元聖剣の日常③
◆
この世界には六つの聖剣が存在する。
光、闇、火、大地(緑)、水、風、それぞれを象徴する力を神から与えられたという六振りの剣だ。
聖剣は己の使い手となる者を選び、選ばれた者は「勇者」と呼ばれて魔王を討伐する役目を負う。唯一、聖剣だけが瘴気を浄化することができるからだ。
ただし聖剣の使い手となる勇者は、必ず選ばれるわけではなく、また時機によって顕現する聖剣も違う。勇者が一人だった時もあれば、同時に複数の勇者が存在した時代もあった。
いずれにしろ、聖剣の使い手が現れるのは、世界が瘴気に溢れ魔王が存在する時だ。
今から二十年ほど前、このロンダールという国の田舎で、アシュアルドという名前の十四歳の少年が川から一振りの剣を拾った。彼にしか抜くことができなかったその剣こそ「水の聖剣エクセルティーア」。
水の聖剣に選ばれたアシュアルドは「水の勇者」となり、二年間の修行を経て仲間と共に魔王討伐の旅に出る。旅の末、やがて彼らはアーロイの地で魔王と対峙したが、予想外のことが起きた。
事前の調査で獣の姿をしていると思われた魔王が、人の姿だったのだ。魔獣と魔人では戦い方が異なることから、アシュアルドたちは苦戦を強いられる。
一時撤退をしようとしたその時、魔王の繰り出した稲妻がアシュアルドを直撃。……いや、直撃するはずだったのだ。代わりに直撃を受けたのはアシュアルドではなく、「水の聖剣エクセルティーア」だった。
アシュアルドの目の前でエクセルティーアは真っ二つに折れた。聖剣を失ったアシュアルドは最後の力を振り絞り魔術を展開させ、氷の中に魔王を封じ込めることに成功する。――自らも共に氷の中に封じられることによって。
魔王は封印され、世界は平和を取り戻したが、同時に勇者を失った。
アシュアルドはアーロイの地に、魔王と共に氷の中で今も眠っている。
一方、折れたはずの水の聖剣エクセルティーアは人間に転生した。
「――なーんて、人に言ったら頭がおかしいと思われること間違いなしよね」
商売道具を手に、家を出ながらルティアはひとりごちる。
でも妄想でも頭がおかしいわけでもない。ルティアは正真正銘「水の聖剣エクセルティーア」の生まれ変わりだ。
その証拠に、今までの水の聖剣の使い手全員の名前をそらんじることができる。勇者として記録に残っている者はもちろん、人知れず役目を果たした記録に残っていない使い手の名前もだ。
人間が知らない事実も知っている。たとえば、聖剣にはそれぞれ意志があるとか、聖剣の本体は剣身ではなく、柄と剣身をつなぐ鍔の部分に埋まっている石であるとか、ギルド本部があるトゥマの大地には他の五振りの聖剣によって封じられた闇の聖剣が眠っているとか。
もっとも、妄想だと言われてしまえばルティアは反論することができない。自分でもなぜ聖剣が剣として再生するのではなくて、人間として転生してしまったのか説明できないのだから。
「そもそも、五年前まで思い出しもしなかったし」
生まれて十二年間は、普通に人間だった。確かに生まれや予言のことは普通とは言い難かったが、どこにでもいる平凡な街娘として暮らしてきた。
ところが五年前、前触れもなく突然「水の聖剣エクセルティーア」としての記憶が蘇ったのだ。頭を打ったわけでも、事故に遭ったわけでもなく、ある日目覚めてみると今までとは異なる記憶が自分の中にあって、自由に引き出せるようになっていた。
もっとも、思考や精神の構造が剣の時と今ではだいぶ違っている。
ルティアの感受性や考え方は人間のそれだ。ところが剣の時は違っていた。そのため、エクセルティーアとしての記憶はあるものの、ひどく遠い感じなのだ。まるで本の中の記録を読んでいるような気持ちだった。
けれど、人間に生まれ変わる直前の使い手のことに関しては違っていた。アシュアルドのことだけ、なぜか人間としての心が混じったような感情を伴って鮮明に思い出せる。
他の記録とはまるで異なっていた。
だからだろう。エクセルティーアとしての記憶が蘇って真っ先に頭をよぎったのは、アシュアルドのことだった。
――私、なぜこんなところにいるの? アシュの傍にいなければならないのに。
『エクセルティーア、ずっと僕たちは一緒だよ。ずっと』
家族をすべて失った寂しがり屋の少年。
『エクセルティーア。僕は頑張るよ。君に選んでもらったのだもの』
努力家で、頑張り屋で、いつも笑っていたアシュアルド。
――私の、使い手。
エクセルティーアは折れてしまい、アシュアルドが絶叫したところで聖剣としての記憶は途切れている。毎日夢で見るあの光景だ。だが、ルティアとして育った記憶の中でアシュアルドのその後の話を知っていた。
子どもだったら誰もが寝物語に聞かされた水の勇者の話。我が身を犠牲にして魔王を封印し、アーロイの地で氷の中に眠ったままの水の勇者の物語を。
――アーロイに行かなくちゃ! きっとアシュは私を待ってる!
いてもたってもいられず、ルティアはバイロイドにアーロイに行きたいと訴えた。
「……つくづくあれはマズかったわ。失敗したわ」
ギルドに向かいながらルティアは唇を噛んだ。
ルティアの訴えを、当然のことながらバイロイドは却下した。その上、彼はルティアがアーロイに行きたがる理由を、予言のせいだと考えたらしかった。
『お前はルギとアウラが命をかけてフラウゼアからお前を連れて逃げた意味が分からねぇのか! 寝言は寝て言え!』
ルギとアウラというのはルティアの育ての親で、バイロイドの友人夫婦だ。彼らが流行り病で亡くなった時、バイロイドはルギからルティアの出生や予言のことを聞かされたうえで、引き取ってくれたのだという。ルティアを彼らの代わりに守ると誓って。
自分は聖剣の生まれ変わりです、などと言っても信じてもらえないと思い、養父の気持ちを考えて引き下がるしかなかった。
――そういえば、エクセルティーアの時にも父さんたちに会ってるんだよね、私。
うすぼんやりとした聖剣としての記憶の中から、アシュアルド一行が旅を始めたばかりの頃のことを引き出してルティアは感慨にふける。
あの頃は、まだバイロイドもルギも若くて、神聖王国フラウゼアの王都にあるギルドに所属するA級冒険者だった。魔属討伐依頼を受けて別の街にいた彼らと偶然出会ったアシュアルドたちは、フラウゼアに向かう間、しばらく一緒に旅をしていたのだ。
――ルギはその頃、すでに妻帯していると言っていたが、バイロイドは独身だったと記憶している。
それが今では人間に生まれ変わったルティアの養父なのだから、縁とは不思議なものだ。
ルティアはエクセルティーアとしての記憶を取り戻してから、今まで以上の感謝の念を亡くなったルギやアウラ、それにバイロイドに抱いている。
これまで出生のことや予言のことを聞かされても、彼らに守られて平和な人生を送っていたルティアにはいまひとつ現実味がなく、ピンとこなかった。けれど、二十年前の混乱した時代を知るバイロイドたちにとって、フラウゼアの神官の予言は大きな意味を持っていたはずだ。にもかかわらず、「予言なんて信じない」と言ってルティアを守ってくれていたのだから。
――でも、それとアシュアルドのことは別だ。
「いくら父さんが反対してもいつか必ずアーロイに行って、アシュを救い出してみせる!」
立ち止まり、決意も新たにルティアはぐっと拳を握った。
――待ってて、アシュ。いつか必ずあなたのところへ行くから。
それがルティアの人生の大きな目標だ。このために人間に生まれ変わったのだとさえ思っていた。
「そのためにはまず資金よね。今日も稼ぐわよ」
売り物の入った布袋をぐっと掴んで、ルティアはギルドに向かって元気よく歩き始めた。
冒険者組合は、五百年前に魔属討伐のために設立された。それまで魔獣に襲われても国の騎士団が派遣されてくるのを待つしかなかった人々のために、引退した騎士や傭兵、それに魔術師などの有志を集めて作ったのだ。彼らは、依頼を受ければ国をまたいでどこまでも出かけていく。
お金はかかるが、国では対応しきれない依頼に応じてくれるということで、各国がこぞって支援を始め、組織はどんどん大きくなっていった。今では創造主アールゼータ神を祀る神殿と並んで、各国の都市に支部を置く巨大なギルドに成長している。
そしてルティアの住む、このロンダール国の地方都市ヴォルドにも冒険者組合の大きな支部があった。バイロイドが支部長を務めるこのギルドに、ルティアは薬師兼冒険者として所属している。
「ルティアじゃないの。三日ぶりね」
ギルドの建物に入ると、カウンターの中にいる受付のルルが声をかけてきた。ルルージュことルルは丸い眼鏡をかけたすらりとした美人で、ルティアにとっては姉のような存在だった。
「こんにちは、ルル。薬の調合をしてたからね。で、さっそく、はい。これ」
ルティアは受付台の上に、袋に詰まったものをどんと乗せた。三日間寝る時間を削って作った薬だ。
「ありがとう。助かったわ。ここのところ魔獣討伐の依頼が増えて、薬の減りが早かったのよ」
ルルはにっこり笑うと、薬を入れた袋を受け取り、中を確認してからルティアに代金を渡した。それを受け取りながらルティアは眉を寄せる。
「やっぱり、魔獣が増えているのね」
壁際の掲示板には、ギルドへの依頼書が一面に貼りつけられていた。
「ええ。ここのところ急にね。でもまだヴォルドは少ない方よ。他の支部から来た冒険者の話だと、他の支部では討伐依頼が倍増していて、対応しきれないところも出てきているそうだから。もしかしたら、何人か他の支部に応援に行ってもらうことになるかもしれないわ」
「そうなんだ。大変ね」
「それで、納品してもらったばかりで悪いけれど、またすぐにお願い。ルティアの薬はよく効くから、他の支部に行く冒険者たちに多めに持たせてあげたいの」
「分かったわ。さっそく作って納品するね」
ルティアはにっこり笑う。バイロイドには気の毒だが、ルティアとしては討伐依頼が増えるのは悪いことばかりではない。依頼が増えれば増えるだけ消費量も多くなり、その分ルティアの手元に代金が入るのだから。
資金が増えればそれだけアーロイが近くなる。ルティアはお金を貯めてA級かS級の冒険者を雇い、アーロイまで連れて行ってもらう計画を立てていた。
――私がA級の冒険者になれれば話は早いんだけど……。
でも残念ながらルティアは魔力があっても使いこなせず、剣の腕もいまいちなため、冒険者としてのレベルは底辺に近いD級だ。同じ頃にギルドに入った冒険者たちはとっくにC級にあがって、B級、中にはA級にまでなった者もいるというのに。
薬草採集の依頼しかこなせないのだから、ルティアのランクはあがりようがないのだ。
――元聖剣だというのに……!
自分に絶望するルティアだった。
けれど、魔力はあれど使い手がいなければただの剣――それも選ばれた人間にしか扱えなくて、その他の人にとってはまったく役に立たない聖剣の特性を、人間に転生しても継いだのだと思えば不思議でも何でもない。
使い手あっての聖剣だ。使い手がいなければただの飾りにしかならない。
だからこそルティアは「水の勇者」を求めてしまうのだろう。
――自分では引き出せない魔力も、きっとアシュにとっては役に立つに違いないから。
それに、聖剣の特性を継いでいることは冒険者としては役に立たなくても、薬師としては十分役立っていた。
水の聖剣エクセルティーア――エクセルティーアは古い言葉で「極上の雫」を意味する。その名の示す通り、水を司る剣には、大地の聖剣には劣るものの癒しの力が備わっていた。水は生命を象徴しているからだ。
そのせいか、ルティアの作る薬はとてもよく効くと評判で、ギルドに所属していない人もこっそり買いにくるほどらしい。その分仕事の依頼も増えてルティアとしては万々歳だ。
薬の材料となる薬草も、採集の依頼の時に自分の分も採ることができるので一石二鳥だった。
つまり、冒険者ランクが底辺でもそれなりにルティアは稼げているのだ。主に薬師としての賃金だが。
この調子でいけば、そんなに遠くないうちにA級を何人か雇える額が貯まるだろう。
「あ、そうだわ。ルティア。支部長から人員増強の話は聞いているわよね。さっそく今日から入会希望者を集めて、明日の午後に説明会を開く予定なんだけど、依頼が増えて事務方がみんな立て込んでいるの。そこであなたに基本的な説明を頼みたいんだけど、引き受けてもらえないかしら? あなた説明上手だから」
「ええ? 説明?」
ルティアは顔を顰める。その表情は面倒だとありありと語っていた。
「そういうところ、本当に支部長に似ているわよね。あの人も説明が面倒だとみんな人に押しつけるんだから」
眉を寄せて愚痴めいたことを呟いた後、ルルは眼鏡を人差し指で押し上げつつ、口調を変えて言った。
「もちろん、タダとは言わないわ。謝礼ははずむわよ?」
「やるわ」
にっこりとルティアは笑う。ルルも同じようににっこりと笑った。ルティアが七年前、バイロイドに連れられてこの街に来て以来の長い付き合いだけあって、ルルは彼女の動かし方をよく知っているのだ。
「よし、話は決まりね。頼んだわよ」
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