第12話

第十ニ話「じいさん」


「バト、メイ、ダナを見つけるんだ」と、机の上に置かれたコンピュータのスピーカーから、イラムの声が指示した。

 マリアシステムの中に作られた部屋の畳の上で、猫になったバトラーはゴロゴロと気持ち良さそうに寝転んでいた。

「わかったわ!」とメイディは返事をし、「バト、行くわよ!」とバトラーを急き立てた。

 バトラーは、「はーい!」と返事をしたものの、「イラムの部屋もこの床にしてよー。気持ちがいいんだからー」とのんきに言った。

 すると、「バトラー! さっさと立ちなさい!」とメイディが一喝した。

 バトラーはその声に驚き、「はい!」と返事をして立ち上がった。そして、「いってきまーす!」と言い残してマリアの部屋を出て行った。


 二匹がマリアの部屋を出ると、そこはビルの屋上だった。

 バトラーは辺り一面を見渡して驚き、ため息をついた。「なんだ、こりゃ! こんな広い場所、どうやってダナを探せばいいんだ?」と、眼下の町の風景を見て言った。

 バトラーもメイディもずっと部屋の中で過ごしてきた。当然、外の世界を見たことがなかった。目の前には地球の二十世紀日本の町並みがある。それは現実のものなのか、プログラミングされたものなのか、二匹には見分けがつかなかった。

 猫のバトラーは隣のビルに飛び移り、屋根を伝い、壁を渡り、あっという間に地面に降りた。犬のメイディはビルの横に設置された非常用のらせん階段を降りた。

「どっちを探せばいいんだ?」とバトラーは周りをキョロキョロし始めた。ふと見上げると、たてがみを虹色に染めたライオンの大きな看板があった。虹色のライオンに見下ろされ、彼は少し怖くなった。

 辺り一帯は初めて見るものばかり、車に電柱、信号機、歩道橋、空、雲、本物の(あるいは偽物の)太陽……、だが、人はひとりもいなかった。

「とにかく、太陽の向こうにダナの部屋があるわ」とメイディは言った。

 メイディとヒカジのシェルターは、人工太陽の通路の向こう側にある。メイディはただ、外の世界も同じだと考えたのだ。太陽は東の空のまだ下のほうにあった。そして、メイディは東に向かって走り始めた。

「待ってよー! メイー!」とバトラーがメイディのあとを追いかけた。


 二匹は太陽に向かって長い距離を走った。太陽はもうずいぶん昇っていた。

「ねぇ、メイ、全然太陽に追いつけないよー!」と、メイディの後ろを走るバトラーが叫んだ。バトラーもシェルターの人工太陽しか見たことがない。

 するとメイディは立ち止まって、「少し、休みましょう」とバトラーに提案した。

 そこはちょうど公園の入り口だった。息を切らした二匹は公園に入り、ベンチで休憩することにした。

「おかしいわ。太陽に追いつけない。これでは太陽の向こうのダナの部屋に行けない」とメイディが言った。

「それにしてもこの体、とっても軽くて動きやすい」と猫の姿のバトラーが言った。

「そうね、ずいぶん速く走れるわ」とメイディも新しい体に満足していた。

 猫と犬が仲良く公園のベンチで日向ぼっこ。いつの間にか、二匹はすやすやと眠ってしまった。


 太陽はもう真上に来ていた。二匹が眠るベンチの前で、何者かが彼らをじっと見つめていた。三脚を立て、キャンバスに彼らの絵を描いている。その者は、緑色のベレー帽を被った白髪の「いかにも画家である」という印象の老人だった。

 バトラーは老人の気配を感じて目覚めた。「メイ、起きて、誰かいるよ」とバトラーがメイディに言った。

「そんなはずないわ、ここはマリアのコンピュータの中よ」とメイディは言って、ふと隣を見た。メイディは一瞬沈黙し、動きが停止した。

 二匹はイラムとヒカジ以外の人間を見たことがなかった。

「あなたは何?」と、とっさにメイディは言った。

「わしはただの画家のじいさんじゃ。お二人さん、種を超えて仲良くやることは素晴らしいことじゃのー」とじいさんは言って、描き上がったキャンバスの絵を二匹のほうに向けた。

 そこには奇妙な猫と犬の姿が描かれていた。絵の中の猫と犬の顔はどちらも二匹の知る人間だった。その顔は、イラムとヒカジに似ていた。

「あっ! ジイサン、イラムとヒカジを知ってるの?」とバトラーはじいさんに尋ねた。

「お前さんたちのことじゃないのかね」とじいさんはつぶやいた。

「じゃあ、ダナがどこにいるか知っていますか?」と今度はメイディがじいさんに尋ねた。

「犬の嗅覚は人間の百万倍、猫は何倍じゃったかのー。年をとると物忘れがひどくて困る。目の前についとるそいつを使えば、お前さんたちならすぐに見つけられるじゃろ」とじいさんはメイディの鼻を指差して言った。

「でも僕たち、本当はロボットで匂いなんて感じないし、おまけにここは匂いのないプログラムの中だよ」とバトラーは答えた。

「待って、バト。匂いって、これかしら?」とメイディは鼻をクンクンと鳴らした。

 するとじいさんはポケットから何か赤い物を出した。

「リボン?」とメイディはつぶやいた。

 すると、じいさんは赤いリボンを犬のメイディの鼻先に近づけた。

「ヒカジの匂いがするわ」とメイディは驚いてバトラーに言った。ついさっきまで人工頭脳搭載のロボットだったメイディだが、ヒカジの匂いの記憶データが存在していたのだろうか。

 そして、バトラーもリボンの匂いを嗅いだ。「ほんとだ! どうして? ぼくたちには匂いの記憶なんてないはずなのに」と不思議そうに言った。

 メイディはベンチの周りを探った。「バト、ヒカジの匂いよ」

「ヒカジの匂いだ。向こうに続いてるよ」とバトラーが言った。

 二匹はヒカジの匂いをたどった。その匂いは公園の入り口まで続いていた。

「待って、バト。ジイサンにお礼を言わなくっちゃ」と、メイディがベンチのほうに振り向いた。

 しかし、緑の帽子の老人はもうそこにはいなかった。

「何者なんだろう」とバトラーはベンチを見ながらメイディに尋ねた。

「わからない」とメイディはそう答えるしかなかった。


 ヒカジの匂いは公園の入り口から外に続いていた。歩道橋を渡り、道路の向こうの歩道に出て、プロック塀が崩れた家の角を曲がった。匂いはさらに住宅街へ続き、一軒の窓のない四角い無機質な白い建物の前まで来た。

「この中だわ」とメイディは建物を見上げながら言った。

「入ってみよう」とバトラーが提案した。

 正面に入り口はない。二匹は白い建物の脇に回り、入り口を探した。だが、一周しても玄関らしきものは見つからなかった。二匹はもう一度、建物を逆に回り、進入できそうな場所を探した。すると、道の反対側にある建物の裏手に、床下に通じるコンクリートの隙間を見つけた。

「ここから入ろう」とバトラーはメイディに提案した。

 二匹はその隙間に体を押し込み、真っ暗な床下に入った。ここでバトラーの猫の目が役に立った。

「すごい! メイ、僕の目、暗闇でも見えるよ」とバトラーは言って、メイディをエスコートした。そして、バトラーは床板の隙間から漏れている明かりを見つけた。

「ここから入れるかも」と暗闇の中でバトラーはメイディに伝えた。

 猫のバトラーよりひと回り大きな犬のメイディは、明かりの漏れた床板を背中で押し上げた。床板は簡単に外れた。

「やった!」と二匹は同時に叫んだ。

 二匹は床下から部屋に忍びこんだ。物置らしき部屋は薄暗い明かりがともっている。周りを見渡すと部屋の隅に階段を見つけた。

「あそこだ!」とバトラーは階段の方に駆け寄った。

 メイディはあとに続いた。階段を上がりドアを押し開けると、廊下の明るい光が二匹を迎え入れた。廊下の先には白いドアが見える。二匹は恐る恐るドアに近づく。そして、白いドアを押し開けた。

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