x+4日目



 翌日の日曜日、午後から仕事だというソウコは、リビングで料理の本を捲っていた。

 その間、ミオナはぼんやりとテレビを眺めている。内容は全く分からなかったが、何もしていないよりかはましだった。


 その時、玄関のチャイムが鳴った。ミオナがここに来てから、チャイムが鳴ったことは一度もない。

 二人の間に緊張が走った。


 立ち上がったソウコは、後ろの棚からガムテープを取り出し、それでミオナの口を塞いだ。


「いい? もしも、宅配便とかが来ていて、あなたが何か物音を出したとしても、私がいくらでも誤魔化せるから。何もしない方がいいよ」


 ソウコは冷たい声で念を押す。

 確かに、ミオナが助けを求めようとしても、それはソウコの「子供がいるから」や「ペットが騒いでいて」という嘘でなかったことにされてしまうだろう。


 結局抵抗の方法はないのかもしれない。

 しかし、諦めきれずにミオナは玄関の方へと耳を澄ませていた。


「あれ、カキタさん」


 ドアを開けたソウコの第一声を聞いて、ミオナは不思議に思った。

 どうやら相手はソウコの知り合いのようだが、関係性が分からない。


「やっぱりサトノさん、犬を飼っているみたいだね」

「あ、これは別に、」

「一度入らせてもらうよ」

「ちょっと待ってください」


 ソウコと訪問者の会話から、ミオナはカキタという男性はここの管理人かもしれないと思った。

 確か、ソウコはこの部屋はペット禁止だと言っていた。それならば、管理人の権限で、真偽を確かめようと入ってこられるのではないだろうか。


 最後の望みにすべてを託して、ミオナは足の裏でリビングの床を何度も叩いた。

 一瞬の沈黙が、二〇一号室を支配した。


 玄関のドアが大きく開かれる音、誰かが廊下を走る音が聞こえてきた。

 管理人さんが異変に気付いたと、ミオナはその両目を大きく見開いた。


「えっ? ユミエ? アユカ?」

「ニイザキさん!」


 しかし、ソウコが呼んだのは姉の友人と姉の名前で、その姉の友人が叫んだのは恋人の苗字だった。

 開かれたドアの向こうに立っていたのは、姉の高校時代からの友人・ユミエだった。一瞬驚いた顔になったユミエに、ミオナは身をよじって助けを求める。


 その友人の腕の下から、今や懐かしい、姉の顔が見えた。


「……ミオナ?」


 呆然としたアユカに名を呼ばれて、ミオナは何度も頷く。


「ミオナ!」


 状況は分からずとも妹を助けようと、アユカはユミエの腕の下くぐって、リビングに飛び込んできた。

 真っ先に、ミオナの口に貼られていたガムテープを剥がす。


「ミオナ、大丈夫?」

「大丈夫、怪我はしていないし、病気もないよ」

「ミオナちゃん、動かないで。それを切るから」


 一歩遅れてリビングに入ったユミエは、肩のトートバッグから鋏を取り出して、ミオナの手と足の結束バンドを切ってくれた。

 アユカも背もたれと背中を縛っていたベルト外して、やっとミオナは完全に自由になれた。


「ああ、お姉ちゃん……」

「大丈夫、もう大丈夫だから」


 まだ震えが止まらないミオナの体を、アユカは優しくも力強く抱きしめてくれた。

 少し冷静になれたユミエが、眉を顰めながらミオナに尋ねる。


「でも、どうしてミオナちゃんがここに?」

「それは、私が、ジュンイチさんを、ソウコさんから取っちゃったから……」


 アユカが「ジュンイチさん?」と聞き返したので、後ろのユミエが「ニイザキさんのこと」と教えてくれた。


 そこへ、ソウコと管理人のカキタが入ってきた。

 ミオナの体が一瞬強張るが、ソウコは何もかも諦めきった顔をしていて、体からも力が抜けていた。

 カキタはいまいち状況を飲み込めないながらも、ポケットからスマホを取り出した。


「サトノさん、警察を呼ぶからそこで大人しく、」

「ちょっと、待ってください」


 ミオナは、カキタが電話をかけようとするのを止めた。

 そして、勇気を振り絞り、ソウコの血の気の失せた顔を見据えた。


「……ソウコさん、ずっと可笑しいと思ってたんです。ジュンイチさんは、どこにいますか?」


 ラインの返信が来なかったことや、ユミエがここにいるのがジュンイチだと勘違いしていたことなど、腑に落ちない点はいくつかあった。


 すると、ソウコは口元に微笑みを浮かべながら、しかし目は冷たい光を放ったまま、すっと視線を逸らして左斜め後ろを振り返った。


 直後、ソウコの寝室から、壁を叩く音が大きく響いた。


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