第24話

第二十四話「HIKA」


「状況はどうだね」、ゼロはオカチマチ博士に尋ねた。

「ムタチオンの脳移植は成功し、経過も順調です」、オカチマチ博士は答えた。

「目覚めは近いのか」

「今、夢を見させています。あと、数日はかかるでしょう」

 ガラスの向こうのポッドの中には、理想的新生人造人間、通称IRAMが横たわっていた。身長178センチ、体重65キロ、暫定年齢16歳、グリーンアップル社が開発した初のブレイノイドである。

「オカチマチ君、もう一度、これまでの経緯を詳しく聞かせてくれたまえ。何か見落としがないか確認したい」、ゼロがオカチマチに尋ねた。

「はい、わかりました」、オカチマチはそう言ったあと、さらに続けた。「ブレイノイドのボディはもとの人間の体から採取した細胞の培養によって製造されます。ムタチオンには変異前の痕跡が細胞と遺伝子に残っています。細胞からその痕跡とネガティヴ因子を取り除くのです」

「つまり、人間の体をバラして、悪性要素を取り除き、再び組み立てるのだな」、ゼロは確認した。

「そういうことです」、オカチマチは答え、さらに、「完成したボディは、自己再生能力が高く、私の計算では、外傷なら数分、骨折でも半日で完治すると予測しています。当初、永遠の命を持ったブレイノイドを造る計画でした。永久細胞はあらゆる疾患を拒否し、体を完璧に守るのです。たとえば、環境の悪化に伴う外部からの攻撃にも……」と付け加えた。

「つまり、地球の環境汚染に気づかない。それで不死身のブレイノイドの計画を中止した」

「そうです。もともとブレイノイドは地球環境の改善を目的として計画されていました。環境汚染に鈍感であっては本来の目的の意味を果たせないのです」、オカチマチが説明した。

「脳は?」

「別の個体の脳を移植します」

「なぜ、同個体の脳を移植しないのだね」

「リフレッシュしたボディにもとの脳を移植したブレイノイドはすでに完成しています。JCN社の阿南博士がセルフブレイノイドを誕生させました。しかし、問題があります」、オカチマチは言った。

「なんだね」

「セルフブレイノイドは完成しすぎています。本来、人間は不完全なものです。完全なものに未来はありません」

「なるほど。神を作ったわけだ」

「阿南博士のセルフブレイノイドは生殖遺伝子に欠陥があり、子孫が残せないのです」

「神である己を越える者の誕生を遺伝子が拒否しているのだな。それで、別個体の脳を使いブレイノイドを作ったわけか」

「はい、我々のブレイノイドはミックスブレイノイドです」

「だが、他の人間の脳を移植しても拒否反応が出ないのはなぜだね」

「細胞からは変異痕跡を除去しますが、遺伝子情報には痕跡を残すのです。理由はわかりませんが、これで拒否反応は起こりません。私の推測ですが、この変異痕跡が別の個体のあらゆる情報を受け入れるではないかと……」

「ミックスは不完全ゆえに、新しい個体を残せるのだな。で、脳のデータの移植の方法は?」

「もとの脳から人間であったころの記憶をデジタルデータとして抽出し、一時コンピュータに保存します。新しい脳から全ての記憶を消去し、新しい体に移植します。その後、もとの脳から抽出したデジタルデータの記憶をコピーするのです。現在、新しい脳にデータをコピーしています」、オカチマチは説明した。

「この個体は夢を見ていると錯覚しているのだな」、ゼロは質問した。

「その通りです」、オカチマチはうなずいた。

 ガラスの向こうのポッド内でIRAMは眠っていた。彼の眼球はまぶたの奥で高速運動をしている。浅い睡眠の中で彼は夢を見ているのだ。

「脳にもとの個体の記憶が残ることはあるか?」、ゼロは尋ねた。

「いいえ、全消去なので記憶は完全に消えてしまいます。しかし、ムタチオンの変異前の記憶の断片は部分消去なので残ってしまうことがあります」、オカチマチが答えた。

「詳しく説明してくれたまえ」、ゼロは続けて尋ねた。

「それぞれの記憶因子はニューロンネットワークで複雑に絡み合ってつながっています。しかし、ひとつの記憶因子を消すことで、それにつながるネットワークが途絶えてしまう恐れがあるのです。そこで、消去すべき記憶因子を見えなくするのです。メモリからデータを引き出しにくくなります」、オカチマチは説明した。

「そんなことが可能なのか」、ゼロは疑った。

「具体的に説明しましょう。まず、人間の脳から記憶データをデジタル化し、コンピュータに取り込みます。デジタル化されたデータの消去したい部分、たとえば『ブレイノイド』という言葉を消去したいとしましょう。先ほども申し上げたように、『ブレイノイド』という文字を消してしまうと、それにつながる全ての要素にアクセス不可能になるおそれがあるのです。『脳』『アンドロイド』『人間』などの文字にアクセスできなくなります。そこで、『ブレイノイド』という文字を残しつつ見えなくします。つまり、『ブレイノイド』の文字を背景と同色に変換するのです。白い画用紙に白いペンで文字を書く、文字はそこにあるのですが見えないのです」、オカチマチは説明した。

「なるほど。記憶因子は見えなくなるが、ネットワークは生きているわけだな」

「そういうことです。しかし、ひとつだけ小さな問題が残ります。夢の中ではそれが見えてしまいます。実際の記憶映像はフルカラーですが夢の映像はモノクロになり、背景色と若干の色の差が出てくるのです」

「同じ夢を毎回見ることもないだろう。所詮、夢の中の記憶だ。たいした問題ではないだろう」

「私も同じ考えです」、オカチマチはゼロに同意した。

「記憶データのコピーが終われば、IRAMは目覚めるのだな」、ゼロはオカチマチに確認した。

「コピーが終了し、プラグを抜けば自然睡眠状態になり、十二時間以内に普通に朝が来て起きるように目覚めます」

「ブレイノイドに変換したあとにも、適正テストのようなものはあるのかね」、ゼロはオカチマチに聞いた。

「あります。ブレイノイドにも人間らしい心が必要です。特殊な能力を試すものではありません。いかなる環境でも普通の人間として生きていけるかのテストです」、オカチマチは言った。

「もうひとつの課題がある。IRAMとHIKAを引き合わせねばならん」、ゼロは言った。

「HIKA……Human Ideal Keeping Android。その名前、あなたは知っていたのですね。全てはあなたの計画なのですか?」

「私の計画ではない。これは君の計画だ。私は未来にも過去にも行ける。君が失敗する未来をいくつも見た。私は君の計画が成功するよう、導いているだけだ」

「失敗した私はどうなるのですか? 私はこの計画に命を捧げています」

「だから……。私は君の死を見たくないのだ。私にとっても君は家族だ。君もそう言っただろう」

「まさか、私のためなのですか?」、オカチマチはゼロに尋ねた。

 しかし、ゼロはその質問に答えず、革張りのチェアを回転させ、ガラスの向こうのブレイノイドをただじっと見つめた。

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