第19話

第十九話「神父」


 人影のない町の小さな教会の周りには、たくさんのろうそくが立ち並び、教会の建物に薄明かりをともしていた。よく見ると建物は屋根や壁の所々でペンキがはがれ、茶色の地肌をのぞかせ、屋根の十字も黒く錆びつき、周りを取り囲む柵は傾いて、辺りに寂しげな雰囲気を漂わせいた。ほんの少し残った慕わしい印象から、かつては美しい教会だったことがうかがえる。


 ダナは自転車を教会の柵に横づけして停めた。バトラーとメイディはぴったりと引っついて、開いた門の前で教会を眺めていた。

 風が強く吹いた。教会の周りの木々が風に揺れ、ざわめいた。そのとき突然照明が点き、その光が教会を暗闇の中に浮かび上がらせた。

 風が止んだ。辺りはしんと静まり返った。照明の光は移動し、彼らのいる門の位置から見ると、ちょうど教会の十字架の裏側を照らしていた。

「あれが、マンゲツというやつか」、ダナはデータから月の情報を見つけた。

「マンゲツ、とてもキレイね」とメイディはつぶやいた。

 中央に十字を刻んだ満月は、真っ暗な町に神秘的な光を放った。光に照らされた古びた教会はかつての輝きを取り戻した。精霊が宿る森の色の緑を刷いた屋根の上に、気高く誇らしげな銀色の十字架を掲げ、汚れなき無垢な白い壁で囲まれた美しい教会、彼らにはそう見えていた。それはマリアプログラムが映した虚像なのか、月の光が持つ神秘性がもたらした錯覚なのか、彼らはただその美しさに目を奪われた。


 ダナが最初に門をくぐり、ぴったりと寄り添った猫と犬が続く。すると、彼らを歓迎するかのように教会の扉が開いた。ろうそくの明かりの道は門から建物の入り口に続いている。ダナは扉につながる階段を上がった。猫と犬も彼に続き階段を登った。教会の内部が見えた。ろうそくの道は建物の中へと続いている。

 彼らは教会に足を踏み入れた。

 小さな建物の中は、ステンドグラスがはめ込まれたアーチ型の窓が左右に二つずつ、天井中央のドーム状のくぼみには天使のフレスコ画が描かれ、天使の絵を取り囲むようにろうそくのシャンデリアが四つぶら下がっていた。正面の祭壇には無数のろうそくが火をともし、白い布がかけられた中央の台の上には蓋の開いたひつぎが安置されていた。葬儀を行なっているようであったが、彼らは弔いの儀式すら知らない。

 ふと見れば、教会の隅に人影があった。黒い詰襟の衣装に襟元の白いカラーからすると、神父なのだろうか。

「ようやく来おったのー。年寄りを待たせるでない」と神父が言った。

 バトラーとメイディは気づいた。

「あ! ジイサン」とバトラーは叫んだ。

 二列に並んだ長椅子の間に敷かれた赤いカーペットの上を通って、バトラーとメイディはじいさんのそばに駆け寄った。ダナは二匹に続いた。

「どうじゃ、この神父の衣装は? 老いぼれのじいさんも少しは立派に見えるかのー」

「ジイサン、かっこいい!」バトラーが言った。

「ジイサン、ジテンシャをありがとうございました」とメイディが頭をちょこんと下げて言った。

「乗り心地はどうじゃ?」

「風がとっても、気持ちいいんだよ」とバトラーが答えた。

「ほう、風を感じたのか。そりゃいいわい」、じいさんはしゃがんでバトラーとメイディの頭を交互になでた。

「でも、ここはマリアのプログラムの中なのに、どうして風を感じるの? さっきは匂いも感じたのよ」とメイディはじいさんに尋ねた。

「ほう、ここはプログラムの中なのかい?」、じいさんは教会の天井を見上げた。

「ジイサン、あなたはどうやってここに?」と、今度はダナが質問した。

「わしがここいるということは、ここが現実の世界なのかもしれんのー」とじいさんは言った。

「じゃ、イラムたちがいる場所がプログラムの中なの?」とバトラーが聞いた。

「現実の世界とはどんなところじゃ? お前さんたちがいるここは? 自分の存在のある場所こそが現実と呼べるのではないかな」とじいさんは語った。

「ジイサン、もしかしてあなたは、『神と呼ばれる者』ですか?」とダナが尋ねた。

「神は完全なる者じゃ。全知全能であるがゆえ姿形を持たん。お前さんたちにわしが見えているのなら、わしは神ではなかろう」

「では、あなたは『主と呼ばれる者』ですか?」、もう一度ダナが尋ねた。

「そんな風に呼ばれたことはない。わしはただの絵描きじゃ」と、猫と犬の体をなでながら、じいさんは言った。バトラーとメイディはすっかりじいさんに懐いてしまった。

 ダナは祭壇のひつぎに目をやった。そして気づいた。「マリア?」

 バトラーはすぐさま祭壇に駆け上がり、ひつぎの中を見た。「マリア……死んでるの?」とバトラーはじいさんに尋ねた。

「姿形のあるものは不完全なのじゃ。不完全であるがゆえ、迷い、苦しみ、病にも侵される。じゃが、心を持つ者は他の者の手を借りて、その苦しみを癒すことができる。不完全さは絆を生み、その者を強くする。だから美しいのじゃ。そこに眠っておる美しい娘さんを目覚めさせる役目は、お前さん、あんたじゃ」とじいさんはダナを指差して言った。

「なんて美しいんだ! こんなに美しいものを見るのは初めてだ」とダナは言うと、まるで壊れやすいガラス細工に触れるように優しく、ひつぎのマリアの手をとった。

「マリア、起きて! 帰ろうよ!」、バトラーは眠るマリアに声をかけた。

 ダナは右手でマリアの手を握り、左手を彼女の頭の下に入れた。そして、彼女を抱きかかえるように上半身を起こすと、そっと唇にキスをした。


 ダナの電気信号がマリアのシステムに進入し、二つのプログラムが融合し始めた。マリアの欠損した実行ファイルにダナのものが上書きされ、ダナの欠落したコマンドにマリアのデータが司令を送った。バトラーにもメイディにも、そのフラグメーションを消化する振動が伝わる。この世界のすべての歪みを正す音が、心地よいパイプオルガンの旋律となって教会に響いた。


 どれくらい時間が経ったのだろう。ダナの腕の中で、マリアはゆっくりと目を開けた。

「マリア、うちへ帰ろう」、ダナは言った。

「ダナ、あなたを待っていたわ」、マリアは言った。

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