第14話

第十四話「ゼロ」


「現在のところ、ムタチオンのウサギとサルでブレイノイド化に成功しました」とオカチマチ博士はミスターゼロに報告した。

「ご苦労。次は人間のブレイノイド化に期待したいものだ」とゼロは博士に遠回しに指示を出した。

 巨人のゼットはゼロの後ろで首を傾けて立っている。相も変わらず訳もわからずにうなずいていた。彼は白い毛のフワフワしたウサギを抱き、肩には小さな白いサルを座らせていた。ウサギは口元をモゴモゴさせ、サルはゼットのまねをして何度もうなずいていた。

「ミスターゼロ、JCN社がセルフアンドロイド化に成功したようです」とオカチマチはゼロに告げた。

「ドクター阿南だな」とゼロは驚きもせず、ゆっくりとうなずいた。

「はい。我々も急がないと」

「我々は損益や競争のためにブレイノイドを開発しているのではない」

「彼らのセルフアンドロイドは、同種での交配は不可能のようです」とオカチマチはゼロに知らせた。

「そうか、ピュアセルはピュアセルを受けつけ難いというわけだ」とゼロはつぶやいた。

「我々のブレイノイドはピュアセルにイグジストセルの融合です。ミックスセルには拒否反応はないと思われます」と博士はゼロに説明した。

「なるほど」とゼロはうなずいた。

「ミスターゼロ、なぜドクター阿南をJCN社に行かせたのですか。我が社に残せばもっとさまざまな開発が進められたはず」とオカチマチはゼロに質問した。

「ブレイノイドの孤立種だけでは人類の発展は望めないのだ」とゼロは言った。

「どういうことでしょうか」とオカチマチはもう一度尋ねた。

「元々、アナロイドには二種類が存在した。植物から進化したシードチルドレンと動物から進化したエッグチルドレンだ。それらは長い年月の交配で、現在では分類できないほどにまで混ざりあってしまった」とゼロは語った。

「つまり、進化に行き詰ったということですか」とオカチマチはつけ加えた。

「その通りだ。では、進化に行き詰った種はどうなる?」とゼロは博士に尋ねた。

「進化が不能な種は絶滅します」とオカチマチは答えた。

「もうひとつの選択肢がある」とゼロが言った。

 オカチマチはすぐに気づいた。「突然変異を起こす」そして尋ねた。「ムタチオンはそうして出現したのですか?」

「逆説的に考えれば、ムタチオンが現れたということは、人間は絶滅の危機にあるということだ」とゼロは説明を加えた。

「多種族の出現が進化を促す、そういうことですね。我々がこれから開発するミックスブレイノイドとJCN社のセルフアンドロイドが、人類の未来を作るのですね」とオカチマチ博士はゼロの説明に納得して答えた。

「未来がそう語っている」とゼロは言った。

「あなたもムタチオンなのですか?」と博士はゼロに聞いた。

「ムタチオンとはアナロイドの突然変異体なのだよ。私は人間の純血種だったわけではない」とゼロは言った。

「ならば、あなたは……」と博士は言いかけた。

「なぜ、君は私の正体を知りたがる。私は無なのだよ。私はゼロなのだ」とゼロは言った。

「あなたは、あのグリーンアップル島で生活を共にした一〇八名の父親のようなものです。あなたが私たち一〇八人をあの島に呼び寄せたのです。この世界の真実を、あなたは私たちに明かした。人類が滅びることも……。我々が今、こうやってグリーンアップル社で働いているのは、人類を救うためではありません。私たちはあなたの役に立ちたいのです。あなたは存在しないといいますが、私にとって、あなたは父であり、家族なのです。私はあなたにこれからも父として存在して欲しいのです」とオカチマチはゼロに思いを伝えた。

「私にはそのような資格はないのだ」とゼロは言い放った。そして、革張りの椅子の上に立ち、左腕のそでをまくり上げ、その腕をピンと伸ばした。彼は右手をズボンのポケットに突っ込み、ゆっくりと中から銀色に光る物を取り出した。ゼロは袖をまくり上げた左手をオカチマチ博士に見えるように前に突き出し、右手に持った銀色のナイフを突き出した左の手首に当てた。

「何をするつもりですか!」

 オカチマチ博士は叫び、ゼロの行動を止めようとした。同時に隣にいたゼットも、ゼロの腕をつかもうと一歩前に踏み出した。

「あーっ!」

 ゼロの右手のナイフが、左手の手首を横に裂き、傷口がぱっくりと縦に開いた。オカチマチはそれを見て両手で目を覆った。


 沈黙のあと、ゼロは突然笑い始めた。「あっはっはっはー!」

 博士は両手を目から離し、ゼロの左手を見た。血が一滴も流れていないことに気づく。

「どうなっているのですか」と博士は驚いて尋ねた。

「脅かせてすまない。ご覧の通りだ。私には、血がないのだよ」とゼロは平然と答えた。

「どうして……」

「そう聞かれても、私にはわからない。どうして生きているのか、私がどうやって、誰から生まれたのか、君に教えたくても私の記憶にはないのだ。私はきっと幽霊みたいなものなのだろう。この体もあれと同じ、ただの器に過ぎないのだ」とゼロはガラスの向こうのポッドに入った抜け殻のアンドロイドを指差して答えた。

「これがゼロという名の理由だ。隠していたわけではない。私の意識がどこかで生まれ、この小さな器の抜け殻の肉体に宿った。血の通った肉体なら成長もするが、私の体は成長もせず、小さいままなのだ。問題は肉体ではなく、意識だ。私の意識がどこでどうやって生まれたのか、私自身が知りたいのだよ。幸い、幽霊同然の私はゼロ空間に入ることができた。君もすでに知っているように、時間の概念のないゼロ空間からは、過去へも未来へも行くことが可能だ。私は自分の意識がどうやって生まれたのかを探していた。そうしているうちに、人間の過去と未来を見てしまったのだよ。ーー聞きたいことはまだあるかね?」とゼロはオカチマチ博士に尋ねた。

「十分です。あなたを知ることができました」とオカチマチは言った。

「いや、私自身が知らないのに、君は私のすべてを知ることはできないのだ」とゼロは言った。

「そうですね」

「だが……、ありがとう」とゼロはオカチマチに礼を言った。

 ゼットは部屋の隅で、両手で目をふさぎながらうずくまって泣いている。ウサギとサルは、ゼットの背中で並んで座っていた。

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