第2話 本間重太郎商店へ

今日から松太郎の新しい生活がはじまる。前日の夕方に万福寺に入り、荷物の整理に夢中になっていたら朝になっていた。朝の六時には会社にいっていた。最初の朝食がでるからだ。食堂に入ると、従業員が今から朝食を食べようとしていた。上司の海老名がきた。

 「左近君、おはよう。今日から仕事だ。最初は、わからないことが多いと思うから、先輩たちの仕事をよく見て、どんな流れになっているか、理解してくれ。わからないことがあったら聞いてくれ。いわれたこと、注意されたことは紙に書いて復習する癖をつけてくれ。体で覚えることが重要だ。これを着けて仕事をしてくれ」

 海老名から会社の名前が刺繍してある上着

と前掛け、小さな箱がが渡された。小さな箱

の中にはタオル、メモ帳、豆伝票、えんぴつ

がはいっていた。

 「箱の中にメモ帳と筆記具が入ってる。仕事上で覚えなきゃいけないことや注意されたことを書いて家で復習するといい。豆伝は、お得意様とのやり取りの中で、いろん

なことに使える。注文、返品、仮伝、伝言など、仕事をしてるうちに使い方がわかってくる。それと、お前と同じ歳の下働きがいる。須藤、宮田、仲山だ。同じ夜学に通っていたり、家庭の事情で入社してきたものたちだ。」

 海老名がそういうと、松太郎を三人にひき

あわせた。

 須藤良夫は、街の居酒屋の息子であった。

三男坊で、店の仕入れの関係で本間繁太郎商

店と取引があり、修行の意味合いも込めての

入社であった。会社としては須藤の店との取

引を増やすことを考えてのこともあった。取

引先の御曹司をひきとって教育する習慣は多

く、教育ばかりでなく、取引先に恩を売るね

らいもあった。宮田仁吉は、おとなしく真面

目そうな男だ。融通が利かず、いわれたこと

しかできない男だった。急な用事や問題が起

きたときは、まずは使えなかった。安定志向

の人間であり、公務員になったほうがよかっ

た人間だった。仲山太一郎と松太郎とは気が

あった。生まれは海岸線の漁師町だった。松

太郎の家と同じく、兄弟が多い家の生まれだ

った。農業、漁業、炭焼きなどをして生計を

立てていた。小さいころから親の仕事を手伝

っていたことが、松太郎と境遇が似ていた。

可哀相に思ったことは、二人の兄が満州に渡

り、戦争で大変な苦労をしていたことだった

。上の兄は、五年前にシベリアから帰国して

いた。かなりの重労働だったらしく、体重が

二十キロも減って帰国していた。ソ連との戦

闘で腰に重傷を負い、入退院を繰り返してい

るという。二番目の兄は、満州に取り残され

、戦後の混乱の中、行方不明になっていた。

二番目の兄の消息を捜していた。兄のことと

なると、涙をうかべる姿が印象に残っていた。

 松太郎の一日は、朝食が終わると、親方へあいさつの後、すぐに仕事に取り掛かる。昼食をはさみ、午後五時に仕事が終われるよう、仕事をこなす。そこから学校に登校する。夜の十時まで授業を受ける。夕食、帰宅、やっと自分の時間がもて、床に就くのは深夜になる。会社の休みは二週間に一回。それでも昔は盆、暮れしか休みをもらえなかったらしい。初日は見学をかねたものだったが、次の日から仕事をおぼえることに必死だった。

 次の日から松太郎は一社員としてしごかれた。朝食後、始業前のそうじの指示があった。会社の前、倉庫の中にある段ボールや荷造り紐の整理とそうじ、ごみ捨てが下働きの仕事だ。親方へのあいさつが終わると、朝礼が行われる。会社の従業員全員が集まり、親方や役員からの話を聞く。親方の訓示、今日一日の予定、大きな納品の予定と人員の配置、新しい商品、仕入れ先、お得意様のこと、道路工事などによる通行止めのことなど、知っておくべき話や指示がだされていた。松太郎、須藤、宮田、仲山ら下働きのものは緊張して聞いていた。先輩従業員の真剣な顔つきから仕事の厳しさがにじみでていた。

 朝礼が終わると、港に荷物をとりに行く。島の流通は独特のものだ。商品の入荷の手段は船だけなので、商品は港で引き渡される。「港止め」という慣習で、船会社の倉庫に会社ごとに商品が置かれていた。それを朝のうちに引き取る。港から会社までの運賃が節約でき、原価を抑えられる。この当時の主流の仕入れ商品の引き取り方法だった。松太郎は海老名の運転するトラックに乗り船会社のある港へゆく。船会社の倉庫には本間重太郎商店以外にも多数の業者のトラックでごったがえしていた。倉庫には食品、菓子、建築資材、肥料、日用品から車両まで、いろんなものが並べられていた。船から荷物を降ろす船会社のトラックやフォークリフトが所狭しと排気ガスを噴き出し往復していた。船会社の事務所で今日入荷の本間重太郎商店宛ての荷物の伝票を渡された。仕入れ先ごとに伝票がわかれ、伝票には、商品名、個数、配置してある場所が記されている。松太郎は、海老名の運転するトラックに商品のある場所を教え、いっしょになって荷物を積み込む。荷物は、仕入れ先によって様々だった。チリ紙のように大きく嵩があり軽いもの、歯磨きの荷物のように、一見小さく簡単に運べそうでも重いもの、業務用の洗剤などは一斗缶(約十八キロ)で入荷するので重かった。ロッカーや棚など一人で運べない商品もあった。日によって入荷する数量や種類が違うので、トラック一台でいいときもあれば、何往復かしなければならない日もあった。トラックに荷物を積むときは、荷物とトラックを往復するのだが数量が多いときは手渡しで行われることが多かった。そのときは、手渡しに船会社の人も助けてくれた。何も指示されることなく、阿吽の呼吸でリズムよく荷物がトラックに積み込まれる。荷物をとるもの、それを受け取りトラックの荷台へ置くもの、トラックの中でその荷物を奥へ運ぶもの。一定のリズムで一連の作業が円滑にすすめられ作業がはかどった。松太郎は目に見えない信頼関係やいっしょに汗を流す喜びを見つけていた。

 トラックは会社へ戻り、今度は入庫作業だ。荷物は倉庫の所定の場所に置かなければならない。海老名が注意したことがあった。商品の場所をおぼえろということと、商品は今日着いたものは、一番下にする。つまり最後に出すようにすることであった。先入先出しといって、今日着いた荷物は一番最後に出荷する方法であった。倉庫の日付管理を荷物の積み降ろしで同時に行われていた。松太郎は、農作業で体力はあるほうだったが、なにせかってが違った。荷物の大きさや重さがそれぞれ違い筋肉痛や疲労がおきていた。商品を置く場所がわからなく、先輩や海老名に聞いたり、自分で探しながら体で覚えていった。先輩や海老名に質問することで互いの意思疎通を築くこともできるように思えた。商品のある場所がわかると、そこにそのまま置くのではなく、一旦、在庫をとりだし、今日入荷の荷物を一番下にして在庫をその上に置く。余計な仕事と思いつつも、これを怠ると叱られるのは目に見えていた。ときおり親方がそばを通り厳しい目を光らせていた。

 松太郎と海老名が倉庫への搬入をしている間、他の社員たちは商品の出荷作業を同時にすすめていた。本間繁太郎商店は一日に三、四路線の配送を組んでいた。松太郎は商品の搬入が終わると、そのまま海老名が担当する路線の荷造りを行うことになっていた。注文は、予め海老名が二日前にとってきた注文と電話での注文が納品書として既に事務所で作成されていた。海老名から数枚の伝票をうけとった松太郎は、伝票に記載されている商品を数量通り倉庫からもってきてトラックに積み込む。伝票を見ると、お得意様名、商品名、数量、単価、金額が記載してあった。台車を押しながら商品をとってくる。一箱単位の注文もあれば、箱をバラして入り数の半分の注文も様々だった。半端な数量の注文は数量違いがおきやすい。また、数えること時間や別の半端な注文との混載し縄で縛る手間もあった。縛り方が悪いと荷崩れや商品に破損がでることもあり初心者の松太郎には大変な作業だった。そばで親方が縄の縛り方を教えてくれた。教えたことができてないと鉄拳が飛んできた。同時に親方から商品の在庫が少なくなったら確実に報告するよういわれていた。

それを怠ると、親方の鉄拳がまた飛んできた。これは問屋としての信用にかかわることにつながっていた。商品の品切れは売上以上に響くものだった。問屋としての売り上げばかりでなく、お得意様への信用も失うからだ。せっかくとってきた注文も納品ができないと、店によって、その商品は他社に注文されてしまう。本間重太郎商店はあてにならない。いつも品切れしている。そんな話が積もれば、会社としての信頼は一気に落ちてしまう。親方や海老名からの指示は、商品はなくなってから報告するのではなく、在庫が一、二箱くらいのときに確実に報告をすることだった。

品切れの報告の仕方は、倉庫の事務机に商品分類ごとに帳面が用意されている。荷造りしているときに、すぐに書けるようにするためだ。品切れたり、在庫が少なくなった商品を書くようになっている。自分が少ないと思った商品は間違ってもいいから全部書くことがきまりだった。仮に間違っていても、発注担当者が確認をすればいいことだ。品切れ報告には、売れ行きが悪く、早期に在庫処分しなければならない商品の在庫の進捗にも使われる。帳面には報告日付、商品名、在庫数量を書けるようになっている。報告された商品は発注担当者へまわされ一次問屋へ注文される。商品は注文してから納品されるには翌日入荷するものもあれば、発注数量をまとめて数日かかるものがあった。商品到着まで在庫があるようにするためだった。


松太郎が荷造りをしているとき、親方の怒鳴り声が聞こえた。入社三年目の近藤登が親方から怒られていた。チリ紙の在庫報告を怠っていたからであった。幸いにも注文締切の時間に間に合ったので品切れは回避できたが、ひとつの報告を怠ることで大変なことが起きるのだという空気が会社に流れた。松太郎は、親方や海老名から叱られないよう、常に紙をもって在庫数量に細心の注意をするようにしていた。


 商品によって売れる速さは違っていた。チリ紙や鉛筆、洗剤など日頃、よく使うものは、一日に数箱は動いていた。それらの仕入れ発注も毎日行わなければならなかった。筆箱や画用紙などは数か月に一回、線香や机などは季節ごとに一回と発注頻度であった。発注する頻度、数量は経験がものをいった。また、新製品の中でも売れ行きがよくないものもあった。取り扱いを中止すべきか、あと一回発注すべきかの判断は仕入れ担当者の経験とお得意様の反応で左右された。この判断を誤ると不良在庫や機会損失になる。

 荷造りが終わると積み込み作業だ。今日の路線は海老名の指示で四路線に組まれた。遠くの地域へはトラック、近くへは自転車、リヤカーで配送する。配達をするものが伝票を順番に並び替える。日によって訪問するお得意様も違うこともある。また都合で配達時間を遅くしてほしいとの要望もあった。ここをうまく考え、一筆書きを描くように配達の順番を決めてゆく。松太郎は自動車免許をまだもてる年齢になっていないので、配達の助手か近くの配達が任される予定であった。入社早々ということもあり、しばらくは海老名といっしょに配達をするよう親方からいわれていた。海老名のやっている仕事をおぼえること、お得意様をおぼえること、商品をおぼえること、会社の中の仕事の流れ、人間関係、やることは山積みだった。

 トラックの積み込みが始まった。順番にした伝票の最後のお得意様から積み込む。それをさかのぼって順番に積み込んでゆく。注文によって荷物の大きさ、重さは様々だった。重いものを下にして軽いものを上に積まないと、荷物がつぶれてしまう。これがなかなか身につかない。ついつい軽いもの荷物の上に重い荷物を積んでしまう。うまく荷物同士を組み合わせ積み込まなければならない。荷物がすくないときはいいのだが、多いときは空間や積み方工夫しないとトラックに積めなくなってしまう。予め伝票を見て荷物の数量や大きさを頭にいれ、うまく組みあわせることが必要な作業だった。積み込みには、声をだして伝票と荷物をあわせる。積み忘れや誤配送は絶対にしてはならなかった。

 積み込みは三十分程度で終了し、いよいよ配達だった。松太郎は生まれ故郷の鳥越より外にでたことはなかった。鬼が島にはどんなところがあるのだろう。どんなお得意様があるのか、楽しみがあった。今回は鬼が島の南西部の配達だった。海岸線を走り、そこにあるお得意様へ配達する。山を越えて島を四分の一周する配達路線だった。

 海老名の運転するトラックの助手席に乗り出発した。窓を開け風に当たりながら海を見いっていた。山の中での暮らししか世の中をしらない松太郎にとって海は未知の世界だった。四月なので少し風が冷たい。それが心地よかった。沖に船が見え、漁をしていた。通り過ぎる家々、農作業の風景、五穀豊穣を祈る祭りの風景が松太郎の目に飛び込んできた

。道は舗装がされていない。岩をくりぬいたトンネルくぐり、見下ろせば崖で運転を誤れば海へ真っ逆さまという危険な場所も通った。揺られながらの道中だった。

 運転をしながら海老名が納品の心得を教えてくれた。

 「松、お得意さんへは頭を低くして元気なあいさつを心掛けていてくれ。『毎度ありがとうございます』で入って、『商品はどこに置かせていただきましょうか?』と尋ね、最後は『ありがとうございました。またよろしくおねがいします』でお得意様か

らでるようにしてくれ。店の名前と場所は自分で紙に書いて憶えておくといい。伝票は順番通りにしてある。お得意様へ着いたら、伝票と商品を合わせて、商品と数量、荷物の総個数をあわせてから納品するように。商品は積み込むときに合わせてあるが、間違いがあることがある。商品と伝票が合っているか、数量が合っているかを再度確認する癖をつけてくれ。数量を多く納品すると会社は損をするし、間違った商品を納めていたり、数が少ないと、お得意様へ迷惑がかかる。会社の信用問題にもなる。あと、少ししたら最初の店に着く。今言ったことを守って仕事をしてくれ。最初は俺が教えるから、それを覚えてくれ。」

 最初の店に着いた。松太郎は、すぐにトラ

ックを降り、伝票を片手に荷台の前に立った

。目の前には高く積まれた商品の山。ここか

ら、注文の商品をおろさなければならない。

間違わないように、伝票と商品の山を見る。

ノートと鉛筆、習字道具の注文だった。商品

がわからなく、伝票と商品が合わせることが

できない。海老名が手取り足取り教えてくれ

た。商品を合わせ、数量を合わせ、個数を合

わせ、間違いがないことを確認し、いよいよ

お店に入ってゆく。海老名が前にいたが、松

太郎にとっては初めての納品だ。海老名の後

について荷物を持ちながら、心臓が大きく

鳴っているのがわかった。

 「こんちは。毎度どうも。本間重太郎です。いつもお世話になっております。」

 「あら、海老名さん。ご苦労様。新人さん?」店主はやさしそうな老婆だった。

 「はい、左近といって今日から働いています。昼間はうちで働いて夜は高校に通ってます。いろいろ教えてやって下さい。よろしくお願いします。松、あいさつだ。」

 「左近松太郎といいます。いつもお世話になっております。ご注文の商品はどちらに置かせていただいたらよろしいでしょうか?」

 松太郎はぎこちなくあいさつし納品をした

。商品を置いてやっと、店の様子や店主の顔

を見ることができた。この店は文房具の他に

酒や食料品、お菓子を販売していた。店の中

を見まわすと、生まれ故郷の鳥越の店には置

かれてない商品がたくさんあった。

 最初の店の納品が終わると、次の店、次の

店と配達をしていった。お得意様も食料品店

から雑貨店、漁業事務所、幼稚園、学校と様

々だった。今日の配達の品物は新入生の入学

があることで文房具や教材の注文が多かった。

松太郎は、間違わないよう、わからなかった

ら海老名に教わりながら、一日を終えること

ができた。松太郎のシャツは汗でびっしょり

。手は荷物の出し入れや運搬で小さな傷が無

数にできていた。商品やお得意様のことは最

初からわからないのはわかっていた。海老名

とお得意様との会話で気づいたことがあった。

お得意様の呼び方が独特なものだった。年配

のお得意様へは『お父さん』『お母さん』、若

い人へは『お兄さん』『お姉さん』と呼んで

いるところだった。

仕事が終わると、松太郎は高校へ行かなけ

ればならない。急いで夕食を口に入れ、学生服に着替え、鬼が島高校定時制へ登校した。

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