第16話
第十六話「16歳」
伊良夢は普通の高校生である。父親こそいないが、優しい母親に育てられ、普通の暮らしをしている。どこにでもいる十五歳の少年で、ひねくれることも非行に走ることもなく、かといって突出した才能を見せることもない。成績も運動能力も並で、やはり普通の少年としか言いようがない。世の中の十五歳のほとんどがそうであるように、思春期の悩みを抱え、あふれ出す性への衝動とエネルギーの処理にもだえ、大人への偏見と社会への不安を抱えると同時に、未来への希望と憧れを持っていた。
しかしそれは、表向きの彼の姿であり、意図的に作られた内面であるが、そのことを彼はまだ知らない。当然、母親がアンドロイドであることも、自身がムタチオンであることも、彼には想像できるはずもなく、疑問すら持っていない。彼はある目的を持った誰かによって、思惑通りに操られた普通をすりこまれた十五歳の少年なのである。
突然変異体であるムタチオンは、外観の変異とともに、時間と空間の転換を伴う。それ自体に人為的操作はなく、人類が招いた超自然な進化である。魚がカエルに、カエルがトカゲに、トカゲがカラスやサルに、そしてヒトに生まれ変わり、やがて絶滅を迎えようとしている。さらに人間は、自然の摂理を崩してまでも、ムタチオンをブレイノイドへと進化させる計画を進めようとしている。最期の悪あがきとなるならば、いずれ人間は滅びることとなるだろう。それでも、自然はただ彼らのエゴを静観し続け、植物たちは地面にはいつくばり、種となって芽を出す機会を見計らっている。
伊良夢が現実だと思っている世界で、彼は当然のように普通の生活を送っている。そして今日、伊良夢は16歳の誕生日を迎える。
ここはオカチマチ博士の脳科学研究所の会議室。電気が消え真っ暗だが、何かの気配が辺りに漂っている。
伊良夢は研究所のロビーに来ていた。伯父のオカチマチ博士から、コンピュータのデータ打ち込みのアルバイトを請け負い、ロビーで待つようにと言われていた。しばらくして、研究所のスタッフが、会議室へ行くように、と伊良夢に告げた。
彼は廊下を抜け、何者かの気配が漂う真っ暗な会議室のドアを開けた。
「誕生日おめでとう!」
祝いの言葉を合図に、彼の誕生日に集まった者たちがクラッカーのひもを一斉に引っ張った。
ーーパン、パン、パパーン!
一匹の犬がその音に驚き、真っ暗な部屋をほえながら駆け回った。誰かがバースデーソングを歌い始めた。テーブルの上のケーキに立てられた十六本のろうそくに火がともると、みんなが歌に参加し始めた。薄暗いろうそくの明かりの中、伊良夢は会議室の入り口辺りで棒立ちになっていた。歌が終わると誰かが伊良夢の背中を押した。
「吹き消して!」とオカチマチ博士の声が伊良夢を誘導した。
伊良夢はケーキのろうそくを吹き消した。やがて、会議室の電気がつき、集まった人の顔が見えた。みんなは笑顔で伊良夢を祝福した。伊良夢は照れ臭そうに下を向いた。すると、バンダナがテーブルの下からよろよろと出てきた。彼女の首にはクラッカーの紙テープが巻きつき、頭を振って外そうとしているのだが、さらに絡まって、とうとう虹色のたてがみができあがった。バンダナは紙テープの排除をあきらめ、その姿のまま伊良夢のそばに寄り、「ワン!」とひとつほえた。伊良夢にはそれが「おめでとう!」と聞こえた。
「伊良夢君、誕生日おめでとう!」、ヒカリが笑顔でお祝いの言葉を送った。
「ハッピーバースデー!」、ドクター阿南が踊りながら陽気に歌った。
会議室には、オカチマチ博士と衣舞、ヒカリ、ドクター阿南の他に、病棟の看護師と研究所のスタッフが数名、そして、伊良夢の一番の親友である愛犬バンダナが集まっていた。
「あ、ありがとうございます」と伊良夢はぎこちなく言った。そして、「レインボーライオンも、ありがとう!」と、伊良夢はバンダナを抱き上げて言った。みんなはそんな光景を見て笑っていた。
「本日はみなさま、甥の伊良夢の誕生日会に集まりいただき、ありがとうございます」と会の進行役のオカチマチ博士が挨拶をした。
「それと、衣舞さんの全快祝いも兼ねています」とヒカリがつけ加えた。
「ついでに、わたくし、ドクター阿南の歓迎会も兼ねてくれるとありがたいんだが……」と阿南が冗談を添えると、会場は笑いに包まれた。
オカチマチ博士は部屋の隅に置いていた箱を抱え、伊良夢の前に歩み寄った。
「伊良夢君、これは私と衣舞からのプレゼントです」と、オカチマチは箱を差し出した。伊良夢は早速、箱の包装紙を破った。
「やった! 新しいコンピュータだ」と伊良夢は歓喜をあげ、「伯父さん、ありがとう!」と礼を言った。するとオカチマチ博士が早口でコンピュータの説明を始めた。
「そのコンピュータは、グリーンアップル社製バージョン29MRAーAIシステム搭載で、エアキーボード入力とホログラムモニター出力可能な最新型コンピュータだ。SOSEK言語とPIーCASグラフィック処理で、ビジネス系ユーザにもクリエイト系ユーザにも使いやすく、さらに三次元エアタッチパネルやVTCカメラ付き無線GNグラスで……」と解説途中で、ドクター阿南が「はいはい、わかった、わかった、オカチマチ君」と割って入った。
「伯父さん、とにかくすごいコンピュータなんだね!」と伊良夢は大喜びで言った。
「『YURIKAGO』もすでにインストールしてありますから、パスワードを入力すれば続きから始められます」とオカチマチはつけ加えた。
旧型のコンピュータを使っている伊良夢に、最新型のものを渡し、ブレイノイド育成ゲーム『YURIKAGO』をクリアさせる、これこそが彼らの目的だった。伊良夢はただ、みんなの祝福と誕生日プレゼントを喜んでいた。しかし、彼だけが何も知らずにいた。ゲームを装った『YURIKAGO』自体が何であるのか、それをクリアすることにどんな意味があるのかも……。
「そんなにすごいコンピュータなら、ゲームに使うのはもったいないな」と伊良夢はふと言葉を漏らした。すると、会場は一瞬静まり返り、一同が伊良夢を見た。
そして、ヒカリは慌てて、甘えた声色でこう言った。「えーっ、そんなー。私は最後までクリアしたいのに。伊良夢君、手伝って欲しいなー」と。
「あはは、冗談さ。こんな面白いゲーム、途中でやめられないさ」と伊良夢は言った。それを聞いて一同は安堵したが、極端に表情を変えないように努めていた。
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