第5話
第五話「ヒカジ」
イラムが目覚めると、すでに地震は収まっていた。彼は『ユリカゴ』のシールドを開け外に出た。部屋は真っ暗で何も見えない。辺りは閉院した無人病院のように、物音ひとつせず静まり返っていた。彼は『ユリカゴ』に設置していたコンピュータ端末で通路を照らし、マリアシステムのデスクに向かった。
真っ暗なコンピュータルームのシステムに着き、メインスイッチを押した。
「マリア!」
メインスイッチに反応はなかった。
「バトラー!」
イラムは暗闇の中でバトラーを探した。部屋の隅に端末のライトを当てると、瓦礫の下にバトラーが倒れているのを発見した。
「おい、バト、起きろ!」、イラムはバトラーを揺すったが、目覚めなかった。
彼は部屋の生命維持システムの動作を確認するため、端末を操作した。「副交感システム、作動確認!」
システムの中枢部は動いており、シェルター内の酸素供給や温度管理は無事であった。
「まず、バトを起こさないと」と彼はひとりつぶやいた。そして、バトラーを起こすため、彼の背中のパネルを開け内部をチェックした。
「バト、無事に復活してくれ!」
イラムは端末の光でバトラーの体内を照らし、異常箇所を探した。
「見つけた!」
バッテリーにつながる配線のひとつが外れていた。彼は手際よく元通り配線をつなげた。
「よし、起きろ! バト!」
すると、バトラーの頭の上のランプが赤く光り、やがて青の点滅に変わった。
「ピピ」、頭部が回転し、くるりと体を反転させ、バトラーは起き上がった。
「バト、無事で良かった!」
「ピピ、ピピ、ピピ」
イラムはバトラーを抱きしめ、唯一の友の復活を喜んだ。そして、気を取り直してバトラーに命令した。
「バト、照明システムを見てくれ」
「ピピ」、バトラーは右側のアームの先のロボットハンドを収納し、代わりに細長く平たいスティックを腕から出した。彼は壁に設置された鍵穴にそれを刺し、右に左に回転させたあと、さらに深く押し込んだ。
「ピピ」
すると、照明が部屋の奥の方から順に点灯し始めた。
「バト、よくやった!」
床を見ると、あちこちの棚から落ちた物や崩れた壁、外れた天井パネルなどが散乱していた。イラムは地震の脅威を生まれて初めて目の当たりにした。
「部屋の片付けは後にして、次はマリアを見てくれ」
「ピピ」とバトラーは了解の合図を示した。
バトラーはアームのスティックを壁から抜き、マリアシステムのデスクに移動した。そして、メインスイッチの横にある鍵穴にスティックを刺した。バトラーはスティックを左に三度回転させ、さらに深く押し込み、右にも三度回転させた。
「ピ」、バトラーの頭のランプはノーの合図の赤い点滅を示した。
「ダメか」、イラムがつぶやいた。「よし、僕が見てみるよ」
イラムはデスクの下に潜り込み、パネルを外して内部を確認した。次に、システムのメインセクションにつながる配線を外し、持っていた端末につなげた。
「どこにも異常が見当たらない。いったいどうしたんだ。マリア……」
そのとき、雑音がイラムの耳に入った。
「バトラー、何か言ったかい?」
「ピ」
「おかしいな。何か聞こえたんだけど」
すると、またどこかでノイズが鳴った。
「また聞こえた」
イラムはデスクの下から出て、音の出どころを探した。
「バト、お前も探してくれ」
「ピピ」
バトラーは部屋のあちこちを歩き回り、イラムも音源を探してうろついた。すると、バトラーが遠ざかるにつれて聞こえてくるノイズの音量が小さくなることに、イラムは気づいた。
「ん? バトラー、お前がノイズを出してるんじゃないか」
「ピ」
「バトラー、少し歩いてみて」とイラムはバトラーに命じて、音を確認した。
イラムの言う通りに、バトラーは部屋の中を歩いた。
「ストップ!」
イラムはバトラーに近づいて、ボディに耳を当てた。「やっぱりお前だ」。
開けっ放しのバトラーの背中から、イラムは体内をのぞいた。「何が音を出してるんだ?」
イラムの予想どおり、バトラーのボディパーツがノイズを発信していた。
「君はどこからか発信された電波ノイズを拾ってるんじゃないか? もうちょっと向こうに動いてみて」
イラムが指をさした部屋の隅の方へ、バトラーが動いた。すると、ザーッというノイズがさらに大きくなった。
「バト、電波の大きく拾える場所を探してくれ!」
バトラーの体内のスピーカーコイルが、どこからか発信された電波をキャッチしているのだ。
「ピピ」、バトラーは部屋をクルクルと回り、ある地点で止まった。
「そこが最大ノイズ地点か。君のボディじゃ音声をうまく拾えないようだ」
イラムは部屋に散乱した蛍光灯の傘やら天井の板切れを拾い集めた。
「ピ、ピ、ピ?」
「無線機を作るのさ!」
イラムはデスクの引き出しから工具箱を出し、ドライバーやらペンチを並べ、地震で散乱した廃材から無線機を作ろうとしていた。
「バト、そのアームのスティック、外れるかい?」
「ピピ」、バトラーはイエスの合図を出したあと、右のアームから金属のスティックを外した。
イラムは未完成の無線機の配線をスティックにつなぎ、機器本体に取りつけた。
「オッケー!アンテナの取り付け完了」
「ピ」、バトラーは嫌な予感を感じ、頭のランプを黄色に変化させた。
「まだ、部品が足りない。バト、ちょっと来て!」
「ピピ」、バトラーはノーの音声合図を出し、頭のランプの黄色を点滅させたあと、赤く回転させた。
「バトラーちゃん。お願い! 部品を貸してよ!」、イラムはそう言うと、逃げ惑うバトラーを追いかけ回した。
ようやく捕まえて、無線機に必要なコイルやスピーカー、配線などをバトラーのボディーから外した。
「終わったら必ず返すから、ちょっとだけ貸してね」
イラムはバトラーから拝借した部品を使い、数分で無線機を完成させた。バトラーは頭のランプを赤く点滅させたが、いつもの「ピピ」の音声は鳴らなくなってしまった。
「よし、バトちゃん、完成したぞ!」、イラムは声を無くしたバトラーをなぐさめるように、優しく無線機の完成を告げた。
イラムは次に完成した無線機のアンテナを部屋の隅に向けた。
すると、『応答ねが……』と、どこからか発せられた音声を拾った。
「バト、誰かいる!」とイラムは言った。「おい、君! 僕の声が聞こえるかい?」
イラムはマリアの発するコンピュータの合成音声とバトラーの「ピピ」以外の他の者の声を聞いたことがなかった。
「君はどこにいるんだい? 僕の声が聞こえるかい?」、イラムは初めての声に興奮していた。
『誰かいるの……、声が聞こえ……』
「君は誰だい?」
電波のキャッチ地点は部屋の隅にあった。壁の向こうにはプラントルームがある。イラムは通路を迂回して、プラントルームに向かった。「バト、一緒に来て」
プラントルームは人工太陽が出ておらず、真っ暗のままだった。
「明かりを頼む」
バトラーは目から放たれるライトでイラムの周りを照らした。イラムは電波を拾った壁の裏側から高感度の地点を探った。
「応答願います。誰か答えて!」
すると無線機のスピーカーに反応が返ってきた。
『聞こえるわ。あなたは誰?』
「よかった。やっとつながった。僕はイラム。君は?」、イラムは無線機の向こうの見知らぬ人物に尋ねた。
『私はヒカジ。さっき地震が起こったんだけど、そのときうちのロボットが電波をキャッチしたの。あなたが発信したの?』
「もしかしたら、うちのロボットかもしれない。偶然に電波を送信したみたい」
『そうなの? 緊急事態だと思って』
「緊急事態といえば、緊急事態なんだけど」
『何かあったの?』
「うちのメインシステムが故障したんだ」
『それは大変だわ。あなたは無事?』
「僕は大丈夫」
『助けてあげたいけど、あなたがどこにいるのかわからない。私の居場所もわからないの』
「君のところでも地震の揺れを感じたんなら、近くにいるはずだね」
『あら』
「どうしたの?」
『太陽が沈んだのよ。扉が閉まり始めて暗くなってきちゃったわ』
「こっちは真っ暗だ」
『人工太陽ってシステム制御できないから不便よね』
「確かに。でも、地球では規則的な時間を使って、本物の太陽の下で暮らしてたんだよね」
『そうね』
「もう睡眠予定時間かい?」
『もう少し。あなたのところは真夜中?』
「わからないんだ。タイムをなくしたようなんだ」
『太陽が出れば、時間がわかるわ』
そのとき、プラントルームの隅の高いところの壁が開いた。
「あ、たった今、うちに朝が来た。」、イラムは気づいた。「あれ? ちょっと待って、もしかして」
『あ! もしかしたら』
二人は同じことに気づいた。
「君のところの壁は開いてるかい?」
『うん、まだ開いてるわ。ロボットに中を調べさせてみる』
「こっちもからも見てみるよ」
イラムの部屋ではプラントルームの窓から人工太陽が現れた。太陽はドーム型の部屋を天井に沿ってゆっくりと進んでいく。
イラムは無線機を地面に置いて、バトラーを呼んだ。「バト、あの壁の扉を調べてみて」
バトラーの頭部はボディと分離し、空中を浮遊しながら壁の扉へと向かった。
バトラーの頭部が扉の向こうの何かに反応した。
「……!」、バトラーの頭部のランプは激しく点滅し、アームや脚をばたつかせていた。
「扉の向こうに誰かいたんだね」
「……!」、バトラーは頭のランプの点滅と動作で、扉の向こうに何かがいたことをイラムに告げた。
イラムは無線機を拾い上げた。「ヒカジ、うちのロボットが何かを見たようだ。たぶん、君のロボットだと思う」
『うちのロボットも興奮してるわ。今、扉が閉まった』
「やはり、君の部屋とあの人工太陽の通路でつながってるようだね」
『うん、思った通りだわ』
「通り抜けられるかな?」
『そっちはまだ開いてる?」
「まだ開いたままだよ」
『時間はあるようね』
「だけど、問題は太陽の熱だ」
『それなら大丈夫よ。数分ならロボットは熱に耐えられるわ』
バトラーの頭部は太陽のすぐ横を通って、自分のボディに戻った。確かに、バトラーは太陽の熱に何も反応を示さなかった。
「でも、ロボットは耐えられても人間は耐えられない」
『私、体が小さいの。ロボットの中に入れば、熱も大丈夫よ』
バトラーの体内も空洞になっている。体の小さな子どもや女の子なら、中に入れるだろう。
そのとき、イラム側の壁の扉がゆっくりと閉まり始めた。
「こちらの扉が閉まり始めたよ」
『通り抜けるまで、時間は十分あるようね。これならそっちに行けそうよ』
「よし、明日の夜もう一度様子を見て実行しよう」
『了解、無事にそっちに行ければいいんだけど』
「僕は君に会いたい」
『私もよ』
そうして、イラムは明日のヒカジとの初対面に興奮し、夜が来るまで初めての来客の準備をして過ごした。
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