第15話
第十五話「ダナ」
「ぎゃー! な、なんだ、こいつら!」と、ドアから入って来た奇妙な生き物を見て、男は腰を抜かし声をあげた。そして彼は武器になるものを探して部屋の隅に退き、立てかけてあった金属バットを持ち上げた。
「ダナ!」と犬の姿のメイディが叫んだ。
「おや? イヌ、ネコ?」と金属バットの先を二匹に向けながらダナがつぶやいた。彼は本物の猫も犬も見たことがなく、データの中の写真でその姿を知っていた。
「ダナ、私よ。メイディよ!」と犬のメイディが男に伝えた。
「え? メイ? どうしたんだ、その姿は!」と、金属バットの先をグルグルと回しながら言った。
「いい加減、バットを置いたら?」とメイディはあきれてダナに言った。
「その生意気な口調は、メイディ!」
「やれやれ、そんなだからヒカジの反抗期が治らないのよ」とダナに吐き捨てた。
「メイ、どうやってここに来たんだ? 君はアナログプログラムだ。デジタルの世界には存在できないはず」とダナはびっくり顔でメイディに尋ねた。
「イラムのところはマイクロアナログプログラムなの。だからこうやって、私もバトラーもここに来られたのよ」とメイディはダナに言った。
「イラムって、ヒカジをそそのかしたやつか!」と、ダナは怒りの表情でメイディに告げ、バトラーをにらんだ。
「あ、ぼく、バトラー。こ、こんにちは」とバトラーはメイディの後ろに隠れながら、ダナに挨拶をした。
「ダナ、あなた、モニターで見るのと違って、痩せてハンサムに見えるわ」とメイディは言うと、「ハンサムだって! このボテボテのお腹がゲッソリに見えてるのか」とダナがニコニコしながら言った。
アナログプログラムの中のダナは、痩せ型で背が高く、無精ひげを生やしたハンサムな男で、アロハシャツに短パンにビーチサンダルというラフな格好だった。
彼は持っていたバットをバトラーに向けて、「ほんとにハンサムか?」と尋ねた。
「カッコいい! マリアが見たら、きっと好きになっちゃうよ」とバトラーはダナに言った。
「ダナ、マリアが行方不明なの。マリアはイラムのところのシステムプログラムよ。彼女を探して!」とメイディはダナに頼んだ。
「ヒカジはイラムのところにいるんだな」とダナはメイディに尋ねた。
「そう、一緒に来て!」とメイディはダナに再び頼んだ。
「プログラムの外に出られるのか? よし、うちのヒカジをそそのかした野郎のシステムプログラムに文句言ってやる!」とダナは怒りの表情で叫んだ。
メイディはあきれた表情で、「まぁ、いいわ。行きましょう!」と皆を外に連れ出した。
メイディは来た道を引き返し、バトラーとダナが続いた。廊下に出て、階段を降り、物置部屋へとたどり着いた。メイディとバトラーは外した床板の隙間から床下へ抜け、ダナは床板をもう一枚外した。
「ちょっと狭いけど、今の細身のあなたなら通り抜けられるわ」と暗闇の中でメイディはダナに伝えた。
ダナはなんとか床板の隙間から床下へ降りた。バトラーとメイディはもう床下を抜け、外壁のコンクリートの隙間から外に出ていた。
「ダナ、こっちよー!」とメイディはコンクリートの隙間から暗闇に向かって叫んだ。ダナは床下をはいつくばり、ようやく出口まで来た。
「こりゃダメだ!」とダナはコンクリートの隙間の大きさを見て言った。
「ちょっと小さ過ぎるかも」とバトラーがつぶやいた。そのとき、壁の向こうからガンガンと振動音が聞こえた。そして壁が少しずつ崩れ、穴が大きくなっていった。やっとダナが通れるくらいの大きさになったとき、穴の中から金属バットが飛んできた。
「あら! バットまだ持ってたのね!」とメイディが言うと、穴からダナが顔を出した。ダナは大きくなった穴からはい出た。
「ふぅ、やれやれ」とダナは全身が出たところで大きくため息をついた。
「お疲れさま」とメイディはダナを労った。
ダナは外の景色を見て、「なんじゃこりゃ!」と驚きの声をあげた。
「ダナ、この風景どうなってるの? ここはプログラムの中よね……。これが町っていうものなの?」とメイディはダナに尋ねた。
「多分、私の体と一緒で、デジタルとアナログの互換性の違いで不具合を起こしているんだ。これはきっとマリアが持っているデータを元に作られた仮想世界だ」とダナは答えた。
「それにね、人間のジイサンがいたの。緑の帽子の画家のジイサン」とバトラーが言うと、「ジイサンとはなんだ? 人間のことか? 人類がいるわけがない」とダナが疑った。
「ほんとよ。向こうの空間のベンチにいたの」とメイディがフォローした。
「何かと見間違えたんじゃないのか?」とダナがさらに疑った。
そして、来た道を戻り、住宅街を抜け、プロック塀の崩れた家の角を曲がり、歩道に出て、歩道橋を渡り、公園の入り口にたどり着いた。
「ここにいたんだ」、バトラーが公園の中を案内した。すると、先程のベンチの前に赤い自転車が停めてあるのを見つけた。
「お! これ、ジテンシャか!」とダナが言った。
「ジテンシャってなーに?」とバトラーがダナに尋ねた。
「私のデータには人間が乗る庶民的な乗り物と書いてあるんだが」とダナが言った。
「ジイサンが置いていったものかしら」とメイディが言った。
「カギがかかっていて、動かない」とダナが言った。
「カギってこれかな?」とバトラーはベンチに上がり、置いてあるものを前脚で指した。
「さっきのヒカジのリボンが付いてるわ」とメイディが言った。
ダナはそのカギを手に取った。
「十字形のカギだな。どこにカギ穴があるんだ?」とダナはつぶやきながら自転車のあちらこちらを探した。
鍵穴は自転車の後ろの荷台の下にあった。ダナはリボンのキーホルダーが付いた十字形の鍵を十字形の鍵穴に刺すと、「ガチャ」という音とともにロックが解除された。
「やっぱり、ジイサンが貸してくださったのよ」とメイディは言った。
「これで帰れ、ってことだね」とバトラーも合意した。
「よし! お前たち、乗り込め! 出発だ!」とダナが声を上げた。そして、猫のバトラーと犬のメイディは自転車の前カゴに乗り込んだ。
「出発、進行!」とメイディとバトラーは声をそろえて叫んだ。
「ところでマリアの家はどこだ?」とダナがバトラーに尋ねた。
「えーと、えーと」とバトラーが迷っていると、メイディが「マリアの家は太陽の向こうよ」と言って、夕日の方向を指した。
ダナが自転車をこぎ出した。初めて乗ったダナの自転車は、グラグラとハンドルが揺れ、右へ左へと曲がり、まっすぐに進まない。やっとのことで公園の入り口を抜け、車道の真ん中に出ると、ウネウネとうねりながらもゆっくりと進み出した。やがて緩やかな下り坂に差し掛かると、自転車はスピードが上がり、まっすぐ進み出した。
「これがブレーキか?」とダナがハンドルの下についたレバーを軽く握ると、自転車は前につんのめった。
「キャー!」とバトラーとメイディは叫びながら喜んだ。
「よーし、だんだんうまく走れるようになってきた。スピードを上げるぞ! みんな、つかまれ!」とダナは叫びながらペダルの回転を速めた。
「もっと速く!」とバトラーは叫んだ。
「気持ちいい!」とメイディは喜んだ。
「マリアの家はどんなだ?」とダナはカゴの二匹に尋ねた。
「白くてクルクル階段がついてるの」とメイディは言った。
「そんな建物、周りにいっぱいあるぞ! 何か目印はないのか?」と再びダナが尋ねた。
「大きな猫の前!」とバトラーは思い出して答えた。
「大きな猫だな。みんな大きな猫を見逃すな!」とダナは叫びながら自転車をこいだ。
オレンジ色に染まった夕焼けの空の下、猫と犬を乗せた赤い自転車が、信号を無視して大通りを走って行く。もうすぐ今日が終わり、長い夜が来ようとしているのだが、外の世界を知らない彼らは、夜の闇を経験したことがない。もっとも、ここが現実の世界なら自然に夜の闇がやってくるはずなのだが、マリアの作った仮想現実空間に夜の闇があるのかどうかなど、現状では誰も知らない。
「あ! 猫がいた!」とバトラーが突然叫んだ。
ダナは急ブレーキをかけた。制動力が慣性力に追いつかず、バトラーとメイディは自転車の前カゴから投げ出された。犬のメイディは運良く後脚がカゴに引っかかり、ぶらんとカゴにぶら下がっていた。猫のバトラーは空高く舞い上がって、地上三メートル辺りでくの字に体が反り、次の瞬間、くるりと体を反転させ、落下しながら後ろ回りに二回転したあと、ピタリと地面に着地した。その光景を見ていたメイディとダナは、一瞬沈黙したあと、両手を叩いて称賛した。
「猫!」、バトラーは前脚で頭上を指した。
レインボーカラーのたてがみをもつライオンの大きな看板が、ビルの屋上に掲げてあった。
「あー、ライオンだ。あれは猫じゃなくて、ライオンっていうんだ」とダナはバトラーに説明した。
ダナは振り返った。そこにはらせん階段の付いた白い建物があった。
「マリアの家はここだな」とダナは言った。
ひとりと二匹はらせん階段を上がり、屋上に出た。そして、屋上のドアから部屋に入った。そこにはジャパンのショーワのデザインの部屋があった。ダナは好奇心旺盛な少年のような目で、周りを見回した。
「イラム、ただいまー!」とバトラーは机の上のコンピュータに向かって言った。
コンピュータのモニターはすぐさまイラムとヒカジを写した。
「バト、ダナは見つかったかい?」とモニターの向こうのイラムが尋ねた。
「ダナ、イラムだよ」とバトラーは隣の部屋を物色しているダナを呼んだ。
ダナはコンピュータの前まで来ると、「お前がイラムか! よくもうちのヒカジを誘拐したな」とイラムに怒りをぶつけた。
「誘拐?」とイラムは驚いた。
「ダナ、誘拐は言い過ぎよ。私が自分でここに来たの」とヒカジは言った。「あら、ダナ、痩せてカッコいいわね」
「そうかい、アナログとデジタルの変換不具合で、痩せて見えるんだ」とダナは照れながら言った。
「おい、坊主。かっこいいか?」とダナはイラムに尋ねた。
「あ、僕、イラムです。はじめまして。とってもかっこいいです」とイラムはおどおどして答えた。
「相手にしなくていいわよ」とヒカジはあきれてイラムに言った。
「それよりダナ、マリアを探して欲しいの」とヒカジはダナに頼んだ。
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