第3話

第三話「ユリカゴ」


 イラムは幻想を見た、安眠装置『ユリカゴ』の中では脳が停止しているはずなのに……。彼は『ユリカゴ』から抜け出し寝室を出て、システムルームのデスクに着き、モニターの中のマリアを呼んだ。

「マリア、また幻想を見たんだ」

 マリアはすぐにモニターに現れた。「幻想? 寝ている間に?」

「そう」

「それは夢というものよ」とマリアは言った。

「ユメ? 脳がそいつを見るのかい?」、寝癖のついた髪をかきむしりながら、イラムは尋ねた。

「そうよ。でもおかしいわね。あなたのようなブレイノイドも夢を見るのかしら?」

 モニターの中で腕を組みながら、マリアはプログラムのデータからその原因を探した。

「ねえ、ブレイノイドってどういうもの?」とイラムはマリアに尋ねた。「バトのデータには詳しく載っていないんだ」

「ブレイノイドはブレイン・アンドロイドのことよ。人工培養した細胞で造ったボディに、人間の脳を組み込んだ、バイオテクノロジー・アンドロイドよ。もっとも人間に近いと言われているわ」と彼女は簡潔に答えた。

「僕の脳は人間の脳なのかい?」、椅子に座り直し、イラムは再びマリアに尋ねた。

「そうよ」

 イラムはマリアに次々と質問を浴びせた。「人間の技術にクローンというのがあるけど、それとは違うの?」

「たとえば、クローン元の生体が何か悪性の細胞を持っていたら、生まれたクローンの生体にも同じ悪性細胞がコピーされるの。ところが、人工培養の生体は、培養段階で悪性細胞が取り除かれ、まったく欠陥のない生体が生み出されるのよ。つまり、ブレイノイドは病気知らずというわけ」

「そういえば、僕は病気になったことがないね」

「そうね。再生能力も高いわよ。怪我したって数時間で治っちゃう。放射能だってへっちゃらよ」

「そんなにすごいんだ」、イラムは驚いて、さらに尋ねた。「僕の脳は誰か人間の脳だったんだよね」

「そうね」

「元の持ち主の情報を知ってるかい?」

 七年間のマリアの留守で、イラムは自分自身の知るべき情報を知らずにいた。

「ちょっと待ってね。重要な情報だから、金庫の中にあるのかもしれないわ」、マリアはそう言うと、デスクを離れ、部屋の奥の金庫に向かった。

 マリアは金庫と格闘していた。「あれ? おかしいわね。金庫が開かないわ」

 システムのモニターからガチャガチャと金属音が聞こえた。

「もしかしたら、マイクロアナログプログラムのせい?」

「そうかもしれないわ」

「変換キーを使ってみて」、イラムはマリアの留守中に作ったデジタルからアナログへの変換プログラムを勧めた。

 マリアはデスクの引き出しからプログラムの変換キーを取り出し、もう一度金庫に向かい、それを鍵穴に差し込んだ。「んー、ダメね。鍵が合わないの。鍵穴は十字型なのよ。互換性の問題ね」

「アダプターを作れば開くはず」とイラムは提案した。

「そうね。でも脳の持ち主の情報をどうするの?」、マリアはイラムに聞いた。

「僕が見たのは行ったこともない地球の夢なんだ。僕と同じ十五歳の人間の少年が、退院する母親を迎えに行くんだ。バトラーの持ってない地球の情報が見えたんだ。たとえば、彼は『イヌ』という地球の生物と暮らしてるんだ」とイラムは昨夜見た夢をマリアに話した。

「おかしいわね。『ユリカゴ』のせいかしら」とマリアは顎に手を当てつぶやいた。

「僕を作ったのはマリアなんだよね」

「いいえ違うわ。私はあなたを管理しているだけよ。人工知能の私がそんな技術を持っているはずはないわ」

「じゃ誰が作ったの? それも金庫の中なのかな」

「きっとそうね」

「僕は何のために作られたんだろう。どうしてここにいるのかな」

 人間世界でいう思春期の少年であるイラムの質問に答えられないことを、マリアは恥じていた。モニターの向こう側のイラムを見るマリアの目は、まるで我が子を心配する母親のようだった。

「ここはいったいどこなの?」とイラムはさらにマリアに尋ねた。「僕たちはどこにいるの? バトの情報ではXYZ空間のどこか、ということしかわからなかったんだ」

「それならわかるわ。でも、バトも同じマップを持ってるはずだわよ。ちょっと待ってね」と言って、マリアは別の本棚を探した。

「あったわ。だけど、あれ?」

「どうしたの?」

「マップが消えてるわ」

「何だって!」

「もしかして、それもアナログプログラムのせい?」

「いいえ、マップとタイムは元々アナログプログラムなのよ」とマリアは言った。「まさか!」、マリアはデスクの引き出しから腕時計を出した。「止まってるわ」

「マップとタイムを失ったってこと? 僕らはどうなるの?」

「わからないわ」とマリアは答えた。「私たちは何かの目的で作られたはずよ」

「どういうこと?」

「創造主はきっと地球の人間。何か対策があるはず」

「助けに来てくれるかな」

「だけど、位置がつかめなくなったら創造主は私たちを見失うかもしれない」とマリアは言った。「あっ、そうだわ」、マリアはデスクの横のゴミ箱を漁った。

「何をしてるんだい?」

 マリアはその中に一枚の紙切れを見つけた。「見て! 『2314年9月15日人類滅亡』。ゴミ箱にログファイルが残っていたわ」

 マリアはモニターの向こうから、文字の書かれた紙切れをイラムに見せた。

「地球の太陽時間だね」

「そうね。だけど、これから起こることなのか、もう起こってしまったことなのか、わからないわ」

「ブレイノイドは放射能もへっちゃら、って言ったよね」

「ええそうよ」

「核兵器で汚染された地球でも生きていけるってことだね」

「もしかしたら、それが理由かもしれない」とマリアはうなずいた。「ブレイノイドといっても、その他の性能は人間とほとんど変わらない」

「人類滅亡から逃れるために、新人類として僕が造られたとしたら?」

「もうすでに人間は滅亡してしまった、ということ?」

「もしそうなら、創造主は僕たちを見つけに来ない」

「だったら私たちが創造主の元に行かなくちゃ」

「創造主ならこういうことも想定しているはず」

「どこかにその方法が隠されているのかもしれないわね」

 そのとき、突然部屋の明かりが消えた。

「なんだ?」

 バトラーがサイレンを鳴らして現れた。胸のパネルには「EMERGENCY」の赤い文字が点滅し、頭の赤いランプが回転している。やがてパネルに「キンキュウ・ジシン・ソクホウ」の文字が現れ、カウントダウンを始めた。

 明かりの消えた部屋で、光るモニターに向かって、「マリア、ジシンってなんだ?」とイラムはマリアに尋ねた。

「地面が揺れるのよ! イラム、あなたは『ユリカゴ』に避難して! 急いで、あと十五秒よ!」

「わかった!」

 彼は暗闇の通路を壁伝いに走り『ユリカゴ』のある寝室に向かった。通路のスピーカーからマリアの声で「あと十秒!」と聞こえた。

 寝室に到着した彼は、『ユリカゴ』の側面のボタンを押し、シールドを開けて中に入った。シールドを閉めると同時に大きな揺れが襲ってきた。

「イラム、だいじょ……」、『ユリカゴ』の中のスピーカーから聞こえるマリアの声が途絶えた。

 壁や棚や天井が大きく揺れている。『ユリカゴ』は小型のシェルターになっており、五トンの衝撃にまで耐えられる。その性能はうまく地震の揺れを打ち消し、中ではほとんど揺れを感じない。

 彼は『ユリカゴ』の中に設置してあった小型のコンピュータ端末で「ジシン」について調べた。

 地震とは、地球における自然現象の一つで、時に大きな揺れにより自然災害をもたらす。地球表面の岩石層であるプレートの移動で、プレートどうしの摩擦で振動が起こる、とあった。

「地震が起こったということは、ここは地球なのか」 

 イラムは『ユリカゴ』の中で、たくさんの疑問を抱え込んだまま眠ってしまった。

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