第19話 叶美からのメッセージ
金曜の朝、校門付近はいつもと違って賑やかだった。
森崎陣営と橘陣営が左右に分かれ、選挙ビラを配っているのだ。どちらの陣営からも大声で挨拶が飛びかっている。
続々と生徒が登校してくる。沢渕は歩幅を調節して、人の少ないタイミングで森崎陣営の方へ向かった。
叶美は笑顔を絶やすことなく、生徒一人ひとりに声を掛けていた。クラスメートたちは彼女を中心に据え、左右から生徒の波に挨拶していく。
その中には久万秋の姿もあった。彼は慣れない様子で、「オッス」と声を発している。
叶美はメイド服も着ていなければ、まんじゅうも配っていない。どうやらクマのアイデアは採用されなかったらしい。沢渕は胸を撫で下ろした。
今、叶美の視線とぶつかった。
「よろしくお願いします」
叶美が一歩前に飛び出したので、もう少しで接触しそうになった。さっと一枚のビラを手渡す。
沢渕は歩きながら考えた。
さっきの叶美の行動は周りから見ればさほど不自然ではないかもしれない。しかし沢渕にとっては少々奇妙な行動と言わざるを得ない。何らかの意図を感じる。
沢渕は校舎に入る前に後ろを振り返った。
相変わらず叶美はどの生徒にも等しく頭を下げている。
上履きに履き替えて、しっかりとビラを眺めた。
なかなか上手くできたデザインである。「森崎叶美はこんな人」「私の抱負」などといった文字がイラストとともに躍っていた。
沢渕はおやっと思った。
ビラには折り目がついていた。叶美はわざわざそれを元通りにしてから手渡したのだ。
直接配布するビラは、特に折り曲げる必要がない。しかもその折り方は二つ折りや三つ折りではないのだ。妙な位置に折れ線が浮いている。どう見ても、幾何学的に解釈のできない線だ。
沢渕は立ち止まって、その折り目に沿って紙を曲げてみた。
なるほど、ビラの裏面と表面が折り重なる位置に小さな文字が書き付けてある。叶美からのメッセージである。
「土、三、駅」
簡単な暗号である。「土曜日三時隣町の駅前で待ち合わせ」と解釈できる。
沢渕は苦笑した。
いつもは集合連絡をメールでくれるのだが、これはどうした風の吹き回しだろう。おそらく叶美は、日々忙殺されてはいても、決して探偵部の活動を忘れてはいない、そう伝えたかったのだろう。それでこんな謎めいたメッセージで連絡を寄越した。
今週の土曜日は実力テストが予定されていた。そのテスト終了後に調査を再開させるつもりらしい。
そう言えば、ここしばらく叶美とは口を利いていない。選挙演説会で何度か姿を見せてはいたものの、二人だけで会う機会はなかった。
沢渕は今度の土曜日が急に待ち遠しくなった。
土曜日は弁当持ちで、各学年で試験が行われた。沢渕にとっては初めてのマーク試験だったが、時間内に一応全ての解答欄を塗りつぶすことができた。結果はどうであれ、これは精神的に気分がよいものである。
試験終了のチャイムが鳴ると、生徒らは一斉に教室を出ていく。途端に廊下は騒がしくなった。
「沢渕くん」
階段を下りるところで声がした。
振り向くと多喜子だった。
「ねえ、これから暇?」
「いや、森崎先輩と調査の約束があるんだ」
沢渕は階段を一段戻って、生徒の流れの邪魔にならないよう脇にどいた。
「ふうん、そうなんだ」
「そっちは?」
「今日は特になし。クマさんは柔道の練習があるんだって。何でも夏の大会に優勝するんだって張り切ってる」
「堀元先輩は?」
「今日は予備校の日」
「姉さんは? もしかしてバイト?」
「そう」
多喜子は大きく頷いた。
「独りぼっちってやつか」
沢渕は笑った。
「それじゃあ、調査の方、頑張って。叶美先輩によろしく。選挙応援してます、って」
「了解」
校門を一人出たところで、沢渕は立ち止まった。そして校舎の方を振り返った。
多喜子も一緒に誘えばよかったのではないか?
どうしてそんな簡単なことに気づかなかったのだろう?
多喜子を連れていけば、おそらく叶美は喜ぶだろう。しかしそれでは叶美を独占することができない、そんなことを無意識に考えたからではないのか。
沢渕には不思議な感情が生まれていた。そうして一人で歩き始めた。
隣町に三時に間に合うには、次の列車に乗るしかない。そう思ってホームに立っていると、ちょうど叶美が階段を下りてきた。男女数人が叶美を取り囲むようにして歩いている。男子が何かを言う度に、彼女の白い歯がちらりと見えた。
こうして見ると、彼女は生徒会長とはいえ、普通の女子高生である。裏で探偵部の長を任されているとは想像もつかない。
列車が隣町に到着すると、沢渕はいち早く改札を通り抜けた。以前、叶美の居た場所に立った。ここからは改札を出てくる人の顔がよく見える。
真っ直ぐ叶美が近づいてきた。さっきの同級生たちの姿はなかった。
「お待たせ」
しわがれた声が言った。連日の選挙運動のせいである。
「沢渕くん、最初に寄る所があるの」
「どうぞ」
二人は並んで歩き出した。
「ところで先輩、もし僕がビラのメッセージを見落としたらどうするつもりだったのですか?」
「大丈夫、だって沢渕くんだもの。当然気づく筈だわ。でも万が一あなたがここに現れなかったら、一人で捜査しようって思っていたの」
駅舎を出た。まだ雨は降り出していないが、空は灰色の雲に覆われていた。
「ところで、沢渕くん、あなた祖父母はいらっしゃるの?」
「いいえ、いませんが」
「そっか」
「どうかしましたか?」
「お年寄りの好きな物って何かな、と思って」
そう言うと、叶美は近くにあったコンビニの自動ドアの前に立った。
「でも先輩には喫茶店やっている祖父がいるじゃないですか」
「だめよ、うちのおじいちゃんはお客に合わせちゃうから、好みなんてないもの」
叶美は一つひとつ商品を吟味しながらカゴに入れていく。
「こんなものでいいかしら」
精算後、大きく膨らんだビニール袋は沢渕が持った。紙パック入りのジュース、よもぎ餅、どら焼きなどが詰まっている。
「どうするんですか、これ?」
「いいから、いいから。黙って私について来て頂戴」
果たしてこんなものが捜査に役立つのだろうか?
訳が分からないまま、沢渕は叶美の指示に従った。
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