左近松太郎 失われた二次問屋の足跡

@kemirona1317

第1話 松太郎生まれる

ここは日本海に浮かぶ孤島、鬼が島。この島には約十万人が住んでいる。周囲は二百キロに及ぶ海岸線が連なる。形は丸型に近い。平地は真ん中に少しあるだけで、ほとんどが山である。北にいくと滝で分断されている場所がある。ここで道は途切れ、通るには渡し船か山を登ってまわってこなければならない。本土との連絡船は一日四便。島民はこれを使って本土と島を往来する。新聞、食料品、日用品などの生活物資の供給はすべて連絡船に頼っていた。連絡船が止まると一大事だった。冬になると寒波が襲来し、海は大荒れ。年に数回は欠航になってしまう。産業は農業、漁業が中心なので冬は、ほとんど仕事ができない。島民は、この季節を耐えしのぎ、春を待つ。雪が融け、黒い雲の間から青空がのぞき太陽が照り始めると島民の気持ちは一気に明るくなる。氏神への五穀豊漁、家内安全の願いをこめた祭りが各地域で催される。島民の気持ちは高まり活気をおびてくる。祭りがおわると、いよいよ田植えがはじまる。

 昭和十二年九月一日、鬼が島の山間部の鳥越という部落で左近松太郎は生まれた。左近家は元々山伏で鎌倉時代に近江の国から移住をしてきた。父、乙吉は料理人だった。主に冠婚葬祭などの行事の料理を一手引き受けていた。行事がはいると先方の家に一週間は泊まり込みで料理をつくる。家には家庭にある鍋、食器以外に、色彩豊かな絵柄の大きな皿、焼菓子を焼く銅の鍋。それを切る子供の背丈はある大きな包丁があった。

 父が家の空ける日が多いので母ウメが左近家を切り盛りしていた。左近家は農業で生計を立てていた。主な作物は米、野菜であった。また季節により自然に生えてくる筍、山菜、松茸を採っていた。松太郎の上には、兄一人、姉が一人、あとで弟が一人、妹が二人生まれる。この当時、子供は貴重な労働力であった。小学校に入ると、否応なく家の仕事に駆り出される。

長兄の忠司は、学校から帰ると母といっしょに農作業を手伝っていた。姉のヤヨは幼い松太郎を背負い、家事、洗濯、掃除の毎日である。ヤヨは、これから続々生まれてくる弟、大二郎、妹、トモ、かおるの子守をする。

 春は桜が咲き、小鳥がさえずり、川は雪解け水を下流へ流し、心地よいせせらぎを奏で、のどかな風景が広がる。田んぼに水が張られ一家総出で田植えがはじまる。父の乙吉も行事が重ならないかぎり田植えをする。母のウメと忠司も泥になっていた。近くで小さい松太郎、大大二郎がはしゃぐ。姉のヤヨは妹をおぶり昼食を作ってとどける日々が続く。

 夏には薪ひろいと山菜採り。蝉が鳴く中、ブトや蚊に刺されながらの格闘の日々。漆のかぶれや蝮に噛まれないよう細心の注意がはらわれていた。いっときの休みには川をせき止め、兄弟そろって泳いだ。ヤヨは日頃、松太郎や大二郎の世話をしているせいか姉貴肌をふかせる。二人の弟を両脇に従わせ、泳ぎを教えていた。岩場では妹のトモ、かおるがスヤスヤと寝ていた。

 秋には、稲刈りが待っていた。田植えのときと同様、一家総出の作業であった。稲を

刈り、それを天日に干す。脱穀、袋詰め。すべて手作業であった。稲刈りが終わると、松太郎は山へ薪を拾いの仕事をしなければならなかった。これから迎える冬に向けての燃料の備蓄のためであった。このころ松太郎は時間をみつけては本を読むようになっていた。生来の好奇心が芽生え、納豆をつくろうと思っていた。余った稲わらを集め、そこに煮た大豆をいれ、風呂の湯気がでるところで保存した。最初はうまくいかなかったが改良を重ね、見事、自家製の納豆をつくることができた。いたずらの知恵もしっかり身につけていた。いつも相棒は弟の大二郎であった。いたずらが過ぎ、父親からひっぱたかれるのは日常茶飯事。さすがに乙吉も手を焼き、松太郎を暗い蔵に閉じ込めた。暗闇は子供に恐怖を植え付け、泣きながら許しを請う。そこから、松太郎は、やってはいけないことを自然と学んでいた。こうしてお仕置きをうける日々が続き、人間としての常識が植えられていた。

兄弟同士のいたずらもいろいろあった。木の上から松太郎、大二郎と二人でヤヨをめがけて小便の雨を降らせた。二人は、してやったりの高揚した気分だったが、昼食にはワサビを大量にいれられ、姉の思わぬ逆襲にもあったりしていた。

松太郎が中学生になったとき、恒例の修学旅行があった。行く先は、島の表玄関の港、長江港であった。ここは、船の発着があり、人、車、物資の往来があった。松太郎にとっては見たこともない世界だった。生徒全員、朝早く起き、一時間、バスの停留所まで歩いた。長江港行きのバスに乗る。バスに揺られながら、住んでいる鳥越地域と違う街の風景を不思議そうに見つめる生徒たち。一時間もバスに乗ると目的地の長江港が見えていた。青々とした海と潮の香り。船の汽笛が鳴り響いていた。人々は忙しそうに歩いていた。会社の建物が並び、車の往来が激しい。山の奥、鳥越からでてきた生徒たちにとって別世界であった。松太郎は、ふと一軒の食料品店に目がいった。そこには、棚いっぱいに並べられた缶詰、調味料、菓子があった。鳥越の章句良品店、松浦商店に置いてある商品と比べて商品の品数や品質がまったく違っていた。商品の「古さ」が街や文化の発達の違いを生じさせていた。また松浦商店に、どのようにして商品をもってきているのか不思議に思っていた。つぎに松太郎は本屋に入った。そこで辞書を一冊買った。松太郎には貧乏の辛さから抜けだしたかった。それには学問を学び、大学をでて、良い会社に就職することであった。それには、大学に進学できる高校に入る必要があった。ここにある鬼が島高校だと大学に行ける学力をつけさせてもらえる。この高校へ通うには、鳥越部落を離れ下宿しなければならない。お金の工面をどうすればいいのか、家にはそんな金はない。仕事で疲れ切った両親の姿、弟、妹たちを世話している姉の姿を見ていると、自分の勝手ばかりしていいのか、家の仕事を手伝ったほうがいいのか悩んでいた。松太郎の悩みは日に日に大きくなっていった。

松太郎の成績は、鳥越集落の中学校のレベルでは断トツであった。英語と数学が得意だった。中でも英語は、アメリカ進駐軍があったこともあり、アメリカ兵とは日常会話にことかかないレベルまで達していた。学校の近くにアメリカ軍宿舎があり、話があいそうなアメリカ兵に目星をつけ話しかける。最初は学校で習ったぎこちない英語だったが、身振り手振りと辞書片手の一生懸命さがアメリカ兵の理解を生み、しだいに会話がはずむようになっていた。松太郎自身、英会話は楽しく感じ、自分の能力をもっと伸ばしたいと思っていた。そうするためには高校をでて大学へ行きたい。進学の希望は大きくなっていた。

中学校の担任の土屋秀雄も松太郎の将来を案じていた。学校始まって以来の高成績。十分大学への進学が可能な成績であった。土屋は陸軍士官学校をでて、故郷に赴任してきていた。若くバイタリティーがあり、熱心な教師だった。生徒の長所を見極め、それを伸ばすことに使命に思っていた。生徒の自主性を重んじ、自由な意見を言い合える場をつくることに長けていた。授業が白熱してくると、終業時間を過ぎてまで教えた。生徒が嘘をついたり、約束を破ることを嫌っていた。これをした生徒は男女関係なく叱った。廊下に立たせるだけでなく、容赦ないビンタが飛んでくる。ビンタされた生徒は黒板に後頭部をぶつけるくらい飛ばされた。生徒たちも何故、叱られているのか、涙を流しながらわかっていた。一人ひとりが土屋から愛情のある指導をしてもらっているのだと。

「松太郎、お前、最近元気がないようだが何かあったのか?」

「先生、何にもないです。家の仕事で疲れているんだと思います。」

「松太郎、お前な、うそをついても顔にちゃんと書いてあるぞ。卒業の後の進路のことだろ!お前大学にいきたいんだろ?お前の両親や兄弟のことを考えると、なかなかいいだせないんだろ?だがな、お前は次男坊だ。いずれはでていなかくてはならないんだ。俺としては、お前の能力は世の中の役に立つことができる。お前は、よい教育をうけるべきだと思う。俺は、お前の発想力と行動力を買っているんだ。」

「先生、ありがとうございます。でも、どうしていいか悩んでいるんです。家には俺の学費をだせるほどのお金はないと思います。」

「松太郎、お前が働いて学校へ行け。」

「先生、そんなことできるんですか?」

「鬼が島高校の夜学だ。夜学だから卒業まで四年かかるが、お前の根性ならやりとおせると思う。試験を受ける必要があるが、お前の成績なら学校として推薦はできる。」「鬼が島高校・・・。夜学か・・・。先生、やります!ここで頑張ります!」

「松太郎!よくいった!よし、これからお前の家だ。両親のことはまかせろ!」

松太郎は土屋の気持ちが本当にうれしかった・・・。

その夜、土屋と松太郎は左近家で父乙吉、

母ウメと松太郎の将来を話していた。

 「お父さん、お母さん、松太郎君の進路に

ついての相談なんですが・・・。」

「・・・」

乙吉、ヤヨとも落ち着かない様子だった。

「松太郎君は本当に成績がよく、教師として進学をさせたほうが、松太郎君の将来にとっていいと思い、今日、時間をとってもらいました。来年、卒業するにあたって高校へ進学をお願いしたいと思っております。松太郎君だったら、順調にいけば大学を目指せる逸材だと思っております。」

「先生、お気持ちはわかるのですが、ごらんのとおり私どもと子供たちだけでも食べてゆくだけでも精一杯なんです。どこに松の学費がだせる金がありましょう。長男の忠司をやっと街に働きにだせたんですから・・・。」

「お父さん、お母さん、夜学があります。松太郎君を昼間働いて、夜、勉強するんです。仕事は学校の斡旋がありますし、職場も勉学に理解があるところが多いと聞いています。学費が足りないときは奨学金で補えます。松太郎君の成績なら奨学金の申請は通ると思います。」

土屋は、ありったけの言葉を振り絞った。

一生徒の将来を思っての心ある言葉が家じゅうに響いていた。頭を下げる土屋。その姿に松太郎は声を上げざるをえなかった。

 「おやじ、おふくろ。俺は勉強がしてえ。大学に生きてえ。姉ちゃんや弟、妹を思うと心苦しい。でも必ず立派になって親孝行する。勉強を一生懸命やって家族のため、部落のために何かしたい。俺を高校へ行かせてくれ。頼む。」

 松太郎も土屋と一緒に手をついて頭を下げ

ていた。

 「先生、頭を上げてください。先生のお気

持ちはわかりました。そこまで先生がおっしゃるのでしたら、この松太郎、よろしく

お願いします。親として我が子のことをこ

こまで思っていただけるとは頭が下がります。学費や学校のことは先生にお任せします。よろしくお願いします。」

こうして松太郎は、鬼が島高校定時制を目

指せることになった。柱の陰で姉のヤヨが涙を流しながら、この光景を聞いていた・・・。

 鬼が島高校の入試では問題なく松太郎は合格した。松太郎にとって日頃猛勉強でやさしいものであった。土屋が事前に根回しをしていたおかげで昼間の仕事も決まっていた。本間重太郎商店といって島内を代表する日用品、雑貨の問屋であった。

 松太郎は土屋と面接で本間重太郎商店を訪れた。入口を入ると、そこには幾重にも連なる段ボールの山が目に入った。石鹸を取り扱っているのだろう、そのニオイが漂い、会社の雰囲気のように思えた。台車に荷物を載せている従業員、自転車、トラックに商品を乗せて忙しく歩き回る従業員が目に入った。すれ違うごとに挨拶が飛び交う。電話はひっきりなしに鳴り、事務員が対応していた。あまりにもの忙しさに声を荒げる事務員もいた。活気に満ちた会社であった。事務所に通され、しばらくして社長の本間重太郎が入ってきた。背は低いががっしりとした体格。眼光鋭い目つきは商売の厳しさがにじみでていた。事務員が忙しそうに電話応対をしていた。別の事務員は机いっぱいに伝票と紙を広げ帳簿をつけている。算盤をはじく音が電話の音と重なりあっていた。重太郎は席に着く前に事務員が何件かの要件が伝えると、すぐに重太郎は対応の指示をした。仕事の手際の良さがあった。重太郎は、社長と呼ばれず、親方と呼ばれていた。

土屋と松太郎は、直立して繁太郎にあいさつをした。

 「社長さん、このたびは生徒の左近松太郎

 の入社のお許しをいただきありがとうございました。担任の土屋です。これから、この左近がお世話になります。よろしくお願いします。」

 「先生、遠いところご苦労様です。ごらん 

のとおり、うちは洗剤や文房具など島内のほとんどの小売店に卸しております。島は広いもので各町や村、部落に百件以上の小売店があります。鳥越部落からでてきたんだね。あそこのお得意さんは、松本さん、新井さん、矢部さんがありますね。そこと取引がありますし、島内の小学校、中学校、高校にも紙や教材を卸しています。先生の中学校ももちろんお得意様台帳に記載してあります。左近君も慣れてきたら、故郷のお店まで配達や営業で訪れることがあるかもしれない。このときは、少しは実家にあいさつできる時間を許すから、安心して働いてくれ。

三食の食事はこちらで用意します。左近君、これから学業と仕事を両立しなければならない。頑張ってくれ。うちは、何百もあるお得意様がある関係で従業員の教育は徹底している。特に日頃の礼儀や会社の出退勤の規則は厳しいものがあると思う。一社会人として一人前になるよう、会社として甘やかすつもりはない。そこのところは理解してくれ。直接の仕事の面倒は、あそこにいる背の高い、海老名というものにいっておく。わからないところがあったら、海老名に聞いてくれ。あと、事務員の高野という女性が、事務関係の仕事の責任者だ。お得意様への伝票や請求書は事務がつくって営業や配達に渡す。ここの連絡がなっていないと困る。高野は直接の担当ではないが、伝票のことや事務的なことが聞かれることがあると思う。間違いがないよう、海老名や高野とうまくやってくれ。土屋先生、左近君、四月に待っています。頑張ってくれ。先生もご苦労様です・・・。」

面接が終わると倉庫の中を上司の海老名平

八が案内をしてくれた。本間繁太郎商店の主な取扱商品は日用品だった。日用品といっても幅が広い。松太郎の目には見たこともない量の洗剤、歯磨き、紙、ろうそく、線香、文房具の山が積まれていた。それらは分類され、きちんと棚に整理されていた。さらに奥には業務用の商品があった。学校用の棚や備品、縄、黒板などが段ボールに包まれて置かれていた。これらの商品は島内の小売店、飲食店、学校に卸していると海老名が説明した。

本間繁太郎商店は二次問屋という位置づけであった。流通業は、商品をつくるメーカー、次に全国問屋や地域の有力問屋が一次問屋としてあった。本間重太郎商店は鬼が島を販売地域とする地域問屋で二次問屋という扱いであった。商品の仕入れは一次問屋に注文をする。流通経路は厳格に守られていた。一次問屋からメーカーへは本間重太郎商店の存在と販売数量、納品価格が報告されており、仕入原価に反映されている仕組みになっていた。

当時の問屋は取扱品の“棲み分け”がなされており、野菜、魚などの生鮮、酒、食品、菓子、薬、日用品など主要取扱品の垣根は存在していた。商品分野ごとの競合相手は数社存在していたが、他分野商品の取扱いはできない暗黙のきまりがあった。お得意様から、どうしても他分野商品をもってきてほしいといわれも、ほとんど断っていた。これをすることで問屋としての威厳が保たれていた。現実的には「商品の扱い」に慣れているかということも原因にあげられる。日用品を扱う本間繁太郎商店は鮮度保持の魚や野菜などは保管や管理の問題があり取扱は不可能であった。食料品や菓子などは、季節や流行、大きさなどの商品知識や地域ごとの客層の売れ筋を頭にいれておく必要であった。問屋の使命は、その地域の住民の生活、好みにあった商品をメーカーの商品と突き合わせ、そこにあった商品を小売店へ卸すことであった。さらに時代の流行を見て、新しい切り口の商品を見つけ、流通ルートをつくり商品を根付かせ育成する。消費者のより便利な生活の手助けをすることも使命であった。

商品をつくるメーカーも自社の商品を優先的に販売してほしい。そのため特約店というお墨付きを問屋に与えていた。特約店の称号は問屋にとっては“格”があがる勲章のようなもの。その地域でのメーカーの商品を優先に販売する権利が与えられ、お得意様への強い発言ができた。

メーカーの格も様々だった。新聞広告などで名の知れた大手メーカー、準大手、地域を代表するメーカー、零細メーカーなど様々あった。大手のメーカーの特約店ともなると数万から数百万単位での保証金を問屋が払わなければならない。問屋として小売店に商品を卸すのに大手メーカーの商品は売りやすい。楽して売れる。しかし利益が少なく問屋の経営の効率は悪いものだった。それより格が下がるメーカーは認知度が低いため、説明や小売店の説得に時間がかかる。お客様に認知していただくためには多くの店に配布し、売れていくには時間が必要だった。その労力が実を結び販売量が多くなれば、メーカーも仕入れ値を下げ、利益があがりやすくなる。大手メーカーばかりの商品を取り扱うわけにはゆかず、問屋としての品ぞろえやメーカーの構成をどのようにしてゆくかは親方の腕次第であった。この当時の商品の流通はメーカー、問屋、小売店の明確な色分けがされていた。

問屋の機能は、商品の案内と売込み(営業)、商品の迅速な流通(配達)、代金の集金と支払い(事務)の三つの機能がある。これらがひとつでも欠けていたり、バランスがとれていないと組織として機能しない。この三つの部門の連携をいかにとれているかが、客先、仕入れ先、そして銀行からの信用や評価につながっていた。


延々と海老名の説明を土屋と松太郎は聞いていた。見たこともない商品の数と種類で圧倒されていた。海老名の専門的な話は理解できず頭を素通りしていた。松太郎は、農業をしている家とは全く違う環境に身を置くことに不安と期待が織り交じっていた。そして大学に入学するため、いつも以上に勉強に励むことを誓うのであった。

次に訪問したところは、下宿先の万福寺だ

った。本間繁太郎商店から歩いて十五分のところにあった。港が近い。住職の内田興厳にあいさつをし、部屋に案内された。四畳半の部屋だった。ここで勉強をするんだ。生活をするんだ。新しい生活が現実になろうとしていた。松太郎は、どんなことがおきようと、両親や骨をおってくれた土屋先生のためにも頑張らねばならないと思うのであった。


「じゃ、おやじ、おふくろ。永い間、お世話になりました。俺はこれから働きながら高校に通い、大学にいってみせる。仕事でこっちにきたときは顔をだすから心配しないでくれ」

「松太郎、頑張ってね」

「松兄ちゃん。会えなくなるの?」

「姉ちゃん、大二郎、トモ、かおる。大丈夫だ。兄ちゃん頑張るから・・・。また遊ぼう!」

これからバスに乗って、下宿先に向かう松

太郎。生活用品や勉強道具を背負い、家族と最後の別れ。たとえ同じ島の中にいるとはいえ、生活を共にしてきた家族がいなくなると、心の中に穴が開いたようで、そこから寂しさがこみ上げくる。家族全員がでてバス停まで見送ってくれた。重くて大きな荷物をバスに乗せるのに時間がかかった。はやる気持ちと家族との別れへの寂しさが入り混じっていた。

 「じゃ、いってくる。」

 そう松太郎がいうや、バスは土煙をあげて

発進した。後ろをふりかえると、家族全員がいつまでも見送ってくれていた。姉、弟、妹は目を真っ赤にして手を振っていた。段々、姿が小さくなっていく。もう、見送る姿はないだろうと思っていたが、母のヤヨだけが小走りにバスを追いかけていた。追いつけないのはわかっていた。百メートルいった橋のところで立ち止まり、欄干に手をかけ、じっと松太郎をみつめているのがわかった。

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