第26話
第二十六話「巨人」
バトラーとメイディは建物内部の四階から順番に、イラムたちが進入できる経路を探した。しかし、窓やドアはすべて電磁ロックがかかっており、入れる場所はひとつもなかった。二匹は一階まで下りた。
「ダメだね。入れるとこないや」、バトラーは言った。
「このビルじゃ、床下なんてなさそうだわね」、メイディは言った。
「地下を探してみよう」、バトラーが提案した。
「地下に入り口なんてなさそうだけど」、メイディはあきらめかけていたが、バトラーの提案に従った。
二匹は地下へつながる階段を下った。
一方、イラムとヒカジも外から進入口を探した。四階から下のらせん階段からつながる非常口は、すべてロックされていた。二人は正面の入り口に回り、ドアをチェックした。やはり、ロックされている。そして、建物の周りの窓をひとつひとつ調べた。
「やっぱり無理だわね」、ヒカジが言った。
「仕方がない。僕たちは教会に行ってみよう」、イラムは提案した。
「教会はあっちの方向よ。それほど遠くないわ」、ヒカジも同意した。
イラムとヒカジは研究所の前の道路に出た。車道には車が行き来し、歩道では人々が歩いていた。だが、歩道を歩く人々の様子がおかしいことに二人は気づいた。
「なんだか変じゃない?」、ヒカジはイラムに言った。
「そうだね。みんな無表情で死人みたいだ」、イラムは答えた。
ヒカジは歩道を歩く子連れの女性に、「こんにちは」と笑顔で声をかけてみた。
すると、女性は一瞬の間をおいて、ヒカジの真似をして、笑顔で「こんにちは」と言った。そして、女性が連れていた子どもも「こんにちは」と笑顔で言った。その女性がヒカジの前を離れると、前から来た人に「こんにちは」と声をかけた。声をかけた人は次にすれ違った人に「こんにちは」と声をかけた。数分のうちに、イラムとヒカジの周りでは「こんちには」の大合唱が広がった。
「見て! みんな私の真似をしてるわ」、ヒカジは言った。
前を通った男性がイラムに声をかけた。
「こんにちは」
イラムは、「さようなら」と言って手を振ってみた。
男性は間をおいて「さようなら」と手を振った。
今度は「さようなら」の大合唱が始まった。
イラムは面白がって、通りすがりの人に、今度は「いいお天気ですね」と言ってみた。イラムは長年シェルターの部屋の中で暮らしてきたので、この挨拶をしてみたかったのだ。
「いいお天気ですね」、すれ違う人が言った。
ヒカジも負けじと、「ありがとう」と声をかけた。
「なんだか面白いね」、イラムは言った。
「見て、あの人たち、ちゃんと使い分けてるわ。意味がわかってるみたいね」、ヒカジは言った。
「学習してるんだ!」、イラムはそう気づいた。
イラムとヒカジは教会までの道のりで、すれ違う人たちに次々と声をかけていった。無表情の死人の町は、どんどん笑顔と挨拶の豊かな町になっていった。
「これならみんなすぐにお話しできるようになるわね」とヒカジは嬉しくなって言った。
二人は教会にたどり着いた。
「屋根に十字架、ここだな」とイラムは十字架を指差した。
「ここでダナとマリアが消えたのね」とヒカジは教会の建物を見渡した。
「ジイサン、いるかな?」とイラムは教会の門をくぐり、敷地に足を踏み入れた。
教会は古く、壁や屋根の塗装は剥げ、屋根の十字架も黒く錆びていた。二人が教会の建物の前まで来ると、屋根の上のほうで鐘がなった。その音色は寂れた教会に似合わず、何とも美しい濁りのない澄んだ音であった。
「誰かいるのかしら?」、ヒカジはイラムに一歩近づき、ぴったりと寄り添った。
イラムは教会のドアを開けた。教会の中はキャンドルの火がともっていた。正面の祭壇に蓋の開いたひつぎを見つけた。二人は中央の赤いカーペットの上を進んだ。祭壇の前まで来ると、イラムはひつぎをのぞき込んだ。
「何もない」、イラムはつぶやいた。
ひつぎの中は赤いベルベットの布が敷かれていた。
そのとき突然、教会の入り口のドアがギィと音を立てて閉まった。イラムとヒカジはドアまで走って戻った。そして、ヒカジはドアノブに手をかけた。
「開かないわ」、ヒカジはドアノブをガチャガチャと探っていた。
「誰だ!」、イラムはドアに向かって叫んだ。
すると今度は窓がバタンと閉まった。
「誰かいるの?」、ヒカジが叫んだ。
二人は教会の中央に進んで周りを見渡した。
「おい! 誰かいるなら出てきてくれ!」とイラムが再び叫んだ。
次に天井のキャンドルのシャンデリアが揺れ始めた。二人は壁に向かってゆっくりと歩き、出口を探した。
「ダメだ。窓は開かない」、イラムは窓を探りながら言った。
反対側の壁のほうでバタバタと足音が聞こえた。
「中に誰かいるわ」とヒカジが怯えた声で言った。
天井のシャンデリアの揺れが大きくなった。ろうそくの炎が揺れとは逆の方向に流れた。そのろうそくの一本が火をつけたまま床に落下した。すると、真下にあった赤いカーペットの上に落ち、火がついた。イラムたちはそれに気づかず、見えない者に声をかけ続けた。
「脅かしてるつもりか?」とイラムは叫んだ。
反対側の壁の方から祭壇の裏へ人影が動いた。
「子ども?」、ヒカジは小さな人影を見た。
「小さな子どもみたいだ」、イラムも同じ人影を見た。
「おーい! 遊んで欲しいのかい? 出ておいでよ」、イラムはそう言いながら祭壇に近づき、そこでただならぬ異変に気づいた。
「あ! 燃えてるわ」、ヒカジも焦げ臭い匂いに気づき叫んだ。
カーペットの火は瞬く間に広がった。炎はすぐに壁のカーテンに燃え移り、二人は一瞬にして炎に囲まれ、ひつぎの前で立ち尽くしていた。
そのときーー。
ひつぎのベルベットの布が大きく盛り上がった。二人は驚き祭壇の前に倒れた。すると、ベルベットの布の下から大きなグローブのような手が現れ、布を空中へ放り投げた。布の下から現れたのは巨大な人間、身長は三メートルはあろうほどの巨人だった。巨人はひつぎの中から片足を引き抜き、教会の床にドスンと落とした。古い教会の床板は割れ、巨人の足がめり込んだ。そして、もう一方の足も床をぶち抜いた。巨人は二人に手を伸ばし、イラムを右手に、ヒカジを左手につかみ、大きく空中に持ち上げた。
「きゃー!」とヒカジは悲鳴をあげた。
無表情だった巨人は、ヒカジの顔を見ると突然ニカッと不気味に笑った。それはまるでおいしい獲物を捕まえて喜ぶ怪物のようだった。彼の歯には矯正器具がつけてあり、顔も大きいなら歯も大きく、ヒカジには目の前のそれが白いコンクリートブロックに巻かれた有刺鉄線のように見えた。次に巨人はイラムのほうを見た。巨人は首を傾げ、不思議そうにイラムの顔をじっと見つめた。イラムは巨人の手から逃れようと暴れたが、まったくびくともしない。火の手はもう目の前まで来ている。巨人に食われるか、炎に焼かれるか、どちらにしてももう逃げる手段はなかった。
「助けてくれー!」、イラムは叫んだ。
そのとき、ひつぎの中から声が聞こえた。
「イラム! 大丈夫だよ!」とバトラーが現れて叫んだ。
「ゼットは友達よ!」とメイディの声があとに続いた。
巨人はヒカジとイラムの頬にキスをし、「と、も、だ、ち」と言って、二人をひつぎに押し込んだ。
イラムとヒカジは突然のことで、何が起こったかわからず、ひつぎの中でお互い顔を見つめるだけだった。
「イラム、こっちだよ」、バトラーが声をかけた。
ひつぎの中には階段があり、二人は階段を降りた。そこには地下室があった。地下室の壁には穴が開いており、奥のほうまでトンネルが続いていた。
「ゼットが降りて来ないわ」、メイディが言った。
「どうなってるんだ?」、イラムは尋ねた。
「このトンネルは研究所につながってるんだ。ゼットが案内してくれた」、バトラーが説明した。
しばらくして巨人のゼットが階段を降りて来た。巨人はひつぎの中に敷いてあったベルベットの布をマント代わりにして首に巻いていた。バトラーとメイディはゼットに近寄った。バトラーはゼットの体をぴょんぴょんと駆け上がり肩に乗った。メイディはジャンプして巨人の腕に捕まった。
巨人はヒカジの顔を見ると、「ヒカジ、ヒカジ」とニコニコしながら繰り返した。
「私を知っているの?」、とヒカジは尋ねた。
すると巨人は何度もうなずいた。そして、今度はイラムの顔を見て、「ネコ、ネコ」と繰り返した。
「猫はぼくだよ」と巨人の肩でくつろぐバトラーが言った。
巨人はイラムとバトラーを交互に見て、また不思議そうに首をかしげた。
「巨人……僕は君を知ってる気がする。だけど、どこで見たんだか、会ったんだかわからない」、イラムが言った。
「私もなんだか、懐かしい気がするの」、とヒカジが言った。
「みんな、ここは危険だわ。天井が落ちるかもしれない。ひとまず研究所に向かいましょう」とメイディが提案した。
イラム、ヒカジ、バトラー、メイディ、そして巨人のゼットはトンネルに入り、脳科学研究所に向かった。トンネルは地下の土がむき出しで、巨人が腰を曲げてようやく通れるくらいの大きさだった。巨人は懐中電灯を出して、前方を照らした。
「あっ! 子ども……」、イラムは思い出し、トンネルの中で立ち止まった。
「もう火は回ってるわ、引き返しても……」、ヒカジが言った。
「だいじょぶ、だいじょぶ」、ゼットが言った。
「ゼット、あの子を助けたのね」、ヒカジが尋ねた。
「たすけたのね、たすけたのね」、ゼットは何度もうなずいて、トンネルの天井に頭をぶつけた。
「さすが! ゼット!」、バトラーはすっかりゼットを気に入ってしまった。
「だけど、このトンネルは何なの?」、ヒカジは言った。
「研究所と教会がつながってるのはなぜだ?」
「ダナとマリアは消えたように見えたけど、このトンネルに入ったのかも」、バトラーが言った。
「だとしたら、二人は研究所にいる」、イラムが結論を出した。
一行は研究所に向かった。
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