第4話
第四話「YURIKAGO」
ある日曜日、衣良夢はコンピュータを立ち上げ、ゲーム『YURIKAGO』を起動させた。コンピュータ画面の中では、彼のアバターのブレイノイドが安眠装置の中ですやすやと眠っていた。アバターの名は衣良夢と同じ読みの「イラム」としている。ようやくメインシステムの修復が終わり、レベル13へと進んだ。彼はアバターのイラムを起こそうと画面の中の安眠装置をクリックした。ところがゲームの中のイラムはなかなか目覚めなかった。
「おい、どうしたイラム! 早く起きろ!」と叫びながら、彼はマウスの左ボタンを連打した。
「なんだよ!」
彼は『YURIKAGO』のディスクと一緒に伯父から渡されたファイルに、「ステージ1レベル13、ブレイノイド目覚めず」と記した。発売前のゲームなので、不具合のチェックも請け負っている。
どうやらコンピュータがフリーズしてしまったようだ。彼はもう一度アバターのイラムにカーソルを合わせ、マウスの左ボタンを連打した。すると、『YURIKAGO』のアプリケーションは強制終了してしまった。
「なんだよ、まったく!」
彼はさらにデスクトップの『YURIKAGO 』のアイコンをクリックして起動を試みた。しかし、アプリケーションは立ち上がろうとするのだが、メイン画面を表示することなく、またすぐに強制終了してしまった。
「ボロマシンめ!」、伊良夢は仕方なくコンピュータ本体を再起動させた。
衣良夢のマシンはもう十年も使っている。そろそろ最新バージョンの新しいマシンが欲しいと思っていた。
シャットダウンの一連の画像がモニターに映し出され、コンピュータの電源が切れた。そして再び、モニターが起動時の画面を表示し、再起動が完了した。
イラムはもう一度、『YURIKAGO 』をスタートさせた。しかし、『YURIKAGO 』はかたくなに彼の命令を拒否し、スクリーンを凍りつかせた。
「おい、どうした! 起きろ、イラム!」
彼はマシンの画面を叩き、本体をグラグラと揺さぶった。
そのころ、脳科学研究所では……。
「オカチマチ博士! 被験者2号にトラブル発生です」とヒカリはオカチマチ博士に告げた。
「どうしたんですか、ヒカリさん」
「地震に遭遇しているんです」
「そんなはずはない。あそこは優れた耐震構造で、たとえ地震が起こっても、振動は分散されて揺れは感じないはずです」
「ですが、見てください! ヒカジの部屋が揺れているんです」
ヒカリはコンピュータのモニターを博士に見せた。
「本当ですね。被害はどうですか?」
「ヒカジを『ユリカゴ』に避難させました。システムも大丈夫です」
オカチマチ博士は全システムの画面を大型スクリーンに切り替え、他の被験者のモニターを確認した。
「あそこだ!」、博士は一つの画面を指差した。「被験者3号の居住区だ」
「うちより大きく揺れているわ」
博士はメインシステムを操作し、地震の原因を探した。「わかった。こちら側の問題のようだ」
博士はモニターを見ながら、カタカタとキーボードを叩き、原因を見つけた。
「衣良夢君のコンピュータですか?」
ヒカリはそれを素早く察知した。
「うん、そのようだね。衣舞に連絡してみよう」
博士は腕につけたレシーバーの赤いボタンを押した。
「おかしい。衣舞が応答しない」と彼は再びレシーバーのボタンを押しながら言った。
「また衣舞の不具合でしょうか」とヒカリは博士に尋ねた。
「この地震も衣舞のせいかもしれない」
「私が衣良夢君にアクセスしてみましょうか?」、ヒカリは『YURIKAGO』のチャット機能で伊良夢にアクセスする方法を思いついた。
「仕方ない。やってくれたまえ」
「はい」
ヒカリはデスクのコンピュータに向かって、カタカタとキーボードを叩いた。そして、『YURIKAGO』を通じて、衣良夢のマシンにメッセージを送った。
〈こんにちは。私はヒカジ。あなたは?〉
衣良夢がフリーズした『YURIKAGO』と格闘していると、画面の隅に吹き出しのメッセージが現れた。
「なんだ? このゲーム、チャット機能もあるのか」
伊良夢はコンピュータのキーボードをたたいた。
〈こんにちは。僕はイラムだけど、君はどこでこのゲームを?〉
〈父の知り合いに不具合チェックを頼まれて、パイロット版をもらったのよ〉
〈僕の伯父さんかも?〉
〈誰かは、わからないわ〉
〈まぁいいや。それより、ゲームが立ち上がらないんだ〉
〈あら、大変ね。でも、たたいても揺すっても直らないわよ〉
〈え、どうして?〉
衣良夢は一瞬、見られているのかと思い、部屋の周りを見渡した。しかし、そんなはずはない、と再びマシンに向き直った。
〈それより、マシンのスペックを教えて〉
〈バージョン24〉
〈えー! それって大昔の遺物よ〉
「博士、彼のコンピュータはバージョン24です」とヒカリは博士に告げた。
「なんだって! そうか、そこまでは想定外だった」
博士は頭を抱えて対策を考えた。
〈たった4つ前のバージョンさ〉
伊良夢は平然と答えた。
〈もうとっくにサポートは終了しているわよ〉
「マシーン本体を代えなければダメですね」とヒカリは隣にいる博士に告げた。
「ステージはどこまで進んでいるのか聞いてください」
〈どこまで進んだ?〉
〈ステージ1レベル12終了。13でフリーズ〉
「13です」とヒカリは博士に伝えた。
「ここでマシーンを代えたら、また1からやり直しですね。13まですばらしい成績です。なんとかステージ15まで終わらせないと」
博士は腕を組んでヒカリの後ろを右往左往した。
「でも、このままではどうにもなりません」とヒカリは率直に答えた。
「衣舞の居場所を聞いてください」と博士はヒカリに指示を出した。
〈あなた、一人暮らし?〉
〈母親と一緒だよ〉
〈お母さん、今どこに?〉
〈え? どうして?〉
〈だいじな息子が知らない女性とネットで密会なのよ〉
〈あはは、母さんは買い物に出かけてるよ〉
「衣舞は近所のスーパーだ。手分けして探してくれたまえ!」、博士は腕のレシーバーに向かって待機中のスタッフに指示を出した。
ヒカリのデスクの後ろで、博士は行ったり来たりを繰り返し、ときどき、壁の時計に目をやった。ヒカリは対策もなく、膝の上で両手の拳を握り、コンピュータのモニターを見つめていた。
『衣舞を見つけました』
博士はレシーバーからの音声を聞いた。
「すぐにこちらへ運んでください」と博士はレシーバーの向こうのスタッフに指示を伝えた。
「やはり、衣舞の不具合らしい」と、ヒカリの後ろで博士は壁に向かって言った。
「被験者3号はユリカゴで眠っています」とヒカリは状況を博士に伝えた。
「そうですか。それならとりあえず安全ですね」
「どうしますか?」
博士はヒカリの質問に沈黙で答えた。
「どうにかしないと被験者も衣良夢も……」、膝の上の拳をさらに握りしめながら、ヒカリはつぶやいた。
「衣舞が不具合ではどうにもならないのです」
「私が行きます」とヒカリは覚悟を決めて言った。
「それは危険すぎる。不具合で衣舞が起動できなければ、戻れない可能性があるのです」と彼はヒカリのほうに振り返り、彼女の背中に伝えた。
「それでも、他に方法はありません」
「君を犠牲にはできません」
「人類の未来のためです」とヒカリは声を荒げて答えた。
「しかし、衣良夢のマシンがあの状況では、どちらにしても手詰まりです」
「確かに、そうですね」
ヒカリはうつむいて拳を緩め、ため息をついた。そして、再び顔を上げコンピュータの画面をにらんだ。
〈ちょっと待ってて〉
衣良夢からメッセージが届いた。
〈どうしたの?〉
ヒカリは慌ててキーボードを叩いた。
〈犬が扇風機に向かってほえてるんだ〉
「博士、バンダナさんが扇風機にほえているらしいです」とヒカリは博士に報告した。
「何かに気づいたようですね」
「もしかして!」
〈イラム、マシンの熱は?〉
〈熱い〉
〈冷やして! 復活できるかも〉
〈わかった〉
「バンダナさんの予想通りならいいんだけど」とヒカリはつぶやいた。
〈氷水を袋に入れて、本体を冷却中〉
〈濡らさないように、気をつけて〉
〈了解〉
「博士、衣舞さんが到着しました」
車椅子に乗せられて、衣舞が現れた。
「オカチマチ博士、経緯を聞きました。すみません」と衣舞は申し訳なさそうに言った。「被験者3号はどうですか?」
「彼はユリカゴに避難していますが、システムは停止しています。こちら側の衣良夢はマシーン本体を冷却中で、うまくいけば被験者3号が目覚めるでしょう」
「システム停止で、イラムはうまくやれるでしょうか」と衣舞は博士に尋ねた。
「うん、それは難しいかもしれません」博士は率直に答えた。「それより君の状態は?」
「少しめまいを起こしましたが、快復できそうです」
「やはり、私が行きます」、ヒカリは二人の会話に割り込んだ。
「レベル15をクリアするまでに、衣舞が快復すれば、何とかなりそうだ」、博士は二人に告げた。
「はい」とヒカリと衣舞は同時に返事をした。
「衣舞は検査を終えたら、家に戻ってください。マリアシステムにはつながず、家で安静にしてください」と博士は衣舞に指示を出した。
「わかりました」と衣舞は返事をした。
〈イラムが目覚めた! やったね〉
伊良夢はヒカリにメッセージを送った。そして、愛犬のバンダナを抱きしめ、「よくやった! お前は天才犬だ!」と、彼女の頭をなでた。
ヒカリは伊良夢にメッセージを送った。
〈イラム、レベル13よ。指令は出た?〉
〈うん、今出た。「友達を迎え入れよ」だって、ヒかジ、うちにおいで〉
〈喜んで! さぁ、行くわよ!〉
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