元聖剣の日常②



「泣かないで、アシュ……」


 ルティアは自分のその呟きで目を覚ました。

 うっすらと目を開けると、窓から差し込む朝日に照らされた天井が視界に飛び込んでくる。 数回瞬きをしてから、ルティアはホッと身体の力を抜いた。


「いつものあの場面か……」


 むくりとベッドから起き上がるとルティアは自分の手をじっと見つめた。薬の調合のために少し荒れている手は紛れもなく人間のもので、ホッとすると同時に少し切なくなる。

 それを振り切るようにぐっと拳を握り、頭をぶるんと大きく振ってベッドを出た。


 ――今日もいつもの一日が始まる。



 着替えて一階に下り台所に入ると、養父のバイロイドがテーブルについてパンをほおばっていた。


「よう、今日は遅めの起床だな」

「父さん、帰ってたんだ」


 バイロイドは、短い焦げ茶の髪に黒い瞳を持つ体格のよい男性で、このヴォルドの街にある冒険者組合の長をやっている。元は名のある冒険者で、荒くれ男たちを毎日相手にしているせいか言葉や態度は荒いが、面倒見のよい性格のためか皆に慕われている。なかなか精悍な顔立ちで、四十四歳を過ぎた今も数多くの女性が彼を狙っているが、バイロイドの心は今も亡き妻にある。


 一方、十七歳の娘ルティアは栗色の髪に、ほっそりとした体つきの少女だ。唯一鮮やかな青い瞳が特徴と言えなくもないが、顔立ちは平凡で性格も地味。バイロイドを狙っている女性陣からは似てない親子だと陰口をたたかれることもあった。


 もちろん血のつながりがないのだから似ていないのは当然なのだが、面倒がってバイロイドが娘だとしか言わないので、この街のほとんどの人間はルティアをバイロイドの実子だと思っている。ルティアも自分の複雑な出生を説明するのが面倒なので特に訂正していない。

なんだかんだ言っても、そんなところがどこか似ている親子なのだった。


 ルティアは自分の分のパンを切り分けながら尋ねた。


「思っていたより、今回は早かったね。いつも一週間はかかるのに」


 会合のため、バイロイドは三日前から冒険者組合の本部があるトゥマの都に行っていた。


「ああ。早急に対策を立てる必要があって、会議後の交流会や宴会がなかったからな」

「早急に対策って……何かあったの?」


 パンとハムと、昨晩作っておいたスープを手にテーブルに着きながら聞くと、ルティアは向かいに座るバイロイドの表情が曇っていることに気づく。

 これは相当マズイことが起きているに違いない。


 バイロイドはふぅと大きく息を吐いた。


「隠してもそのうち分かるだろうから言うが、やはり気のせいではなく、あちこちで魔属の動きが活発化しているらしい。幸いヴォルドの周辺はそれほどではないが、魔獣討伐の依頼が去年の倍に増えている支部もあるそうだ」


 魔属とは瘴気に冒され、変異し狂暴化した動物や人のことだ。魔属化すると理性を失い、破壊と殺戮行動に走り周辺に多大な被害を及ぼす。魔属化した魔獣や魔人を討伐することは、冒険者組合の大きな役割の一つだった。


 ――魔獣の討伐依頼が増えているような気はしていたけれど……それが世界中で起きているっていうこと?


「二十年前と状況が似ているんでな。ギルドの上の連中は魔王が封印を破って復活したか、あるいは新たな魔王が誕生しつつあることを疑っている」


 二十年前、強大な瘴気が発生し、それに取り込まれた人間が魔属化して魔王となった。それに呼応するように各地で魔獣が大量に発生したのだ。


 二年後に水の勇者アシュアルドがアーロイの地で魔王を封印するまでその状態は続き、各地に大きな被害を残したことは記憶に新しい。


「魔王……」


 ルティアは眉を寄せる。それに気づいてバイロイドは慌てて手を振った。


「まだそうと決まったわけじゃねえ。ただ、そう思っている連中もいるってことだ。たまたま瘴気が活発化してるだけかもしれないしな。会合では両方の場合に備えて、人員増強や準備体制を決めた。本部は魔王の封印を確認するためにアーロイの地に冒険者を派遣して――」


「アーロイ!?」


 ガタンと大きな音を立ててルティアが立ち上がる。バイロイドはルティアが言葉を発する前に制した。


「おっと、お前をアーロイの地に行かせるわけにはいかねえよ。魔王の影響か、あそこに行くまでは魔獣がうようよしてやがる。S級、もしくはA級の冒険者しか派遣できない決まりだ。D級どまりのお前じゃどう転んでも無理だ。それに、魔王だぞ? 予言のことを忘れたのか? お前は関わるべきじゃない」


 予言。それはルティアが生まれた時に神官たちがしたある予言のことだ。この予言のせいで、ルティアの運命は大きく変わってしまったと言っても過言ではない。


「予言なんて信じてないって言ったのに……」


 思わずルティアがぼやくと、バイロイドは肩を竦めた。


「信じてはいねえよ。だが、父親として娘が危険な目に遭うのが分かっていながら許可なんて出すわけないだろうが。いい加減にアーロイに行くのは諦めるんだな」


 話は終わりだと言うようにバイロイドは椅子から立ち上がった。


「さてと、俺は先にギルドに行ってくる。やることは山ほどあるんでな」


 台所から出ていくバイロイドを、ルティアはむっつりしたまま見送った。


「……違うのになぁ」


 ルティアは椅子に腰を下ろして大きなため息をついた。

 アーロイの地に行きたい理由はバイロイドが考えているものとは違う。予言のことなんて一切関係ないのだ。


 だが、バイロイドが反対する理由も分かる。魔王が封印された地に興味本位で向かった冒険者たちが、過去どれほど命を落としたことか。

 アーロイに派遣する冒険者のレベルをギルドがS級かA級に限っているのはそのためだ。


 ――それでも私はアーロイに行かなくちゃいけない。


 あそこには水の勇者アシュアルドが眠っている。彼を助けるのは自分にしかできないことだ。

 

なぜなら、ルティアこそが「水の聖剣エクセルティーア」の転生した姿なのだから――。




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