x+2日目



「~~~~~~?」

「~~~~~~~~~~~~~~~~~」


 ……夜になり、ソウコとミオナがリビングで何かを話している。

 毎回のように、二人の会話の内容は分からなかったが、どちらが喋ったのか、大雑把なイントネーションの違いなどを、ジュンイチは聞き分けられるようになっていた。

 今のやり取りは、ソウコが何か質問をして、ミオナがそれに答えたようだ。


 この状況で言うのは矛盾になるのかもしれないが、ソウコとミオナの関係は良好のようだった。

 二人が口論する様子も聞こえず、ミオナが一方的に罵られている訳でもない。


 ミオナがソウコの機嫌を取っているのだろうと予想したが、それと同時に、彼女がここからの脱出を諦めているのかと心配になる。

 ミオナの性格、ソウコとの関係性、体格の違いなどから、ソウコの言う通りにするしかないようだった。


 やはり、交渉出来るのは、自分だけだと、クローゼットの暗闇で、ジュンイチは一人苦い顔をした。

 ソウコがミオナを監禁する理由がまだはっきりしない状況で、ジュンイチは手足と口の自由を奪われている自分よりも、彼女のことが一番心配だった。


 そんなことを考えていると、リビングからの会話が途切れ、何かの動きがあったようだった。

 リビングのドアが開く音がして、二人分の足音が廊下で響いている。どうやら、ソウコがミオナをトイレに連れて行っているようだ。


 順位が廊下の方に意識を向けていると、突然ばたばたと走り出すような音が聞こえた。

 ミオナが逃げ出したんだ、ジュンイチははっと息を呑む。


 しかし、彼の望みに反して、ミオナは玄関まで走り抜けることはなかった。

 彼女は突然、ソウコの寝室に倒れかけながら入ってきた。


 思いもよらない展開に、クローゼットの僅かな隙間から、ドアの形に切り取られた廊下の灯りと、フローリングの上に倒れるミオナの姿が見えた。

 顔はこちらの方に向けられていて、ミオナの子供っぽい大きな瞳と目が合った。


――ミオナ


 恋人を呼ぶ声は、幸か不幸か、口を塞いだガムテープにぶつかった。

 口の中で、頭の中で、驚愕に満ちた声が行き場を失い、ぐるぐる回る。


「だめじゃないの、ミオナちゃん。そこに入っちゃあ」

「……ごめんなさい、ごめんなさい……」


 そんな一瞬の後、ソウコが窘めるような声を出しながら、寝室に入ってきた。

 ミオナはその場で動かないまま、何度も謝っている。

 彼女が泣いているのを、ジュンイチはしっかりと見ていた。


「ほら、立って。トイレに行くんでしょ」

「……はい」


 立ち上がったミオナは、ソウコに連れられて、寝室から出ていった。

 ジュンイチはその姿を、固まったまま眺めていた。

 久しぶりに見た生身のミオナは、少し痩せていて、以前よりも小さくなっていたようだった。


 逃走に失敗したミオナを案じる気持ちと、彼女をあそこまで追い詰めているソウコへの怒りと、そもそも二股をかけてしまったことへの自責の念が、ジュンイチの中で混じり合っていた。

 外からトイレの流れる音がして、彼はやっと我に返り、自分の鼻息が荒くなっていることに気が付いた。


 改めて廊下の方へ意識を向けると、ミオナはソウコとリビングに戻り、再び椅子に縛られてしまったようだった。

 逃げるのには失敗したが、それによってミオナの身に危険が及んだわけではないことが分かり、ジュンイチは一先ずほっとする。


 だが、ミオナと目があった瞬間から沸き上がった感情たちは、未だに胸の中で渦巻いていた。













「ミオナを今すぐ解放してほしい」


 ガムテープを剥がされたジュンイチの第一声に、ソウコは目を丸くした。

 戸惑ったソウコは手持ち無沙汰に、ガムテープを左の人差し指につけたり外したりしながら、口を開く。


「私も本当は早くそうしたいよ? でも、まだ目的が達成されていないのよ。だから、もうしばらくミオナちゃんには協力してもらわなくちゃ……」


 ソウコの声は段々と小さくなるが、ジュンイチは彼女を睨んだままだった。


「君は、ずっとそう言ってきた。目的が何なのかは全く分からないけれど、何か彼女から習ってるんだろ」

「ええ。ただそれだけだから、ミオナちゃんには何もしていないわ」

「本当にそうなのか?」


 初めて聞くジュンイチの冷たい言葉に、ソウコはぴたりと動きを止めた。


「ミオナと顔見知りなのなら、素直に頼めば、彼女は快く教えてくれるだろう。昨日君が言っていたように、嫉妬に駆られての行動じゃなければ、彼女の自由を奪う必要はないはずだ。結局、君は、僕を奪ったミオナを精神的に追い詰めるという、復讐を行っているだけだ」


 氷柱に胸を貫かれたかのように、ソウコは後ろに仰け反った。元々色白な顔はさらに血の気を失い、表情も凍り付いてしまっている。

 次の瞬間、ソウコは右手を大きく降りかざした。

 平手をされると覚悟したジュンイチだが、反射的に目を瞑る。しかし、頬に衝撃は来なかった。


 ジュンイチがそっと目を開けると、ソウコは細かく震える掌を頭よりも後ろに振り上げたままの姿勢だった。

 大きく開かれたソウコの瞳からは、宝石のような涙がぽろぽろと零れ落ちていく。


 ジュンイチは不意に、それが美しく見えた。

 ソウコの涙を見るのは初めてだった。映画を見る時も「泣ける」と触れ込みのものを彼女は意図的に避けていた。

 みっともない姿と同じように、自分の弱っている姿も見せたくなかったようだった。よって一年以上の付き合いでも、一度も愚痴ることも無かった。


「ごめんなさい、取り乱してしまって。……確かにジュンイチさんの言う通り、私の嫉妬も、無関係じゃなかったのね」


 力なく手を下したソウコは、改めて気付かされたように、ぼそぼそと呟いた。涙はまだ零れて止まらない。


「でもね、もう、後戻りが出来ないの。自分の気持ちを止められないのよ」


 乱暴に涙を両手で拭いながら、ソウコは弱々しく語った。

 だが、ジュンイチにはそれが自分を正当化する言葉にしか聞こえなかった。


「僕は君を、許すことは出来ない」

「……それでも私は、あなたにもう一度愛してもらえるために、最後までやり通すことしかないの」


 涙を拭い終えたソウコは、少し屈んで、ずっと足元に置いていた水入りのペットボトルを手に取り、キャップを開けた。


「もちろん、最後に本心で判断してくれるのはジュンイチさんだから、それまでは待っていて」


 自然に笑って、ソウコはペットボトルに入っていたストローをジュンイチに差し出した。

 ……最後に本心で判断してもらう、それまでは私に従っていてほしいということかと考えて、ジュンイチは無言でストローを咥える。


 座椅子の上で寝息を立てているミオナと、クローゼットの中で手渡しでしか飲食が出来ない自分、二人分の命がソウコの掌の上に載せられているのだと、嫌でも意識させられた。


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