第五章 ◇
目覚めたライラの顔を覗き込み、レミィはほっと胸を撫で下ろした。褐色肌の魔女は異国の魔女と目が合い、怪訝そうに眉を顰めた瞬間、弾かれるように上半身を起こして悶絶する。
「いぐぐぐぐうぐぐ!? か、身体が焼ける……」
「あ、馬鹿。動くんじゃないわよ。やっと傷が塞がったばかりなんだから。少なくとも、三日は安静にしなさい。魂がズタズタに破けかけた状態で、棺桶に肩まで浸かっているようなものなんだから」
「き、貴様は、極東の魔女だな。何故、ここにいる。私は、恢と戦って……」
ぴたりと言葉が止み、ライラは口元を押さえる。ややあって、少女は全てを悟ったのか、顔を苦渋で歪めたのだ。怒りか、後悔か。どうして自分は死んでいないんだろうと責めるような。
「私を助けたのは、恢の助言か? それとも、同盟へと首を差し出すためか? あるいは、実験の材料にするためか?」
レミィは面倒臭くなって、隠すのをやめた。彼女は恢に意地悪するのを生き甲斐にしている。
「死ぬ間際に男の名前を呼ぶような女を殺したくないってさ。ごめんねー、馬鹿な男の子で」
「そんな理由で私は生かされたか!? 戦士の名折れである。さっさと首を落とせ!!」
「嫌よ、そんなの。私、巷では優しいお姉さんで通っているし。なにより、恢が許さないだろうから」
「くううう。敵に情けをかけられるなど、ここまでの侮辱を受けたのは初めてだ」
「その侮辱で、惚れた男と再会出来るのだから、良かったじゃないの」
いくら強くとも、ライラは少女でレミィは女だ。踏んだ場数が言葉の応酬に勝敗を隔てたのだ。褐色肌の魔女は舌を噛みちぎらんばかりの形相になるも、自分の手で己の命を奪おうとはしなかった。
「恢は今、戦っているのか?」
「さあ、どうかしら。そろそろ、戻って来ても良い頃なんだけど」
レミィが、恢が向かった先へと首を伸ばし、絶句する。直ぐに、ライラも察する。周囲に、濃密な魔力が爆発的に増大したのだ。現世ではまず、有り得ない神代の不幸が充満していた。遅れて、銃声の乱舞が二人の魔女の鼓膜を震わしたのだ。誰かなど、問うまでもない。悪魔憑きの男が戦っている証拠である。
「ソフィアが、いや、奴の父親が暴走でもしたのか? これだけの大規模魔術は、計画になかったはずだ。おい、女。さっさと逃げろ。このままだと、この敷地内が纏めて異界化するぞ!」
「そう言われて、はいそうですかって逃げられるわけないでしょ。私は、恢とレミリアちゃんを待たないといけないの。それと、自分で助けた相手を見捨てるのは寝覚めが悪い」
魔女は好き勝手に生きるから、魔女なのだ。広場へと山雉にも似た甲高い鳴き声が、絶叫が響き渡った。レミィは空を見上げ、露骨に頬を引き攣らせる。夜闇が染み出したように黒い翼を羽ばたかせる蝙蝠のような魔物が百を超える群れを作っていた。一羽一羽が、鷹よりも大きく、鋭い牙を持っている。血を吸うのか、それとも肉食なのか。どちらにせよ、人間にとって友好的ではないことは明確な殺意を充満させている。
レミィは空に向けて右腕を伸ばし、指を鳴らす。大気が硬質化、細分化、異能化する。無色で質量をほぼ持たない刃が空へと戻る雨と化して魔物の群れを襲撃した。黒い蝙蝠が、呆気なく両断され地上へと、化け物のペーストが土砂の如く降った。防御用の魔法も並列展開し、二人を中心とする半径三メートルの範囲だけ不可侵領域と化す。
半球状のドームの中で、ライラが唇を恐怖と困惑で戦慄かせていた。まるで、背負っていた爆弾の導火線に火でも着いてしまったかのように。
「この感じ。暴走してるようね。あなた、ソフィアの父親って言っていたけど、ソイツって、ベルエオ・レーンレル・クラォスター、元特級魔導士で間違いない?」
声なくとも、ライラの双眸が大きく見開かれる。なにより、如実な証拠だった。レミィは、つまらなそうに吐き捨てるように淡々と語るのだ。
「人道、魔道、外道。そのさらに向こう側、とうとう神の領域に手を出したがゆえに、同盟から削除対象とされた災厄そのもの。まさか、この目で実物を見ることになるとは思いもよらなかったわ」
どうせなら、悪夢は悪夢のまま消えて欲しかったものだ。
「あれが、レミリアちゃんを追っていたと思うと、虫唾が走るわね」
歯噛みするレミィの周囲へと、有象無象の化け物達が集まり出す。女は、レミリアを背負った恢が、こちらへ向かって走っていることなど、露とも知らない。
レミィの苛立ちを正すのは、銀の閃光だった。
「ああ、もう。――鬱陶しい!!」
レミィが右腕を天に、左手を地に翳し、一気に回す。天地流動――ライトウォーカー流短剣術、散式防の陣〝銀山華〟。まるで、闇夜が切り取られた穴から直接出現したように銀の短剣が虚空に浮かび上がる。一本二本というレベルではない。彼女とライラを守る白銀の半球ドームが展開される。同時にけたたましい衝突音が嵐のように鳴り響く。魔物の群れが銀刃に弾かれ、火花を散らし、盛大な猛火と化した。彼女が使うのは〝攻撃型〟の『魔女の道具』。名は『銀装魔女の短剣』。今から八百年以上前のフランスで製造された銀製の大剣を鋳潰して加工された魔女の武器だ。性質としては、ライラが使う飛行剣に近いだろう。彼女は今、服へと三次元的に仕込んでいた無数の短剣を全て、己が意のままに操れる。
「私の傍から離れないでね。一度に精密制御できる剣の数は限られているから」
レミィは、恢を掃討屋として育てた側である。その眼光は爛々と殺意で増幅されていく。
「――我が声を聞け。銀の魂を装填し、銀の御心を補填する。しからば我、銀の血肉を充填する。我が声を聞け。刃の冴え。装の誘い。されば、レミィが命ずる。我が声を聞け! 銀装の魔女・アルハドラ。子飼いの幾百幾千。全てを我に貸し与えたまえ!!」
乾いた音は、レミィが両手を打ち鳴らした音だった。光を飲み込む漆黒を切り裂いたのは眩い銀閃。先に投擲し、どこかへ転がっていただろう銀の短剣が即座に飛翔し、血の臭いを辿るように敵へ肉薄、半自動的に貫き、斬り、抉る。思考の完全並列同時進行。右手で丸を描き、左手で三角を描く〝程度〟のレベルではない。右足でシェイクスピアの戯曲を書き、左足で運命を奏で、右手でプログラムを設計し、左手で剣玉を操る。できる、できないの段階ではなく人間なら不可能。――それでも〝やってしまう〟のだ彼女〝達〟は。
「私を、ただの魔女とは思わないことね!」
檻を形成していた銀剣が外側へと射出する。全てが鋭く飛翔し、瞬く間に敵を次々と葬り去っていく。レミィには〝正しく〟見えていた。頭蓋骨を貫かれた魔物が、内臓を掻き混ぜられた敵が、股間から脳天までブチ抜かれた敵が。そして、さらに眉間へ皺を寄せる。
「……御嬢ちゃん。あれ、何かしら?」
遠くから、瑠璃色の炎を纏った〝何か〟が、こちらへと向かって来る。レミィには、それが軽自動車よりも大きな猪にしか見えなかった。背中を轟々と炎の毛で逆立たせている。止まる術など忘れたと、魔物の群れが物理的な質量の激流となって襲うのだ。
「その細剣で、止められるのか? おい、極東の魔女。貴様、何か凄い術が使えないのか? 高名なのだろう? 一つぐらい、奥義は持っていないのか?」
期待を込めるような、むしろ『そうであれ!』と強く願うような声音でライラがレミィに問いかける。希代の魔女であるはずの女は、調合を間違えたカクテルを恢へ押し付ける時のように、ぺろっと舌を出した。
「恢が死ぬかもって、随分と急いでいたから、攻撃用の『魔女の道具』ほとんど持って来るのを忘れちゃった」
「はあっ!? 馬鹿か、馬鹿か貴様! 戦えない魔女など、鍵のかかっていない車と同じだ。ええい、私が戦いというものが何なのか、教え痛たたたたたたったたたたた!?」
傷口でも開いたのか、ライラが再び悶絶する。レミィが『やっぱり、私だけでも逃げようかしら』と呟いた、その時だった。瑠璃色の炎を纏った猪が一頭、後頭部を四散させて転倒する。
二発、三発、四発。次々と魔物の群れが身体の一部をごっそりと抉られて絶命するのだ。耳に届いた銃声の鋭さに、レミィはやれやれとばかりに嘆息する。
「どうやら、間に合ったみたいね」
レミィの短剣で殺すのは難しい大型の魔物だけが、正確に討伐される。それは、大切な者を護るために参じた魔弾の群れだった。
「これは、リリスの魔弾か」
複雑な表情でうめくライラ。レミィは、視界の奥に映った人影に、知らず苦笑を零した。
「どうやら、間に合ったようね、恢」
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