第21話 クマは強かった
連中はわざとゆっくり歩いてくる。こちらの出方を窺っているようだ。誰一人こちらに視線を合わせる者はいない。一番左にいる男が今、ジーンズに手を突っ込むと口笛を吹き始めた。
この局面をどう切り抜けようか、沢渕は考える。
相手をけん制する武器は何一つ持っていない。あるのはコンビニで貰ったビニール袋だけである。中には食べ物が詰まっている。これでも振り回せば、相手を怯ませることぐらいはできるかもしれない。
「沢渕くん、どうする?」
叶美の頼りない声がいっそう不安を増幅させた。
町並みは不思議なほど静まりかえっている。何か事が起これば、住人たちは手を貸してくれるだろうか。
「ここは正面突破するしかなさそうですね」
沢渕は彼らの動きを注視しながら言った。
「すれ違い様に、僕が暴れて奴らを引きつけます。先輩はその隙に逃げてください」
「あなたはどうなるの?」
「僕一人になれば、からかう気も失せるでしょう。その後はどうにかなります」
いよいよ連中との距離が縮まってきた。
「お二人さん、昼間っから見せつけてくれるねえ」
体格のよい五分刈りが、下から二人を覗き込むようにして言った。外側を歩いていた男たちも寄ってきた。
「可愛いコ、連れてるじゃん」
小柄な二人が立ち塞がった。
「ちょっと、通してくれない?」
叶美は顔を上げて毅然と言い放った。
「こいつ、俺たちに指図するつもりらしいぜ」
背の低い男が甲高い声を上げる。
もうこれ以上我慢できない。叶美が傷ついては大変である。沢渕はビニール袋に回転を与えると、その男の顔目がけて打ち付けた。
「痛え。こいつ、やりやがったな」
一瞬、全員が怯んだ。沢渕は彼らの注意を引きつけることに見事成功した。逃げるなら今だ。
しかし叶美は逃げなかった。それどころか、男たちに囲まれた沢渕を助けようと、必死に連中の背中を叩いた。
「ちょっと、止めなさいよ」
「うるせえな」
五分刈りが振り向いて叶美を押し戻そうとした。
しかし次の瞬間、
「あれ?」
と素っ頓狂な声を上げた。
その声に全員の動きが一斉に停止した。
「ひょっとして、森崎叶美さん、ですか?」
残りの四人はお互いに顔を見合わせた。
全員が叶美の前にずらりと並んだ。沢渕に構う者は誰もいなくなった。
「山神高校の森崎叶美さんですよね?」
五分刈りの声のトーンはすっかり変わっていた。もうそこには敵対心など微塵もない。
「はい、そうですけど」
叶美も訳が分からないといった表情である。
「こりゃ、どうも失礼しました」
五分刈りはひどく恐縮している。
他のメンバーも嘘のように大人しくなった。
叶美は顔をこわばらせたまま、次の言葉を待っていた。
「実は俺たち、久万秋さんにはお世話になってまして」
「あら、そうなんですか」
「どうもすみませんでした。無礼をお許しください」
「いえいえ、こちらこそ、久万秋さんのお友達とは気がつかず、すみませんでした」
叶美はいつもの口調を取り戻した。
そして沢渕に駆け寄った。
「大丈夫?」
「はい」
「みなさん、お怪我はありませんか?」
コンビニ袋を顔に当てられた男が、
「大丈夫ッス」
と何度も頭を下げた。
しばらく全員が叶美をじっと見つめていた。不思議な時間が流れた。
「ああ、そうだ。みなさんお腹空いてません?」
叶美は沈黙を破るように慌ててそう言った。
リーダーの名前は寺田といった。彼は近くの河川敷へ二人を案内してくれた。
「森崎さん、髪を切ったんッスね?」
寺田は五分刈りの頭を掻きながら訊いた。
「ええ、いろいろと思うところがありまして」
「へえ、そうなんですか。だから全然気づきませんでしたよ」
堤防のコンクリートの斜面に全員が腰を下ろした。対岸には民家の瓦屋根が行儀よく並んでいる。
沢渕は袋からどら焼きを取り出して全員に配った。さっきの衝撃でほとんど原形を留めていなかった。
「久万秋さんとはいつから?」
叶美が訊いた。
「去年、ゲームセンターで初めてやり合ったんですけど、あの人は強かったッスね。森崎さん、覚えてます?」
「ええ、もちろん」
「あの時はすみませんでした」
「もう済んだことですから」
「俺も柔道部だから、悔しくて。それで冬の大会で正式に対決することになりまして。結果、見事にやられました」
「そうなんですか」
「それ以来、あの人は俺の師匠ですね」
寺田は叶美を隣にして口数が多かった。様々なことを語ってくれた。
眼下に広がる河川は濁って、所々で波しぶきを上げていた。上流で雨が降ったのかもしれない。
仲間の一人が飲み終わったジュースの紙パックを潰して斜面に放り投げた。
「あら、そんな所に捨てちゃダメですよ」
叶美がすかさずたしなめた。
「おい、ゴミをするな。拾ってこい」
寺田が叫ぶ。
「すみません」
「このお方は、山神高校の生徒会長なんだ。エラい人なんだぞ」
叶美はくすくすと笑った。
「森崎さんって、やっぱり可愛いッスね」
寺田は叶美をまじまじ見て言った。
「えっ、いきなり何の話ですか」
「久万秋さんの彼女ですもんね」
「ちょっと待って。誰がそんなこと言ったの?」
「久万秋さんがそう言ってましたよ。あれ、違うんですか?」
寺田は意外そうに言った。
「ち、違いますよ。誤解です、誤解」
叶美は口を尖らせて訂正した。
「ところでみなさん、今日はどうしてこの町に?」
それは沢渕も気になっていたことだった。
「あれ、お二人とも知らないんッスか? マイクロバス探しですよ」
寺田の言葉に二人は顔を見合わせた。
「この付近にマイクロバスを隠している建物がないか調べるように、久万秋さんに言われまして」
「そうだったの」
「それで何か収穫はありましたか?」
沢渕が口を挟んだ。
「いえ、今のところは何も。ただこいつが気になることを言ってまして」
「気になること?」
五人の中で最も背の低い、梶山と名乗った男が口を開いた。
「実はスクラップ工場で、何台かマイクロバスを見掛けまして。廃車にするような古いバスですから、探している物とは違うかもしれません」
沢渕は目を光らせた。
「その工場はこの近くですか?」
「はい、俺の自宅近くなんです。ここからも見えますよ」
彼は向こう岸を指さした。
確かに車のボディーを何層にも積み上げている工場が見える。
「行ってみますか?」
梶山が訊いた。
「ぜひ、行きたいですね」
叶美の方に目を遣ると、彼女はすっと立ち上がった。
「案内お願いできるかしら?」
「もちろん、俺に任せてください。森崎さんのためなら何だってしますよ」
梶山はドンと胸を叩いた。
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