書と実際入庫の商品の確認、計上漏れがないかの確認以外に、営業と仕入先との商談や連絡で決定したことが請求書に反映されているかの確認をしなければならない。この作業は直接かかわった営業でないとわからないことだ。定番商品の納価が正しいか、商談で約束した納価で計上されているか、赤伝を切った値引きや返品が請求書に計上されているか、これが抜けていると会社の利益にかかわることだ。本間は商談ごとに商談帳をつくり、いつに、どんな商品を、

何箱仕入れ、いくらの納価で約束したかを記していた。その他、特価商品を仕入れたときの記入も忘れなかった。本間はファミリー商事の請求書と商談帳を合わせていた。定番商品の納価は頭に入っているので仕事は速い。

 「高野さん、こことココの単価が違います。

 それと先月値引きすると約束した商品の値

引きが入ってませんね。中野さんに確認を

とってから、これを差し引いて支払いをし

て下さい。」

 請求書の最終確認が終わると高野は支払い金額を再計算し、親方の了解を得て小切手を

切って翌日の商談に準備をしておく。

 商談の時間は事前に知らされていたので、松太郎はそれにあわせて仕事をこなした。時間になり事務所での商談がはじまった。海老名と本間、松太郎が席につく。その前に中野は先月分の集金作業をしていた。高野が請求書と小切手をもっていた。納価の違いや漏れの説明をし、中野も忘れていたことを認め、

小切手の金額を了承した。それが終わり、商談がはじまる。商品見本が入った箱を中野が

もってきた。商品見本がはいった箱は、厚さが数センチの厚さの箱に三、四品商品が並べられ、その箱が何段も積み重ねられている。

通称“船”と呼ばれる商品見本箱は、商品が

積み重なって痛まないようにすること、商談のときに一枚ずつ見せることができる利点がある。中野は縛ってもってきた“船”の紐を

ほどき、机に何枚か広げた。

 「今月の新製品はこれです。この商品は今

 売れているんですよ。これは品薄なんです。

 来月に印刷が変わるので特価ですよ。」

 “船”をひとつひとつ机にもっていき、三人に説明をした。本間はお得意様に営業行き、直にどの商品が買っていただけるかの基準で仕入れをしている。これは仕入れをするときには一番大切なことである。日頃、お得意様と接し、どの商品が売れているか、売れるだろうという予想ができているので商品の選別も速い。それと競合の日の輪屋が積極的に販売している商品を把握しているので、うまく避けることもできた。しかし、会社の規模が大きくなると営業が増え販売エリアが広くなる。必然と地域により嗜好も違ってくる。そこを把握できずに仕入れをすると他の地域の営業にとって売りにくい商品が多くなり営業に苦戦する。

一枚一枚“船”を手にとり説明を耳にしながら、商品を見る松太郎。値段のことはわからなかったが、やはり若者向け菓子には興味があった。年寄りが好む菓子はまだピンとこない。本間の実戦での経験がテキパキと商談がすすみ、新規に五品を仕入れ販売することになった。注文した商品はファミリー商事の締日二十日を過ぎたときに発送されてくることが確認されていた。松太郎はそれを聞き、二十日過ぎにお菓子の新製品が入荷してくる

ので荷物とりの予定がたてやすくなった。すぐに営業用の見本だして準備もしなければならない。営業フォローのときも、お得意様へ二十日過ぎにいい商品が入りことを案内が必要だと次々と思いめぐらせていた。

 ファミリー商事の商談は三十分程度で終わり、中野は手際よく“船”を片付け、次の店に出発した。


 松太郎の姉ヤヨが突然本間重太郎商店を訪れた。背中には一斗(約十八キロ)の米を背負っていた。本間重太郎と高野が応対した。

 「いつも弟の松太郎がお世話になっており

ます。松太郎が入社して一年ですが、何か

迷惑をかけておりませんでしょうか?まだ

まだ未熟なところがあります。どうか皆様

からの厳しい指導をしてやってください。

姉として心配になってきました。」

「お姉さん。松太郎君は一生懸命やってま

すよ。朝早くから荷物取りや営業を手伝っ

てくれたりしてくれてるんです。学校も成

績がよいと先生から連絡を頂いています。

学内で一番のようで、よくあんなに働いて

いつ勉強をしているのか不思議なくらいで

です。今は会社の貴重な戦力になってくれ

てます。どうぞ、ご心配なさらないで下さ

い。」

「親方のいうとおりなんですよ。夕方は、

私の事務を手伝ってくれ、社内でも困った

ときに頼りにされているんですよ。」

親方と高野の言葉を聞いてヤヨは安心した

。これから下宿先の万福寺にあいさつにいくという。本間重太郎は弟を想う姉に気持ちに心が震えた。荷物になって申し訳ないと思いながらも、ありったけの日用品やお菓子をヤヨにもたせた。高野と玄関まで見送った。

とぼとぼと歩く姉の姿に兄弟愛を感じていた

内田俊夫が入試してきた。下働きとしての

採用だった。中学卒で体は大きく、骨太で丈夫そうだった。本間重太郎商店では今まで社員を応募し何人か雇っていたが辞めていく人間も少なからずいた。仕事柄、重い荷物をもったりするので体力を使う。最初は入社当時の松太郎のように筋肉痛や疲れで根をあげてしまうのだ。面接のときには、仕事の内容を丁寧に説明をする。本間重太郎商店の取扱い商品のことや仕事の流れなどを丁寧にする。説明したことへの理解と質問をしてもらい。採用して大丈夫かを判断する。入社してもらう際に本間重太郎が特に守ってほしいことがあった。それは礼儀と勤怠だ。問屋の仕事は商品を仕入れ、お得意様から注文を頂き、正確な配達をし、期日に代金を回収する。その流れには仕入先、お得意様、社内のあらゆる部署が関係して成り立っている。そこに銀行や計理士の力も入ってくる。決められたことを守れる人間関係がないと仕事は、うまくすすまない。そこに最低必要なものは礼儀である。それが本間重太郎の考え方だった。あいさつ、感謝、お詫び。折り目折り目の礼儀は仕事を円滑にすすめるものである。

 勤怠については、始業時刻の十分前までに必ず会社へ出社し、自分の仕事の準備をして始業することを守らせていた。一分でも遅れると烈火のごとく叱った。重太郎の本音は自分の受け持った仕事を円滑に進めるためには、どのように行動すべきか自分で考えて行動してほしい。勤怠をそこまでうるさくいうようになったのは本間重太郎の過去の仕事の苦い経験からきていた。東京で修行中の会社にいた同僚のことだった。彼は優秀で仕事ができる人間だった。会社の業績に貢献していた。しかし、平気で遅刻や欠勤する癖があった。社長や役員は彼の業績を考えてあえて、それを黙認していた。会社が大きくなり部下が増えてくると、彼の勤怠は他の社員に悪影響を及ぼした。彼が平気で遅刻や会社を休めるんだから俺たちも大丈夫だ。そんな気持ちが日に日に大きくなり会社全体の士気が乱れた。遅刻や欠勤は当たり前の雰囲気ができてしまっていた。連絡を受ける事務員や真面目に働いている社員にも嫌気が見え始める。明らかに業務に支障がきていた。重太郎には、まるで箱の中の一個の腐ったリンゴが、みるみる他のリンゴに飛び火して腐らせ、すべてをだめにしてゆくように感じた。

別の会社でも同じような経験をした。重太郎が仕事を任せていた社員は、人当たりもよく、お客様から仕事を全面的に任せられる存在だった。しかし、よく遅刻や寝坊で迷惑をかけていた。その場は若さと実績で許されていた。三十を超えてくると、寝坊や遅刻で遅れていた仕事を無理して徹夜で仕事をやり遂げることはできなくなってきた。あおうあうると仕事の納期や品質でお客様からの苦情が頻繁になってきた。重太郎は心配して彼の家に連絡をしていたが、若いときの癖は、なかなか治らない。いくら仕事ができても約束のごとを平気で破ったりすれば周りに迷惑がかかってしまう。この二人のことがあり、少々能力が劣っても勤怠を守れる真面目な人間を優先して採用するようにした。


 内田は下働きで須藤、宮田、仲山、松太郎と共に行動した。確かに真面目で体力はあり重い荷物は平気に運んで助かったが、仕事の要領が悪く、覚えるのに時間がかかりそうだった。

 夏が近づこうとしたとき、鳥越のほうで十年がかりのダム工事が始まるという話がでていた。すでに鳥越へ向かう道に仮事務所が構えられていた。今はダムの測量と宿舎の建設を行っていた。海老名はダム工事の何らかの仕事に本間重太郎商店が役立てられないか、

考えていた。聞くところによると宿舎には数百人が生活するらしい。場所はまわりに何もない場所なので不便なところだ。日用品や工事に使う備品の供給ができないか探っていた

。海老名は仮事務所にあいさつに向かった。

 「こんにちは。突然うかがってすみません

 。私、日用品の問屋、本間重太郎商店の海

老名と申します。今度、鳥越のほうでダム

の工事が始まると聞きまして弊社でお役に

立つことがありましたらと思って参りまし

た。」

海老名は受付の事務員に事情を話した。少し躊躇をしたが、上司に掛け合ってくれた。

「あーダム工事用の日用品供給のことです

ね。それでしたら来月に宿舎ができるから

、そのときにきてくれませんか。担当は丸

松建設がやると思うからそこを尋ねたらい

いですよ。ただ、あそこの場所の日用品の

供給は、田中商店さんに決まってるんじゃ

ないのかな?ダム建設で大型車が田中商店

さんの前を通るでしょ。店の前に埃や泥を

舞い上げて迷惑かけるから、そのお詫びも

兼ねて注文は優先させると聞いてますよ。」

海老名はその話を聞いてがっかりした。直接納品できなくても、最悪は近くのお得意様を窓口になってもらい配達することを描いていたが、田中商店とは取引がなかった。田中商店は、鳥越の山奥にあり、ぽつんと一軒の小さな店だった。本間重太郎商店が取引するには、付近に取引実績のある店がなく、しかも路線がはずれていたため配達ができない店だった。十年という永い期間で数百人の日用品の供給は大きな売上だった。しかし先方は迷惑をかける田中商店への発注を固めている。なんとか取引できないか海老名は考えた。鳥越・・・。松!松は鳥越出身だったな。松の力でなんとか取引できるようにしたい。海老名はこれでいこうと決めた。


「松、お前の力を借りたいんだ。」

「海老名さん。俺はまだまだ教わることば

かりの人間ですので、力なんてないです。」

「実は、鳥越の山の上にダムを造る話があ

って、そこの日用品の受注の仕事をとりたいんだが、どうしても先方に食い込めないんだ。そこでお前にその商談に同席をして

もらって鳥越出身で実家もそこにあること

をいってほしい。先方は近くの田中商店にまかせようとしている。鳥越出身のお前がお願いすれば何か仕事をくれるかもしれない。そのあとのことは俺がなんとかする。鳥越に実家があることで何かと迷惑もかかることだろうし、先方もわかってくれると思う。これから十年、宿舎の日用品の注文は大きい。なんとしても受注したい。」

「わかりました。俺でよければ使ってくだ

さい。」

松太郎にとって大きな商談だった。ダム工事の直接の日用品仕入担当の会社へ行くのだ。いつものお得意様の対応のように配達で汗をかき、世間話をするような仕事とは明らかに違うことはわかっていた。

 数日後、丸松建設との商談の日程が決まった。丸松建設は所長の渡辺と主任の北がでてきた。本間重太郎商店は海老名と松太郎。高校生の松太郎は明らかに場違いだった。丸松建設の事務所の雰囲気だけで心臓が高鳴っているのがわかった。海老名から事前に名刺交換のやり方を教わっていた。

 「はじめに、相手に相対して自分の名前を

 いい、頭を下げて名刺を指しだすんだぞ。

 そのときは『はじめまして本間重太郎商店

の左近と申します。よろしくお願いします

』と言うと、相手も名刺を指しだすから

それをもう一方の手で受け取る。松、とり

あえず練習だ。」

親方がこのときのために松太郎の名刺をつくってくれた。部署は「鳥越担当営業補佐」

と書かれていた。期待の大きさがわかった。


 「はじめまして本間重太郎商店の海老名で

 す。こちらは、部下の鳥越地区の営業補佐

をやっている左近といいます。」

「はじめまして左近と申します。よろしく

お願いします。」

教えられたとおり名刺交換はうまくいった

。丸松建設の渡辺所長と北主任もあいさつをし、商談がはじまった。

 「先日、仮事務所に伺いまして丸松建設さ  

 んのほうが宿舎の日用品の発注を担当され

 ると聞きまして、今日お時間を頂戴したと

 ころです。」

 「聞いていると思いますが、この工事は十

 年続く永い工事です。数百人規模の宿舎を

 用意し工事が円滑に進めるようにしたいと

 思っております。この十年という期間で多

くのトラックや建設機械が地元の田中商店

さんの前を通り、ご迷惑をかけると思ってます。そのお詫びも兼ねて日用品やほとんどの注文を田中商店さんにお願いしたい考えています。田中さんご主人とは先日、このことで了解をしてもらいました。快く思ってもらい、工事関係者として安心してい

るところなんです。」

「所長さん。うちもなんとか仲間にいれて

もらえないでしょうか?日用品関係や工事に使う備品は、うちは納入実績があります

。ご注文の内容を頂ければ、どんな商品も

お届けできます。」

「海老名さん、おたくの気持ちはわからなくないんですが、やはりね、地元の田中商店さんに迷惑をかけるんだから、難しいですね。」

「渡辺所長、実は隣にいる左近は鳥越の出身なんです。実家はこの道沿いにある大きな茅葺屋根の家です。左近の地元で近くの

住民も工事関係でお世話になる人もいると

聞いてます。同郷の縁も大切かと思います

。もちろん田中屋さんへの注文品をとろう

などとは思ってもいません。あくまでも、

ご迷惑をおかけする田中商店さんを優先で

注文をしていただき、田中商店さんができない注文をうちにいただけないかと存じます。左近や左近の実家も何かと地元で困ったことに力になれると思います。」

海老名の説得に渡辺所長の考えは揺れてい

た。田中屋商店は小さい店だから、ダムの用事をこなすには限界があるかもしれない。無理な要望もあるので、会社として本間重太郎

商店の過去の工事関係の納入実績を見ると、無理な対応もやってくれるかもしれない。そう思いつつ、丸松建設のダム建造の実績や自らのダムへの想いを語り始めた。

丸松建設はダムの建設実績を多く持っている会社だった。渡辺所長は戦前、中国東北部、満州方面に赴任していて当時東洋一のダムの建設に携わっていた。このダムの発電ひとつで、関西方面の全世帯の電力をまかなえるほどの桁外れの発電量だった。それだけに工事規模も大きく、難しい工事だった。犠牲者も多くでた。一万人以上の人が事故で亡くなった。戦後、突如ソ連が攻めてきて、ダムの機材丸ごと盗んでいった。渡辺所長は、せっかく苦労して東洋一のダムをつくったのに悔しい思いでいっぱいだった。あのダムは建設者として誇りがあった。ソ連が盗んでいったダムはどこにいったのか、ただ盗んで飾るわけにもいかない。これを売っても買うところがないだろう。多分、どこかで治水、発電のために活躍しているのかもしれない・・・。

海老名と松太郎はダム建設の難しさと大変な苦労と犠牲があることに聞き入っていた。そしてダム建設にかける誇りの大きさを感じていた。

 「ところで先ほど渡辺所長から東洋一のダ

ムの話がでたけど。左近君(客先の前では

『松』とは呼べない)、確か、同期の仲山の

お兄さんは満州からソ連に抑留されていた

な。」

「はい、海老名さん。仲山君のお兄さんは

ソ連に連れて行かれてダムの基礎工事をしていたらしいです。なんでも機材を運んでいたら漢字の刻印を見つけたらしいんです

。多分、ソ連が満州のどこかのダムから持ってきたんじゃないか言ってましたけど。」

「ち、ちょっと海老名さん、左近君、この話をもう少しくわしく教えてくれないか。」

渡辺所長がこの話で顔色が変わった。何か

自身に関係あると思ったのか、話に入ってきた。思わぬ展開に取引の糸口が見えてきた。

 松太郎は緊張しながらも渡辺所長に同期の

仲山のお兄さんのことを話した。

 「僕は仲山のお兄さんのことは詳しくは知

らないのですが、ソ連のどこかに連れて行

かれ、ダムの工事のときに偶然、漢字が刻

印された機材を見つけたことを聞いたんで

す。」

「それで仲山君のお兄さんは今どうしてる

んだ?」

「六、七年前に帰国したらしいんですが、

相当の重労働だったらしく体重が二十キロ

も減ったらしいです。国境近くでソ連と戦

ったときに負った傷が思った以上の重傷で

入退院を繰り返しているらしいです。」

「それは気の毒だな。仲山君のお兄さんと

は話ができるかな?ソ連で見つけたダムの機材の刻印のことを聞きたいんだ。もしかしたら、私がつくったダムが仲山君のお兄さんが連れていかれたところにもっていかれたのかもしれない。もしそれが本当だったら、俺たちの造ったダムが遠いソ連のどこかで活躍しているのかもしれない。」

渡辺所長は身を乗り出して松太郎に問いかけた。その顔はいききとし輝いていた。

「何とか所長さんのお気持ちに応えられる

よう頑張ります。仲山のお兄さんが退院し

て鬼が島に帰っているようでしたら大丈夫

だと思います。時期はわかりませんが、弟

の仲山君とは社内でも気が合うのでなんと

か力を貸してくれると思います。今度、弟

の仲山を連れて参りましょうか?彼だった

ら私よりお兄さんからダムのことをもっと

詳しく聞いて、所長さんに話してくれると

思います。」

「ああ、それは是非、頼む。弟さんを連れてきてくれ。

おい、北君、事務関係の帳面や紙が必要と

いってたな。海老名さん、北君が必要な注文の明細をもってきます。できるだけ早くもってきてくれませんか?仲山君の弟さんも是非連れてきてもらえませんか?左近君、できるだけ、そのダムのお兄さんの証言をまとめておいてくれ。」

何気ない話から光が射した瞬間だった。海

老名は、まさか注文までもらえるとは思ってもみなかった。そしてこれからダム建設にのぞむ渡辺所長の決意を感じていた。かつて自分がつくったダムがこんなところで活躍をし

ていることを社員に伝え、これからの日本のダム建設とその高い技術を後世に伝えようという気持ちが伝わってきた。

 会社へ帰り、親方と仲山に丸松建設の商談のことを報告した。親方は快く丸松建設との取引を承諾した。田中商店の取引を妨害することなく、積極的に提案しダム建設を側面から協力するよう指示があった。仲山もお兄さんの病状のこともあるが、できるだけ協力をしたいことを約束してくれた。海老名は、ダム関係の営業を松太郎と仲山に担当させたかった。売上や人材育成のこともあるが、渡辺所長の気持ちに応えられるのは彼らが適任と思った。

 丸松建設との取引開始でダム建設の日用品の営業体制が編成された。納品は週一回。納品のときに、海老名と松太郎か仲山が同行する。仲山は納品日までにお兄さんから、ソ連のダムのことを聞いてまとめることを優先させた。その報告は松太郎か仲山どちらかが渡辺所長に報告する取り決めが確認された。もちろん、来週分の注文をいただいてくることは忘れずに。これは忘れてはならなかった。

次の週、注文の納品に丸松建設を海老名と仲山とで訪問した。仲山は兄が出くわしたソ連のダムのことを時間のかぎりまとめた。偶然、兄は退院してきており話してくれた。相当な苦労を乗り越えてきたので、思いだせないところはあった。兄からの話を紙にまとめて渡辺所長に話した。やはり渡辺所長がつくったダムと仲山の兄がでくわしたダムの機材は共通しているようだった。仲山のお兄さんも、早く体を元に戻して渡辺所長さんにお会いしてダムのことや満州の話をうかがいたいことを報告した。渡辺所長は、感激し次回までに聞いてきてほしいことを書いて仲山に渡した。帰り際、丸松建設の事務員から注文の紙が海老名に渡された。


 松太郎は、海老名と仲山が丸松建設へ営業しているときは、仲山の仕事のフォローを代わりに行っていた。内村酒店のフォローで、内村酒店は、酒、たばこ、食料品、日用品全般を販売していた。この当時、あらゆる商品を揃え、抜群の集客をしていた店だった。酒、たばこの免許をもっているので、朝早くから夜遅くまでお客さんが絶えなかった。酒やたばこを買っていくついでに食品や日用品も買っていこうと購買意欲をかきたてる店の仕組みにしていた。松太郎は、仲山はいい店のフォローをしていると思った。店主から、本間重太郎商店が扱ったことがない商品の問い合わせを仰せつかり、仕入先の開拓や商品の調査、流行の先取りをすることができていた。それが仲山の能力を引き出すことにもなっていた。同じように松太郎へも店主から商品の問い合わせや質問があった。松太郎は期待にこたえようと必死になって調べていた。松太郎はファミリー商事の仕入にかかわっていることで菓子の新製品や売れ筋情報は話すことができた。さらに日用品の佐藤商事の事務処理を行っていたので、日用品の話も織り交ぜることもできた。店主も仲山と違う松太郎の情報や商品知識に興味をもった。注文も日用品ばかりでなく、お菓子の注文ももらえ、仲山よりも売り上げがよかった。松太郎の真面目な仕事ぶりは評価され、内村酒店の倉庫にまで入ることを許されていた。しかし、後先を考えない注文と商品管理の杜撰さは大量の不良在庫を抱えていた。松太郎が倉庫に入ると、年数がたった飲み物の山が目に入った。食品問屋にあとで返品するのだという。こんなことが何回もあり、対応するメーカーは問題視している話を耳にした。本間重太郎商店は飲料の扱いは柳沢製薬だけで内村酒店への納品はなかったのが幸いしていた。

 事件が起こった。鬼が島の和田という人物から飲料メーカー・スリーバードに苦情が入った。内容は、

 内村酒店からスリーバードのジュースを買

ったが三年も前の古い商品だった。こんな

古い商品を飲んで、健康を害したらどうし

てくれるんだ。内村酒店に苦情をいったら

何もやってくれない。お宅のほうで返品を

とってほしい。

スリーバードは直接の消費者からの要請なので動かなければならない。和田という人物のところへお詫びに伺い、内村商店から買ったジュース、十ケースの代金を返金、お詫びの粗品を添えて、この苦情を処理したとう内容だった。

これは、内村酒店の自作自演だった。内村酒店の無謀な仕入れと商品管理の杜撰さで商品が古くなって売れなくなってしまった。その返品処理を問屋やメーカーは、もう対応しきれないところまできていた。そこで内村酒店は元店員の和田を使って、メーカーに直接連絡をいれ、消費者として苦情をあげて、商品の処理を行おうとしていたのであった。

松太郎は、この巧妙な処理を知り唖然とした。商品管理はどんな規模でも行わなければならないと思った。


ダム工事の受注は好調だった。仲山の兄の存在が丸松建設の渡辺所長の心を動かしていた。商談は、いつのまにか仲山のお兄さんからのダムの報告が時間のほとんどを占めてしまっていた。話が終わると事務員が来週納品の注文書を渡すようになっていた。丸松建設の本間重太郎商店への信用が高まり、宿舎の福利厚生までを依頼されるようになっていた

。来月に開催されるダム工事業者参加の運動会の景品の企画だった。一等は鬼が島の地酒で決まっていて、手配は丸松建設が行うが、問題は二等以下の景品が決まっていなかった。本間重太郎商店に予算を渡すから二等から五等までの景品を考えて用意してほしいとのことだった。海老名はこのような要請は初めてだったが、取扱い品の日用品やお菓子などで何とかできるのではないかと考えた。一等は日本酒なので二等はつまみだ。ファミリー商事からのおつまみを使う。三等は帳面、四等はポリナミンE、五等はチリ紙。すべて取扱品で間に合わせることができた。

この仕事は本間重太郎商店にとって今までの問屋業と違う商いのやり方だった。選定した商品があってお得意様から仕入れていただくやり方が、形になっていないお得意様の要望を自社の取扱商品や仕入業者や仕入れ方法を通じ、形作り提案するやり方への第一歩となるものだった。


 メーカーによる価格支配のしくみのひとつが『建値』による取引価格の強制である。メーカー希望小売価格、標準卸売価格、納価(建値)をメーカー主導で決め、商品のブランド化、取引先に頭を下げさせるリベート支払いシステムの構築でメーカーの権威づけと値崩れを防いでいた。並行して自社製品の幅広い販路拡大をするためには地方の二次問屋の力は必要だった。二次問屋の販売網に自社製品をのせ、販売してもらいたい。二次問屋は地方のすみずみ、僻地まで商品を行き渡らせることができ、少々高くても、ブランドは落ちても小売店を説得できる力がある。その力を使いたい。それに必要なことは、お金の流れ(請求と回収)と物の流れ(商品の供給)の仕組みを創ることだった。お金の流れは、『帳合』ができる一次問屋を二次問屋に決めてもらい解決した。帳合を決めてもらうと商品の請求は一次問屋から二次問屋への請求書に乗せられ支払われる。納価の計上方法は建値を使う。特売や値引きなどの補てんの対応は二次問屋へリベートで支払う。次に物の流れ(商品の流れ)を解決しなければならない。商品は一次問屋の倉庫から二次問屋へ納品の実績はある。おおまかな商品の供給は可能だ

。しかし一次問屋の商品の受入れ体制(倉庫の大きさや事務処理など)の限界や発送コストがかさむ問題がでてくる。メーカーはより多く自社製品を二次問屋に採用してもらいたい。地域により商品の種類、グレード、大きさなど売れ筋が違う。そして購買層も違うので、できるだけ地域にあった商品を提案する必要があった。メーカーの倉庫から二次問屋の倉庫までを直送できる物流体制をつくれば

、解決できた。しかも二次問屋の倉庫に在庫を置くことができ迅速な配送ができる。一次問屋の負担も軽くなる。しかし当時は物流網が整備されておらずメーカーから二次問屋へ直送できるメーカーは限られていた。高速道路などの道路の整備が、まだできていなかった。それができないと運送コスト、物流費が高くなり、二次問屋への直送はできない。物流の整備が地方へ商品を円滑に行き渡らせる

鍵を握っていた。


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