第18話

第十八話「ジャンケン」


 会は進行し、大人たちは酒も入って、宴はますますにぎやかかになってきた。

 阿南はふざけてオカチマチをからかうが、オカチマチは文句も言わず、抵抗もせず、されるがままになっていた。

「AIチップには現在世界最高の処理能力を誇る……」とオカチマチは延々とコンピュータについて語るが、阿南によって変装させられ、看護師から拝借したナースの衣装に、頭にはクラッカーの紙テープで作った虹色のアフロヘア、顔にはマジックの落書きでチョビひげにつながり眉毛、という姿だった。


 そんな中、二人の若者は、大人たちの宴会見物にもすっかり飽きてしまっていた。

「伊良夢君、絵を見に行かない?」とヒカリは伊良夢に声をかけた。

「もしかして、父さんの絵?」

「そう。このビルの四十二階にあるのよ」

「行こう」と伊良夢はすぐに返事をし、立ち上がった。


 二人はエレベーターフロアまで来た。しかし、エレベーターはメンテナンスのため使用中止になっていた。

「仕方ないわ、階段で行きましょう」とヒカリは伊良夢を誘った。

「えーっ! 階段で四十二階まで上がるの?」と伊良夢は嘆いた。

「何言っての? お父さんの絵、見たくないの?」

「そりゃ、見たいけどさぁ」

「だったらぐずぐず言わないの」と、ヒカリは伊良夢の手を引き、強引に階段へと誘った。

 二人は階段を登り始めた。

 薄暗い蛍光灯のついた階段は、壁もステップも手すりまでも真っ白で、どことなく異質な空間がずっと上まで続いている。二人の足音が規則的に響く中、階下と階上を示す踊り場の壁の数字がひとつずつ増えていった。

 最初はお互いに、学校のこと、友達のこと、家族のことなど、おしゃべりをしながら階段を上がっていたが、十五階を過ぎた辺りから無口になり、二人の靴音も不規則になってきた。 

  

 長い沈黙が続いたあと、伊良夢が階の途中で立ち止まり、ヒカリも上がるのをやめた。さらに沈黙は続いた。


「伊良夢君、じゃんけんーー」とヒカリは突然かけ声を上げた。

「ぽん!」、と伊良夢が反射的に手を開いてパーを出した。

 すると、ヒカリは、「私の勝ちね!」と言ったあと、「チ、ヨ、コ、レ、イ、ト!」と一段一段ステップを踏みながら、階段を六つ上がった。

 伊良夢は呆気に取られ、ぽかんと段上のヒカリを見つめた。

 ヒカリは子供っぽいことをやらかしてしまったと、何だか恥ずかしそうにしていた。そんな彼女を気遣い、「そのゲームの必勝法知ってるかい?」と伊良夢が尋ねた。

「え? 必勝法なんてあるの?」とヒカリは言ったあと、考えを巡らせて答えた。「えーと、グーは三歩しか進めないから、パーとチョキが有利。チョキのほうが強いから……、でも、グーを出されると……。わかった! グーを少なめ、パーを多め、ってのはどう?」

「残念」と伊良夢が首を横に振った。そして続けた。「僕がグー、チョキ、パーを出す回数をそれぞれx、y、z回とし、負けはマイナス、勝ちはプラスとする。グーは3段、チョキとパーは6段だね。君がパーを出すと、僕はグーで負けチョキで勝ちだから、僕の君との段差の相対変数は『−6x+6y』となる。同じように、グーで『−3y+6z』、チョキで『−6z+3x』となる」

「それで?」

「必勝法とは、負けない方法を見つけることさ」、伊良夢は自信満々に言った。

「なるほど」、ヒカリはうなずいた。

「すなわち、負けないためには3式がゼロになればいい。同点に持ち込むんだ。つまり、『−6x+6y=0』、『−3y+6z=0』、『−6z+3x=0』を満たす数字を求めればいいのさ」

「で、答えは?」

「グー、チョキ、パーを2対2対1で出せば、負けることはない」と伊良夢は自信たっぷりで答えた。

「へー、伊良夢君、数学得意だもんね」とヒカリは伊良夢を褒めた。しかし、ヒカリはさらに考え、「じゃ、私は心理学で挑むわ」

「心理学?」

「そう」とヒカリはうなずいた。「人間は心理的に、じゃんけんで続けて同じ手を出さないの」

「それで?」

「この勝負はじゃんけんの回数が決まっていない」

「そうだね。どちらかがゴールに着けば終わりだからね」

「つまり、グー、チョキ、パーを2対2対1で出すには、あなたは、いつ勝負が着くかわからないから、グー、グー、チョキ、チョキ、パーの5回をワンセットとし、その中でランダムに手を出すしかない」

「うん。そういうことになるね」

「そこで、心理作戦を使うのよ」

「同じ手は出さないってことだね。どういう作戦?」

「たとえばあなたがパーを出す。私は次の手でパーに負けるグーを出すの」ヒカリが言った。

「同じ手を出さないなら、次に僕が出すのはグーかチョキ。つまり、君がグーを出せばあいこか勝ちに持ち込める、ってことか!」

「さすが伊良夢君」、そしてヒカリは提案した。「勝負してみましょう!」

「じゃんけん、ぽん!」と、伊良夢はかけ声とともに拳を握った右手を出した。

 ヒカリは手のひらを開き、「はい、私の勝ちね」と階段を登り始めた。「パ、イ、ナ、ツ、プ、ル!」

 

 人気のない白い階段の空間で、じゃんけんのかけ声とステップを踏む足音が響いていた。二人は幼い子どものように、ゲームを楽しんでいる。さっきまで重かった足取りも、お互いの笑顔の癒し効果からか、軽やかに変わっていた。

 

「伊良夢くーん、三十階がゴールよ!」、ヒカリは手すりにつかまり、階段中央の吹き抜けから顔を出し、階下の伊良夢に声をかけた。

「ヒカリ、今何階?」と伊良夢は大きな声で尋ねた。

「もうすぐ二十六階よ!」とヒカリは答えた。

 伊良夢は二十三階と二十四の間の踊り場から少し上がったところにいた。吹き抜けの隙間から上を見ると、ずいぶん上のほうでヒカリは手を振っていた。


 そのとき、ヒカリのいるすぐ下の階に、伊良夢は何かを見た。

「きみ、だれ?」と伊良夢はとっさに尋ねた。それは、小さな白い人影だった。すると、小さな人影はフロアのほうに消えていった。

「え? どうしたの?」と階上のヒカリが手すりに身を乗り出して言った。

「誰かがいた。子どもみたい」、伊良夢は子どものいた二十五階まで駆け上がった。

 ヒカリも階を降りながら、二十五階で伊良夢と落ち合った。「子ども? ここのディベロップセクションはセキュリティが固くて、子どもは入れないはずよ」

「病棟から来たのかな。血の気のない真っ白な裸の子どもだった」

「病棟のフロアとはつながってないわ」

「おかしいな」、伊良夢は二十五階のフロアのドアに手をかけた。「鍵がかかってる」

「気のせいじゃない?」

「確かに見たんだ」

「あ、もしかして、負けてるからってゲームをごまかした?」

「違うよ。ほんとにいたんだ」

 伊良夢は仕方なく、父の絵のある四十二階を目指した。階段を登りながらずっと、彼はその白い子どものことを考えていた。

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