第20話 二人に迫る危険
二人は肩を並べて歩道を歩いた。
大通りを激しく車が行き交う。その流れは一瞬たりとも途切れることはない。
今、遠くに路線バスが見えてきた。駅を目指すバスである。他の交通に息を合わせることなく、マイペースで走っている。しびれを切らした普通車が隣の車線に移って次々と追い抜いていく。
叶美もそのバスに気がついたのか、立ち止まって目で動きを追っていた。白い巨体は大きなうなり声を上げて、二人の横を通り過ぎていった。
事件発生の日から、まもなく五年を迎える。
あれから一日たりとも休むことなくバスは走っている。十七人が消えたところで、街は何も変わらない。道路には車が溢れ、歩道には人々の往来が絶えない。街はあの日と同じように生き続けているのだ。
沢渕の心を切なさが襲った。
「この事件、絶対、探偵部で解決しようね」
そう言うと、叶美は沢渕の手をギュッと握りしめた。
しばらく歩いてから叶美は道を折れた。途端に人や車の往来が少なくなる。街の喧噪が遠のいていく。
この道には見覚えがあった。もう二度ほど歩いている。どこかの工事現場から電気ドリルの駆動音が聞こえてきた。
「沢渕くん、この前休憩した公園、覚えてる?」
「もちろん。先輩がスカートの中身を解説してくれた場所ですよね。忘れる筈がありません」
「もう、そんなことは忘れていいから。とにかくその公園へ行くのよ」
叶美は腕時計に目を落とした。
「でも、間に合うかしら?」
「それじゃあ、急ぎますか」
二人は足早に公園を目指した。
公園が見えてきた。前回来た時は小学生が遊具に群がっていたが、今日はその姿はなかった。
「あーあ、遅かったかな」
叶美は残念そうに言った。
それでも何か見つけたのか、急に駆け出した。沢渕は敢えて追随せず、事の成り行きを見守ることにした。
叶美が向かったのは、木製のベンチだった。
そこには一人背中を丸めた老人が座っていた。目の前の砂場では、黄色い帽子を被った園児が一心不乱に山を作っていた。
叶美は何か一言、二言声を掛けると、隣に腰掛けた。
女子高生とお年寄りが仲良く会話をしている風景。二人は見事に意気投合していた。時折笑い合ったりしている。
「あっ、おじいさん、紹介します。こちらは弟のタケシです」
沢渕が近づくと、叶美はそんな風に紹介した。何か考えがあるようだ。
「どうも、はじめまして」
沢渕もベンチに掛けた。若い二人が老人を挟む格好になった。
老人は植野と名乗った。孫を連れて散歩に来ているのだと説明した。
「それにしても、可愛いお孫さんですね」
叶美は笑顔で言った。
沢渕はふと自分の役割に気がついて、袋からジュースやお菓子を取り出した。
「ぼく、おいで」
小さな男の子は、食べ物に釣られてすぐに駆けつけた。
「どれがいいかな?」
男の子はしばらく迷ってから、グレープジュースを手に取った。
「あら、ダメよ。あそこの水道でお手々を洗ってきてからね」
男の子はじっと叶美の顔を見つめてから、水道まで走っていった。
「お利口、お利口」
叶美は手を叩いた。
「もしよろしかったら、いかがですか?」
沢渕は植野にもジュースを差し出した。
「こりゃ、済まんね」
彼は目を細めた。
「いつもこちらにお見えになるのですか?」
「ええ、そうです」
「やっぱりそうでしたか。実は以前こちらでお見掛けしたものですから」
「ほう」
「今日、みなさんはいらっしゃいませんね」
「ほら、今日は天気が良くないでしょう。だから早々と帰ってしまったのですよ」
「そうでしたか。それは残念です。みなさんの分も買ってきたのですよ」
沢渕は植野に袋の中身を見せた。
「おやおや」
彼は膝を叩いて笑った。
「お二人さんは初めて見る顔だが、この公園にはよく来るのかね?」
「調べたい事があって来ました」
「調べたい事?」
「はい。実は弟の自転車が車に引っかけられまして。この子は無事だったのですが、大事な自転車がすっかり壊れてしまったのです」
「そりゃお気の毒でしたね」
「その車は大通りを曲がって、こちらの町内に逃げ込んだのです」
「なるほど、警察には届けたのかね?」
「ええ、もちろん届けましたが、怪我人が出なかったからか、あまり真剣には捜査してくれないのです」
「ああ、それでお二人で探していると、こういう訳ですな」
「はい、その通りです。それでこの公園にお集まりの方なら、何かご存じかと思いまして」
「そうでしたか」
植野老人は叶美の話に興味を持ったようである。
「その車の特徴は?」
それには沢渕が答えた。
「車といっても、小型バスなんです。普通の車より大きくて、一度に十人ぐらいが乗れます。自動車学校の送迎バスのような感じです。お分かりになりますか?」
「分かりますよ。私はこう見えてもずっとタクシーの運転手をやってましたからな。車についてはかなり詳しいんです。そういう車なら、探しやすいかもしれませんよ」
「そのバスはこの辺りの狭い道を迷うことなく走っていきました。どうやらこの付近に土地勘があるようなのです」
「ほほう」
「この辺りで小型バスを持っている家はありませんか? 民家とは限りません。お店、倉庫、空き地、そういう場所に停めてあるバスを調べたいのです」
沢渕は畳みかけるように言った。
「今は思い出せないが、確かにそういうバスを停めている場所はあるね。ちょっとすぐには答えられないが」
植野は済まなさそうに頭を掻いた。
「いえいえ、無理なさらず、ゆっくりと思い出してください。もし何か分かりましたら、お電話くださいね」
生徒手帳を一枚破ると、携帯電話の番号を書き付けた。それから植野に優しく手渡した。
叶美は深々と頭を下げた。沢渕もそれに倣った。
「ぜひ、みなさんにもよろしくお伝え下さい」
「そうじゃな、みんなにも話しておくよ」
植野はしっかりした口調で言った。
「みなさん、この近くに住んでいらっしゃるのですか?」
「そうだよ。ほら、あそこに病院が見えるじゃろう」
二人は植野の指した方向を同時に見上げた。
民家の屋根の向こうにビルが突き出ている。屋上には包帯やタオルが干してあった。
「みんなあそこに通っている仲間なんだよ。診察が終わると、天気の良い日には、ここへ集まるって訳だ」
「何時頃なら、みなさんとお会いできますか?」
沢渕が訊いた。
「そうだねえ、お昼前ならみんないるよ」
「分かりました。いろいろとありがとうございました」
沢渕はお辞儀をした。
「ああ、そうだ」
叶美は思いついたように、
「どうぞ、これみなさんで召し上がって下さい」
沢渕からビニール袋を奪い取ると、植野に差し出した。
「いえいえ、そんなことしなくても結構ですよ」
「それじゃあ、お孫さんに」
叶美がそう言うと、
「いや、家に持って帰ると怒られますので」
植野老人はそんなことを言った。
「お姉ちゃん、バイバイ」
男の子が手を振った。叶美も笑顔で振り返した。
沢渕はビニール袋をぶら下げながら、叶美と歩いていた。
「大丈夫ですかね?」
「何が?」
「捜査に他人の力を借りること、です。しかも相手は老人ですからね」
「あら、別に捜査してくれと頼んだ訳じゃないわ。知っている情報を聞かせてほしいだけよ」
叶美は憮然と言った。
「でも、老人特有の正義感で無茶をしないとも限りませんよ」
「どういう意味?」
「町中を調べ回れば、犯人と接触する危険性がゼロではないということです。探偵部員は覚悟ができていますが、一般人を危険に晒す訳にはいきません」
「そりゃ、そうかもしれないけど」
叶美は言葉を濁した。まだ何か言いたそうだった。
しばらく二人は無言になった。気まずい空気が流れた。
すると突然、叶美が声を上げた。
「マズいわ」
「えっ?」
沢渕は叶美のただならぬ雰囲気を感じ取った。
「前を見てよ」
人気のない通りを、派手なシャツを着た男たちがこちらに向かって歩いてくる。粗野な歩き方が、いかにも不良であることを主張していた。
全部で五名。横一列になって道路を塞ぐようにしている。ねずみ一匹通さないといったやり方である。
自然と叶美は歩く速度を落とした。
「一度あの連中に絡まれたことがあるのよ」
「そうなんですか?」
「その時は偶然、クマに助けてもらったんだけど」
沢渕の心臓の鼓動が高鳴った。
このまま行けば、喧嘩を吹っかけられることは間違いない。とは言っても、付近に曲がり角はない。逃げ場がないのだ。
果たして叶美を守ってやれるだろうか。
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