第23話
第二十三話「脳科学研究所」
イラムとヒカジはメインルームに現れた穴の中の階段を降りた。階段はマリアの部屋にある金庫につながっていた。二人は金庫を出てマリアの部屋に入った。
「どうして入れるんだ? ここはプログラムの中なのに」、イラムは周りを見渡しながら言った。
「もともとプログラムではなかったのかも」、ヒカジも部屋のあちこちを探った。
「そんなはずはない。ここの部屋は何もない真っ白な空間だったんだ。それを僕がデザインしたんだから」
「それなら、私たち自身がプログラムってこと?」
「わからない」
部屋の中央にゴーストが持っていた自転車の鍵が落ちていた。イラムはそれを拾い、じっと見つめたあと、ポケットに入れた。
「ヒカジ、問題は外の世界なの」、メイディが言った。
「イラム、外を見て!」、バトラーが出口へ誘った。
イラムとヒカジはバトラーとメイディについていった。部屋を出ると、そこはビルの屋上だった。見上げると空があり、雲が浮かんで太陽が照っていた。その下には町がある。家やビルが建ち並び、公園、店、線路、電車、道路、信号、歩道橋、自動車、自転車……。イラムとヒカジは見たこともない風景に驚いた。
「ダナがマリアと出会うまでは、町は空っぽだったんだ!」、バトラーが言った。
バトラーたちが教会に行く前までとは大きく違っていた。
「あ!」、イラムは気づいた。「誰かいる!」
道路には自動車が走り、歩道には人が歩いている。信号は赤や青に変わり、線路には電車が走っていた。誰もいなかった町は人間たちが暮らす普通の町になっていた。
「ダナとマリアがキスしてね、外に出てみたらいっぱい人間がいたんだ」、バトラーが言った。
「ここは、バトのデータで見た地球だ!」、イラムは叫んだ。
イラムはビルの屋上から、柵を乗り越えて下を見た。
「このビルの看板、『脳科学研究所』って書いてある」
「脳科学研究所! 私たちブレイノイドはここで作られたのかしら?」、ヒカジは言った。
「僕たち、ほんとにブレイノイドなのか?」、イラムは疑い始めた。「僕たちこそが人工頭脳なのかもしれない」
「普通の人間ってこともありえるんじゃないかしら」、ヒカジも真実を求め始めた。
「ぼくは猫のままでいいよ」、バトラーはのんきに言った。
「わたしもこの姿、気に入ってるわ」、メイディもバトラーに同意した。
「でも、普通の犬や猫は、人間の言葉を話さないのよ」、ヒカジがつけ加えた。
「じゃ、ぼくとメイは特別な猫と犬だ」、とバトラーは自慢気に言った。
「とにかく、まずはこのビルから探ろう。ここは七階建てだ。七階にはマリアの部屋がある。マリアの部屋の地下室が六階だ」、イラムは作戦を立て始めた。
「らせん階段で下には降りれるわ」、メイディが言った。
「よし、手分けして探ろう。ヒカジとメイは、らせん階段を降りて、五階から下の入り口を探して!」
「オッケー!」、ヒカジとメイは同時に言った。
「僕とバトはマリアの部屋の地下を探してみる」
「ラジャー」、バトラーは手を額に当てて、敬礼のポーズをした。
イラムとバトラーはマリアの部屋に戻り、地下室へ向かった。
地下室への扉を開け、階段を降りた。そこは壁も床も天井もコンクリートがむき出しで、窓もなく、裸電球がひとつ、天井からぶら下がっていた。マリアのデータと思われる書類のファイルが壁の一面の棚に、向かい側の壁の棚には書籍がずらっと並んでいた。イラムはファイルの棚から数冊を選んで中の書類を確認した。ファイルの中身はロボットのバトラーの記録とほとんど同じものだった。今度は本棚を探った。こちらもやはりバトラーの記録の中にあるものばかりだった。どこかに出口はないか、イラムはファイルの棚の辺りを探った。下段辺りの棚から数冊の本を抜いて探ったが、ドアのようなものは見当たらなかった。そのとき、バトラーは何かに気づいた。
「イラム、ここから風が来てる」、バトラーは部屋の奥に、半分が本棚でふさがった通気口を見つけた。
「どこかに通じてるはず」、イラムはしゃがんで、鉄の網でふさがった通気口の中を見ながら言った。
「ぼくなら通れる」、バトラーが言った。
「よし、棚を動かそう」、イラムは棚から本を取り出し始めた。そして、棚の半分ほどの本を抜き、棚の端の枠を手前に引っ張った。棚が動き通気口の全面が現れた。通気口は四隅がビスで留めてあった。十字の溝のビスを見て、イラムはポケットを探った。十字型の自転車の鍵はビスの溝にぴったりはまった。
「外せるぞ」、イラムはバトラーに言った。
イラムは手際よく通気口のビスを回し、鉄の網を外しにかかった。
「いてっ!」、イラムは鉄の網で左手の指先を切った。
「どうしたの?」、バトラーはイラムに近づいた。
「大丈夫、ちょっと指を切っただけさ。僕の体はブレイノイド、これくらい傷なら数時間で跡形もなくなるさ」、イラムは網を外し終え、バトラーに言った。「バトラー、気をつけて。建物の出口を探すんだ。僕はヒカジと合流する」
「わかった。行ってきまーす!」、バトラーは陽気に答え、通気口の中に消えていった。
イラムは本棚をそのままにし、ヒカジのもとへ向かった。
ヒカジとメイディはらせん階段からつながる非常口のドアをひとつひとつ確認して降りた。五階までのドアは鍵がかかっている。二人は四階まで降りてドアを確認した。ヒカジは四階の非常ドアのノブを回した。
「開いてる」、ヒカジはドアを奥に押したが、ドアの向こうの何かにつっかえた。「これ以上開かないわ」
ドアは十五センチほど開いた。
「この体なら入れるわ」、メイディは言った。そのとき、イラムが降りてきた。
「イラム、ドアの向こうで何かつっかえてるの。メイならここから入れるわ」、ヒカジが状況を伝えた。
「メイ、中を確認して」、イラムが言った。
「了解!」、メイディはドアの隙間から、建物内に進入した。「ダメ、大きな棚があるわ。動かせそうもない」
「そうか、仕方ない。僕たちは別の入り口を探す。メイ、バトが通気口から入った。中で合流してくれ」
「わかったわ」
「メイ、気をつけて」、ヒカジが声をかけた。
建物の中は人気がなく、非常灯が所々でついている。メイディは薄暗い廊下を進んだ。すると、天井でごそごそと物音がした。
「バト!」、メイディは叫んだ。
「その声はメイ! ぼく、ダクトの中、出口がわからないよ」、天井の裏でバトラーが言った。
「ちょっと待ってて、出口を探してみる」、メイディはそう言うと、五階の廊下を探した。通気口は廊下の一番突き当たりにあった。
メイディは通気口から叫んだ。「バトラー、聞こえる? 私の声の方に進んで!」
「わかった!」、通気口からバトラーの声が聞こえた。
「バト! こっちよ!」
しかし、メイディが見つけた通気口には金属の網で蓋されていた。メイディはそれを外そうと体ごとぶつかり始めた。
ダクトの中で大きな物音が響いた。
「メイ! 何の音?」
「金網を外してるの! 音の方向に進んで!」、メイディは何度も体当たりを繰り返した。
幸いにも、網の周りのコンクリートは劣化していて、ボロボロと崩れかけてきた。廊下の天井からボコボコという薄い金属板のへこむ音がメイディの方に近づいてきた。メイディは何度も金網に体当たりを続けた。天井の音は段々と大きく、加速して近づいた。音がメイディの真上に来たと同時に、ガタガタガタと鈍い音が聞こえ、通気口から白い埃が吹き出した。メイディは驚いて通気口から離れると、ガシャンという音を立てて通気口の金網が吹っ飛んだ。すると穴から吹き出した白い埃の中からバトラーが出てきた。
「ゴホ、ゴホ」、バトラーは咳き込んだ。
「バト! 大丈夫!」、メイディはバトラーに近づいた。
「大丈夫! ゴホ! ぼくはスーパーニャンコだ!」
「うふふ! 真っ白なスーパーニャンコ様! 素敵!」、メイディは埃だらけのバトラーを褒め称えた。
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