第9話

第九話「阿南」


「衣舞の不具合はどうですか?」とオカチマチ博士はヒカリに尋ねた。

「やはり彼女は人工頭脳アンドロイドです。コンピュータの中なら無敵ですが、肉体を持つとさまざまな不具合が出てきてしまいます。ブレイノイドのようにはいきません。休息したとしても、ステージ15までに復活でできるかどうか……」とヒカリは不安混じりに答えた。

「私はしばらくミスターゼロのところへ行かなければなりません」と博士はヒカリに告げた。

「こんな危機のときにですか! 何かあったら私では対応できません」とヒカリは声を荒げて言った。

「落ち着いてください。対策はあります。阿南君に依頼しました。もうすぐ到着します」と博士はヒカリに言った。

「父が来るのですか!」とヒカリは一変して喜んで言った。

「これまで同じ人造人間研究者として良きライバルでしたが、彼の技術がどうしても必要です。彼もまた、我々のブレイノイドに興味を持っているようです。急な話でしたが、二つ返事で来てくれることになりました」と博士は告げた。

「父なら衣舞さんの不具合もどうにかなるかもしれません」

「ところで、テストのほうはどうなっていますか?」

「現在、伊良夢君と私の『YURIKAGO』はともにステージ14に入ります。そろそろ彼に真実を伝えるべきではないでしょうか。彼なら受け入れられるはずです」とヒカリは博士に提案した。

「そうですね。彼なら受け入れられると私も思います。しかし、ミスターゼロは渋っています。必然的偶然なのか、後天的運命なのか、いずれにせよ、今、彼はミスターゼロの子孫にあたります。血のつながりは限りなく深いものです。できるだけ長く、人間らしくあって欲しいと願っているのです」

「しかし……」とヒカリには言葉が続かなかった。

「それに、彼に全てを打ち明けるのは、ヒカリさん、あなたでも私でもミスターゼロでもありません」と博士はヒカリに優しく伝えた。

「はい、そうですね。それは彼の一番の理解者のバンダナさんの役目ですよね」とヒカリは納得して深くうなずいた。

「ステージ15はもうすぐです。あなたが彼を補助し、阿南君が衣舞を回復させればクリアは確実です。そのときには否が応でも真実を知ることになるのです」

『ドクター阿南が到着しました』

 壁のスピーカーがオカチマチ博士とヒカリに告げた。するとヒカリはデスクでの作業を途中で放り出し、走ってコンピュータルームを出て行った。

「やはり血のつながりはどこまでも深いものです」と、博士はひとり取り残された部屋でつぶやいた。


 しばらくすると、コンピュータルームの扉が開き、ドクター阿南が首にヒカリをぶら下げて入ってきた。

「よーう! オカチマチ! 何年ぶりだ、元気だったかー!」と阿南は陽気に挨拶をした。

 ドクター阿南はお腹にたっぷりと脂肪を乗せた大柄な男で、顔には顎ひげを蓄え、アロハシャツに短パン、ビーチサンダルという軽装で、扇子を揺らしながら大股でオカチマチ博士に近づいてきた。

「阿南君、お久しぶりです。君は元気そのもののようですね」とオカチマチは阿南に言った。

「相変わらず、お堅いのー!」と阿南は首にヒカリをぶら下げたまま、オカチマチ博士の脇をくすぐって言った。彼は微動だにせず話を続けた。

「ドクター阿南、人工知能アンドロイドを見ていただきたいのです」とオカチマチは早速仕事の話を切り出した。

 それにも関わらず、阿南は娘のヒカリとじゃれ合い始めた。ヒカリが阿南のひげを引っ張ると、阿南はヒカリの両方の頬をつねって左右に伸ばし、お互いにケラケラと笑いだした。

 オカチマチは気にせず、話をさらに続けた。

「人工知能から発生したシナプス電気信号が、アンドロイドの培養神経細胞に伝達する過程で、拒否反応を起こすことがあるのです」とオカチマチ博士が話し出すと、二人は次のターゲットにオカチマチを選んだ。

「その確率は4パーセントほどなのですが、人間として生活するにも不具合を生じる数値なのです」、オカチマチが話を続けると、二人は彼をいじり始めた。

「知能もボディも人工的なものですから、適合するはずなのですが、人工ボディにレアブレインを乗せたブレイノイドの数値の方が、結果は良好なのです」、阿南とヒカリの二人にあちこちといじられながら、オカチマチは話を続けた。

 するとそのとき、コンピュータルームのドアが開き、誰かが入ってきた。二人はオカチマチをいじり回すのをピタッとやめ、ヒカリはデスクに着き、阿南は腕を組んでコンピュータのモニターを見つめた。

 オカチマチはさらに話を続ける。「Artificial Intelligence(人工知能)分野においては、君の技術のほうがはるかに高度です」とオカチマチが話していると、彼の後ろでは、話の邪魔をしないように衣舞が待機していた。

「人間の脳の機能には、プログラミングが不可能である微妙な判断をする選択機能があるんだ。いずれにせよ、君の妹を診なければ何とも言えない」とドクター阿南は先程とはうってかわって真面目な表情で答えた。

 すると後ろで待機していた衣舞がドクター阿南の隣まで歩み寄って言った。「ドクター阿南、私がその妹です」

 そして、衣舞は兄であるオカチマチのほうに振り向いた。するとその顔を見て、「兄さん! ふざけないでください!」と衣舞はオカチマチを注意した。しかし一瞬の沈黙のあと、衣舞は堪えきれず吹き出してしまった。だが、またグッと堪えて無表情を装った。

 阿南とヒカリのイタズラで、オカチマチの顔には、大きな丸メガネとピンととがった口ひげがマジックで描かれ、頭にはネクタイを外して巻かれていた。

「そうそれ、君に足りないのはその笑顔なんだ。はじめまして、私が君を診察するドクターの阿南です」と阿南は衣舞の前に出て、お姫様を前にしたときの紳士的な儀式のように、膝を着き、彼女の右手にキスをした。衣舞はそんな阿南の振る舞いに、自然と笑顔が溢れ出た。そしてオカチマチを除く三人は、お互いに顔を見合わせて一斉に笑い出した。

「私はこれからミスターゼロのところへ行きます」とオカチマチが部屋を出ようとした。

 すると衣舞が、「その前にちゃんと顔を洗ってね」と、彼を部屋の隅の洗面所へ案内した。

 オカチマチがトイレに入ると、そこから大きな笑い声が聞こえてきた。そして、ネクタイを整えながらトイレから出てきたときには、再び真面目な顔に戻り静かに部屋を出て行った。

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