x+4日目
翌朝、アユカの家でユミエは、ソウコの住むマンションの管理会社に連絡を入れ、そこの管理人の電話番号を聞いた。
「二人だけならソウコに誤魔化されるって言っていたけど、警察じゃなくてもいいの?」
「まだはっきりと事件だと確定していないから、警察は動いてくれないよ。私たちの勘違いの可能性もあるし。でも、ペット禁止のマンションで犬を飼っている人がいるって言えば、大家さんは向かわざるを得ないでしょ?」
管理人が電話を取るのを待っている間、アユカの疑問にユミエはそう説明した。
しばらくして、管理人のカキタという男性の声が聞こえてきた。ユミエは彼に、ソウコのツイートから、彼女が内緒で犬を飼っているらしいという話を始める。
「私たちも、ペット禁止のマンションでそれはまずいんじゃないかと注意しましたが、中々聞いてくれなくて……」
巧みに嘘を織り交ぜながら、ユミエは心底困った様子で話す。
『分かりました。ホワイトレジデンス、二〇一号室、サトノ様のお部屋ですね。直接伺って、確認します』
「それは今日ですか?」
『ええ。他の入居者の迷惑になるので、早めに解決します』
「私たちも立ち会ってもいいですか?」
『そ、それは構いませんが……』
スムーズに話は進んでいたが、初めてカキタが難色を示した。
友人が犬を飼っているという話を管理人にするという時点で変わっていると思ったが、立ち会いまでしたいと言い出したので戸惑っているようだ。
ユミエは言い訳するように、慌てて付け加える。
「友人が飼っている犬をこちらで預かろうと思っているんです。それから、新しい里親を探そうかなって。私たちが彼女の愛犬を取り上げてしまうことになりますから、その責任を果たしたいんです」
『そうでしたか』
ユミエの決意したような言葉を受けて、カキタはやっと納得してくれた。
その後は集合時間や場所を決めて、ユミエは電話を切った。
一先ずは、管理人のお陰でソウコの部屋に行けることになり、ユミエはほっと息を吐く。
彼女の頑張りの一部始終を見ていたアユカは、感動した様子で話しかけてきた。
「すごいねユミエ。演技の経験があるの?」
「ないわよ。でも、大家さんと話すのは私がやるよ」
「そうだね、私が口を開いたら、ボロが出ちゃう」
苦笑しながら答えてくれたユミエを見て、アユカも相好を崩した。昨日から緊張続きだったが、やっとアユカにも冗談を言える余裕を持てた。
しかし、それも束の間出来事で、二人は真剣な顔で打ち合わせをすると、カキタとの集合時間を逆算して出発し、タクシーに乗ってソウコのマンションに向かった。
ユミエは堂々とタクシーから降りたが、アユカはまだ不安そうにきょろきょろと辺りを見回していた。
「ソウコが出てきたりしていないかな」
「多分大丈夫よ。彼を監禁しているのなら、警戒して外出を控えていると思う」
小声で話しながら、二人はマンションの一階廊下を横断して、階段の入り口に向かった。
階段の前には、五十代のTシャツ姿の男性が、暑そうに手で首元を仰ぎながら立っていた。
先にユミエが彼の方に近付き、声を掛けてみる。
「すみません、カキタさんですか?」
「はい、そうです」
こちらの方を向いた男性は、二人を見ると人のよさそうな笑みを浮かべた。
悪い人ではなさそうなことに二人は一安心して、先にユミエが自己紹介をした。
「私は、サトノの友人の、イシカワと言います」
「同じく友人の、フジミネです」
アユカも頭を下げた。
カキタは百七十を超えているユミエと、百六十には届かないアユカが並んでいるのを物珍しそうに見比べていたが、気を取り直して階段横のエレベーターへと、二人を案内した。
「いや、今日の話を聞いて、本当に驚きましたよ。まさか今まで違反を一度もしたことのないサトノ様が、犬を飼っているだなんて」
「私も、彼女のツイートを見て、信じられない気持ちでした。きっと、やむを得ない事情があるのでしょうが、それも話してくれなくて」
カキタの愚痴に、ユミエはうまく話を合わせていた。
犬よりもすごいものが部屋にいるのかもしれないけれどと、アユカは思っていたが、決して口にはしない。正直すぎるきらいのある彼女は、黙ったまま二人の話を聞いていた。
エレベーターを降りてすぐに、ソウコの部屋に着いた。
カキタが呼び鈴を鳴らすと、アユカとユミエは打ち合わせ通りに、ドアの蝶番のある方向へと回りこんだ。
カキタは二人の行動を不思議そうに眺めていたが、その理由を聞くよりも早く、ドアが開かれた。
「あれ、カキタさん」
出迎えた、ラフなキャミソール姿のソウコは、正直に驚いた様子だった。
しかし、彼女よりも気になったのは、エアコンの冷気に乗って流れてくる、何か汗っぽい匂いだった。ドアの後ろに隠れている、アユカとユミエが思わず鼻を押さえるほどだった。
カキタは分かりやすく顔を顰める。
「やっぱりサトノさん、犬を飼っているみたいだね」
「あ、これは別に、」
「一度入らせてもらうよ」
「ちょっと待ってください」
突然の訪問者がカキタだけだと思っているソウコは、無理に入って来ようとする彼を止めようとした。
カキタよりも背の高いソウコが、彼を押し返そうとしていたその瞬間、リビングから床を何度も強く叩く音が大きく響いた。
驚いて振り返るソウコと、音の正体を見ようと首を伸ばすカキタ、そして今がチャンスだと思ったユミエは、右隣のアユカに合図を出した。
ドアを限界まで明け切ったユミエは、虚を突かれているソウコとカキタの横を通り抜けて、靴を脱ぎ捨てると二〇一号室の廊下に入った。ユミエも後に続く。
「えっ? ユミエ? アユカ?」
突然現れた二人の友人の姿に、ソウコは困惑しながらアユカの背中に手を伸ばしたが、それは届かなかった。
右手にソウコの寝室のドア、左手にトイレと風呂場のドアが並んだ廊下を、ユミエとアユカは走り抜ける。
「ニイザキさん!」
ユミエがソウコの元恋人の名前を叫びながら、リビングと廊下を区切るドアを開けた。だが、その足はその場で止まってしまった。
アユカは、ユミエのドアノブを握った左手の間から、リビングを覗き込む。そして、硬直した。
目の前には、フローリングに固定された座椅子があった。そこに体育座りをしている人物は、口はガムテープで塞がれ、手足首は結束バンドを付けられている。
腰はベルトによって座椅子に縛られてしまっており、「んーんー」と言いながら身をよじっていた。
「……ミオナ?」
アユカは真っ白になった顔で、痛々しい姿になってしまった妹の名を呼んだ。
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