第33話 新メンバー来たる
古びた喫茶店の中で、静かに時が流れていた。
二人はカウンターを挟んで向かい合っていた。他には誰もいない。店内を流れる音楽も今は止んでしまっていた。
沢渕が椅子に掛け直す度、床のきしむ音がした。
叶美は話の途中、何度か大粒の涙を流した。彼女にとって、昨日の出来事は生死を分けるものだったのだ。心の中で底知れぬ恐怖が蘇ってきたに違いなかった。
「先輩は、一人でよくやったと思います」
沢渕はそんな風に叶美を慰めた。
「私ったら、いつも沢渕くんに泣いているところばかり見られるのよね」
叶美の涙を見るのは、これで二度目だった。
いつかこの場所で、佐々峰姉妹の母親を死に追いやった事故のことを語ってくれた。
「駄目な部長でしょ? いつもは強がっているけれど、本当は弱いんだから」
「いいえ、誰だってそういう部分はありますよ。包み隠すことなく、全てを後輩に話してくれた部長は、勇気ある人なんだと思います」
「ありがとう、沢渕くん。あなたは素敵な後輩ね」
そう言うと、叶美は手で顔を覆うようにして洗面所へ消えた。
それを見届けてから考えた。
まずは叶美が犯人らと接触したボーリング場である。
マイクロバスが止めてあると植野老人らが証言したその物件に、結局バスは見当たらなかった。さらに、注意するように言われた大型犬は室内で死んでいたらしい。
この事実は一体何を意味するのだろうか。
犯人たちはそこで何をしていたのだろうか。
叶美の話では、人質が監禁されている形跡はない。では、そんな廃墟に何の用があったというのか。
一度、現場を訪れる必要がありそうだ。できればクマも一緒に来てくれれば心強い。何か犯人の遺留品が見つかるかもしれない。
もう一つは、今後の犯人グループの出方である。
事件発生後、まもなく五年が経とうとしている。その間警察の捜査に進展がなかったことで、犯人たちは自身に酔いしれ、警戒心を解いていた筈なのである。ところがここへ来て事情が急変した。探偵部の存在である。
高校生の地道な捜査活動は、徐々に犯人像を絞りつつある。連中がそれを知って、どんな行動に出るだろうか。
まさか監禁中の人質を突然殺し始めるという暴挙に出るとは思えないが、それでも監禁場所を変えられたり、証拠隠滅されたりするのは少々都合が悪い。
それ以上に心配なのは、部員の身の安全である。少なくとも叶美は犯人グループに顔を知られたと考えるべきである。よって今後奴らに狙われることも覚悟しておかねばならない。
叶美は戻ってくると、沢渕の真横に腰掛けた。
顔を洗ってきたようだ。それでも涙の跡がうっすらと残っている。彼女は放心状態だった。
沢渕はそんな彼女の方を向いて、
「先輩、これから僕の言うことをよく聴いてください」
と言った。
叶美の肩がびくりと反応する。
「先輩は、今後単独行動を禁止とします。校外に出る時は、必ず直貴先輩やクマ先輩と一緒に行動してください」
「あなたとじゃ、ダメなの?」
叶美の声は弱々しかった。
「残念ですが、僕はもう探偵部員ではありませんので」
「もう、そうやって私をいじめないで頂戴。あなたなしでは探偵部は成り立たないの。だから探偵部に戻ってきて、お願い」
「ありがとうございます。おかげで僕も先輩と一緒に行動ができます」
沢渕は声を弾ませた。
「ああ、そうだ、先輩。今日はよい知らせも持ってきたのですよ」
「よい知らせ?」
「生徒会選挙です。今日の投票で、先輩が無事に生徒会長に再選を果たしました」
「ああ、そうだった。すっかり忘れていたわ」
投票の結果、叶美が対抗馬の橘
「でも、こんな私がこのまま部長を続けてもいいのかしら?」
「大丈夫ですよ。僕たち部員が先輩を支持しています。それに…」
「それに?」
「僕によい考えがあるんです」
不安そうな表情を見せる叶美に、沢渕は自信を持って答えた。
「ところで、タキは今日学校に来てたのか?」
沢渕の隣で久万秋が訊いた。
「いえ、まだ病院です。午後には退院予定と聞いてますが」
「そうか」
二人は運動部の掛け声を背に校門を出たところだった。夕方とはいえ、気温は昼間と変わりない。
叶美から探偵部招集のメールを貰っていた。そのため、いつものカラオケボックスに向かうところである。
「そう言えば、晶也。お前、探偵部クビになったんじゃねえのか?」
「その件については、部長に頼み込んで撤回してもらいました」
クマは身体を大きく揺らして笑った。それから後輩の肩に手を掛けて、
「そうだよ。お前でも、いざという時は役に立つかもしれねえしな」
随分と酷い言われようである。
「まあ、とにかくホッとしたぜ。選挙では森崎が勝って、お前も無事に探偵部に復帰した。これで心配事は何もなくなった、って訳だ」
二人は商店街に差し掛かった。
遙か遠くを山神高校の制服が歩いていた。背が高く長い髪を後ろで束ねた女子生徒である。
「誰だ、あいつは?」
その人物はカラオケボックス付近で一度左右を見回すと、すぐに姿を消した。
二人もしばらくして店の前に辿り着いた。
「さっきの奴、確かこの辺で消えたよな。まさか独りでカラオケをしに来たのかな?」
クマは笑って、玄関を入った。沢渕も後に続いた。
「いらっしゃいませ」
いつもの奈帆子の声が迎えてくれる。エプロン姿で奥から小走りに出てきた。
「二人とも遅い。もうみんな集まってるわよ」
「タキは無事に退院したのか?」
「ええ、さっき迎えにいってきたわ。慣れない松葉杖で大変みたい」
「今こちらに来てるのですか?」
沢渕が訊いた。
「さっきからずっとみんなのことを待ってるわ」
「晶也。お前、タキのことを随分気にしてるみたいだな?」
クマは肘鉄を食らわした。そんな彼の何気ない動作も、一般人には十分凶器となり得る。
「今日の授業ノートを渡したいと思いまして」
奈帆子の顔がパッと明るくなった。
「まあ、ありがとう。今日は晶也くんにだけ、ピザでもご馳走しようかしら」
「おいおい、客に差をつけんなよ」
クマはいつものように扉を勢いよく開けた。
「オッス」
一斉に部屋中のメンバーの視線が集まる。しかしどこかいつもとは様子が違っていた。部屋の人口密度が微妙に高いのだ。
クマはその訳を探ろうと、部屋を見回した。
「た、橘雅美じゃねえか!」
すぐに異変に気がついて、大声を張り上げた。
「ちょっと、クマ。人を指差すのは失礼じゃない?」
叶美は腰に手を当て、人差し指を上下させた。
当の雅美は満面の笑みを浮かべている。
「おい、こりゃどういうことだ? 寄りによって、どうして橘がここにいるんだ?」
クマはつっかえ気味に言った。どうやら焦りの色を隠せない。
「クマさん、そんな所に突っ立ってないで、早く中に入ったら?」
多喜子の声。足には白いギプスがその存在を主張していた。
「そうよ、あなたに隠れて沢渕くんが見えないのよ」
叶美が続けた。
狼狽したクマがのろのろと前へ進むと、沢渕もようやく部屋の中を見渡すことができた。
「あら、あなたもメンバーだったの?」
先に声を上げたのは、雅美だった。
「よろしくお願いします」
沢渕は頭を下げた。
「何だ、お前ら知り合いか?」
クマは最後の力を振り絞って訊いた。
「はい。以前、お会いしたことがあります」
「おい、まさかこいつに探偵部の存在をバラしちまったんじゃないだろうな? 我が校の歴史ある非公式クラブで、俺たちが秘密裏に難事件の捜査をしてるなんて、まさか言ってないよな?」
「あら、そうなの。これから詳しく聞こうと思ってたけど、その手間も省けたようね。今、あなたが全部説明してくれたから」
長い髪の少女は腕を組んで言った。
「あ、しまった!」
クマは坊主頭を掻きむしった。
そんな部屋にチャイムが鳴り響いた。扉が開いて、お菓子やグラスをお盆に載せて、奈帆子が入ってきた。
これでメンバー全員が揃った。
「今日から探偵部のメンバーに加わった、橘雅美さん」
叶美が紹介する。
「みなさん、どうぞよろしく」
雅美はそう言って、
「さあ、乾杯しましょう」
と一人ひとりにグラスを配り始めた。
「おい、ちょっと待てよ。まさかこいつが新しい部長っていうんじゃないだろうな?」
クマは無遠慮に言った。
それには叶美が答える。
「部長は今まで通り、私に任せて頂戴。橘さんには探偵部のサポート役をしてもらうの」
「具体的にはどんな仕事をするんだい?」
直貴が訊く。
「これは沢渕くんのアイデアなんだけど、これから私は現場へ出ずに、ここからみんなに指示を出す。それで橘さんには私の代わりとなって動いてもらうの」
叶美の説明が終わらないうちに、クマは沢渕の身体を押さえつけた。それから頭部を片腕で締め付けた。
「晶也。お前、何考えてるんだよ。どうして橘を入部させたんだ? 俺はお前を絶対に許さんからな」
「ちょっと、クマゴロウ、止めなさいってば」
雅美が太い腕に取りついた。
「クマゴロウ?」
クマはその場にヘナヘナと倒れ込んだ。
「クマゴロウは止めろよ、何だか人格が遠のく気がするだろ」
雅美は身体を一回転させると、最後にウインクをした。
「いいじゃない、私とあなたの仲なんだから」
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