元聖剣の日常⑤


 ――この中にS級が。あの「氷のアルド」がいる。


 扉の前に立ち、ルティアは深呼吸をして息を整える。ところが、扉を叩こうとした手が、内側から漏れてくる声でふと止まった。


「薬草が必要なんだ。今すぐ、どうしても」


 それはどこかで聞いたことのある声だった。応えてバイロイドの声が続く。


「本部の依頼より薬草探しを優先するなんて知られたら、いくらお前さんでもマズイぞ」

「かまわない。薬の方が急ぎだ。封印には何も問題はないのだから」

「そりゃあ、お前さんには分かるんだろうけど……」

「『俺』が問題ないと言っているのに、何が何でもアーロイに行けと言う本部の気が知れない」


 察するところ、バイロイドと話をしているのが「氷のアルド」だろう。


 ――無口と聞いていたけれど、案外よくしゃべるのね……。


 そんなことを思いながらも、ルティアはなぜか胸の高鳴りを覚えていた。

 どうしてだろう。この声に聞き覚えがあるような気がする。聞いていると胸がドキドキする。

普通の娘だったらここで「恋かしら」などと思うところだが、そうはならないところがルティアのルティアたる所以だ。


 複雑な育ちをしている上に聖剣としての記憶を内包しているルティアは、どこか変な部分で冷めているのだ。


 ――「氷のアルド」と会ったことも話したこともないのに、どうしてこの声に聞き覚えがあるのだろう?


 疑問に思ったルティアはそれを探るために、今一度アルドの「声」を聞こうと身を屈めた。ところが次の瞬間、聞こえてきた彼の言葉に仰天する。


「扉の外にいる奴。……いい加減に入ってきたらどうだ」


 どうやらルティアが聞き耳を立てているのが分かっていたらしい。観念したルティアはふぅっと小さな息を吐くと扉を叩いた。


「ルティアです。失礼します」


 扉を開けて、真っ先に目に飛び込んできたのは、大きな身体を椅子に窮屈そうに収めている支部長のバイロイドだった。扉の角度のせいか、客人の姿はまだ見えない。さらに一歩室内に足を踏み出したルティアをバイロイドの微笑が迎えた。


「ルティア。突然呼び出してすまないな」

「いえ。ちょうどギルドにいたので――」


 言いながら客人の方にちらりと視線を向けたルティアの声が途切れる。

 ルルの言っていた通り、客人はとてもきれいな顔立ちをした若者だった。鼻筋はすっと通り、切れ長の水色の目が前髪から覗いている。髪は少し長めの艶やかな黒髪で、灰色の旅用マントに少しだけ後ろ髪がかかっていた。


「ア……」


『あ』の形に開いたルティアの唇から、音にならない声が漏れる。


 ルティアは彼を知っていた。いや、ルティアではなく、エクセルティーアが知っていた。記憶の中の彼よりも五、六歳ほど成長していたけれど。


 ――アシュ……?


 間違いない。いくら姿かたちが多少変わろうとも、彼から感じられる魔力は変わらない。ここにいるのは水の聖剣エクセルティーアの使い手である「アシュアルド」だ。


 ――本当に、アシュなの? どうしてあなたがここに? アーロイの地で魔王と共に氷の中

に封印されているのではなかったの?


 頭の中に懐かしさと共に疑問が湧き上がり、ルティアとしての心とエクセルティーアとしての思考がぐるぐると渦巻いて、混乱していた。


 それでも「アシュ!」と呼びながら彼に抱きつかなかったのは、かつてはキラキラと明るく輝き、その感情を雄弁に語っていたアシュアルドの水色の瞳が、今は冷たくルティアを見返していたからだ。


 そこには何の感情も浮かんでいない。正しく凍りついているかのようだった。


 ――どういうこと? 本当にこれはアシュなの?


 アルドから感じる魔力は、エクセルティーアが知っている使い手のものだった。エクセルティーアがそれを間違うわけがない。けれど、覚えている彼とは年齢もそうだがあまりにも印象が違っていて、確信が持てないほどだった。


 ――どうなっているの? ねえ、誰か教えて!


 基本的にいつも冷静なルティアがこの時は完全に我を失っていた。ところが、表面上はいつもとあまり変わらなかったらしい。バイロイドは娘の困惑ぶりに気づくことなく客人を紹介する。


「彼はアルドだ。あまり大っぴらにはできないがS級の冒険者でな。用事があってこのヴォルドに来たらしい。アルド、この子は俺の養い子だ。名前はルティア・ホワイト」

「ホワイト?」


 ここでようやくアシュアルドの顔に、ルティアに対するほんの少しの興味らしき感情が浮かんだ。


「もしかして、あんたのパートナーだったルギの?」

「そう。ルギの子だ。もっとも養女だったのでルギとも血のつながりはないけどな。ルギが七年前に流行り病で亡くなったので、俺が引き取ったんだ」

「そうだったのか……俺がいない間に色々あったんだな」


 ルティアはその言葉に衝撃を受けていた。


 ――俺? アシュが「俺」?


 遠い昔、エクセルティーアが聞いた思い出のアシュアルドの声がルティアの耳に蘇る。


『エクセルティーア、ずっと僕たちは一緒だよ。ずっと』


 ――こ、これは一体誰ですか……!?


 エクセルティーアの知っているアシュアルドは「俺」なんて言わない。彼女の記憶の中のアシュアルドは誰に対しても笑顔で礼儀正しい少年だった。こんな冷たい目で人を見るなんてことなかった。


 ――どうしたの、何が起こったの。彼はどうして別人のようなの?


 聖剣としての本能は目の前の彼を「アシュ」だと訴えているのに、感情の部分でどうしても納得できなかった。

 バイロイドが何かを説明している。でもルティアの耳にはほとんど聞こえていなかった。


「でな、ルティア。お前なら西の森に詳しいし、薬草のある場所を知っている。アルドを案内してやってくれないか。謝礼ははずむそうだぞ」

「え? あ、はい!」


 反射的に承諾してしまった後で、ルティアは自分に対して内心突っ込んだ。


 ――私は馬鹿か。謝礼に食いついてどうするのよ!


 その時、ふとあることを思い出してルティアは愕然となった。


 ――待って、アシュがこうしてここにいるってことは、アーロイの地に行く必要がなくなっ

たってことよね?


 だったら、今までお金を貯めていた自分の努力は一体何だったのか。いや、喜ぶべき状況のはずだが。


「……ショック……」


 今度は思ったことが思いっきり表に出てしまったらしい。がっくりとうなだれるルティアにバイロイドが眉をあげた。


「おい、どうした、ルティア」

「……何でもないのよ、父さん。ただ人生にむなしさを覚えてね……」

「はぁ?」


 怪訝そうな声をあげるバイロイドの向かいの席で、アルドが感情の読めない目でルティアを眺めていた。


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