第五章 ⑤


 対物破壊小銃アンチ・マテリアル・ライフルと呼ばれる銃器がある。文字通り、人ではなく、物を破壊するために造られた銃器だ。拳銃の五十倍以上にはなるだろう長い射程を誇り、破壊力は絶大。標的となるのは軍用の装甲車やヘリなどだ。まさに、一撃必殺を義務付けられたような武器である。

 その中でも、恢が選んだのはアメリカ製造のバレットM82だ。全長は千四百四十八ミリ。重量は十三キロにもなる大型の銃器だ。もはや、軽機関銃と呼んでも遜色ないサイズだろう。通常のライフル銃が玩具に見える始末だ。銃身は厚く、長く、弾丸に音速の三倍を超えた速さを与える。十二・七ミリの大口径。弾薬は十二・七ミリ×九九NATO弾。その威力は二百メートル先にある厚さ三十ミリの鉄板を薄紙一枚の抵抗もなく撃ち抜く能力を有している。

 人間なら、たとえ千メートル以上離れていても致命傷を与えられるだろう。それだけの怪物が『女帝の闇宮リリス・ハート』による退魔被甲を纏ったのだ。どれだけの威力になるかなど、推して知るべし。いや、考えるまでもない。

 骨の腕を用い、恢は立ったまま撃った。窓から見えたソフィアを狙って。その距離、大凡三百メートル。彼ならば、必中の距離だった。

 自然と脚が駆け出す。彼女の元へと、一秒でも早く間に合わせるために。ただ一心に男はレミリアの無事を祈り、そして、間に合ったのだ。

「レミリアちゃん!」

 彼女の名前を呼ぶ。

「レミリアちゃん!」

 もう一度、少女の名前を呼ぶ。

「レミリアちゃん!」

 何度でも、大切な者の名前を呼ぶ。


「――恢!」


 返事がした。それは、天使の福音だった。

 扉を蹴飛ばし、中へと入る。自然と、恢の脚が彼女の前で止まった。憤怒が身を焦がすよりも先に、鎖を素手で引き千切る。手錠部分でさえ、飴細工のように。

 濡れていない部分を見付ける方が難しい。それだけ、レミリアの表情が歪み、怯え、震えていた。恢は銃を失った両腕で少女を抱き締める。彼の目頭まで熱くなり、喉奥から激情が込み上げるのだ。

「無事か? 怪我はないか? 何も、されなかったか?」

 押し殺すようにしか、言葉を紡げない。視界が歪む。それでも、胸に抱いた熱は紛うことなき本物だった。嬉しくて、あまりにも嬉しくて、言葉になってくれない感情が濁流となって押し寄せる。レミリアの温もりを感じ、想い、彼は今、救われた。血みどろの中でしか勝利を掴めない男が今、少女の危機に間に合った。悪魔憑きは、神にさえ背く。ゆえに、傷だらけの腕は、執念は奇跡を掴んだのだ。

「平気、よ。だって、恢が助けてくれたもの。……ああ、恢。ごめんなさい、私のせいで傷付いて。ありがとう、助けてくれて」

 謝罪も、感謝も、むくいの証明だった。恢はレミリアの頭を撫でる。しかし、自分の手が汚れていることを思い出し、弾かれるように手を引っ込めた。すると、少女が問答無用だと頬をコート越しに彼の胸板へと押し当てるのだ。気丈な姿が眩しくて、あまりにも温かい。失わずに済んだ安堵が身体中を駆け巡り――強く、少女を抱き締める。後方へ一歩、跳んだ。

 風切り音が大気を滑った。恢達が一秒前に立っていた地点で、小規模の爆発が起こる。途方もない量の大気が高圧縮され、一気に放出されたのだ。レミリアを抱き締めつつ、そのまま外へと脱出する。

「もう、誰にも奪わせやしないさ。来いよ、糞野郎。地獄の最果てに案内してやる」

 もはや、慣れたものだと、恢はレミリアを背中に背負った。少女が、男の首へと両腕を回し、きつく締める。やや苦しくとも、彼女との繋がりを緩めたくはなかった。苦しみさえ謳歌する。

「――制約解除。起動術式は『骸童子の蒐集義体ボーン・ユニバーサル・フレーム』。第二階位の解放を告げる!!」

 肘と肩に生やした二本の白骨化した腕と肉の腕で〝それ〟を引き抜く。大型の自動式散弾銃パンコア・ジャックハンマーを。需要が無いと、危険だと、凶悪過ぎると試作品のみが造られた異端児の一丁。全長約七百八十七ミリ、重量約四千五百七十グラム。回転式弾倉に装填された装弾の数は十発。

 恢は真横へと跳んだ。足元に、黒い影が走る。甲高い音が天へと突き抜けるように地面を割ったのだ。

 地面に突き刺さった〝それ〟を見てレミリアは絶句する。雀か雲雀のように小さな鳥型の魔物だった。全身が真っ黒で、嘴が矢尻のように尖っている。闇夜に紛れ込んでは飛翔し、こちらの心臓や脳天を抉らんと迫るのだ。目と反応速度を優先的に強化したものの、長く避け続けることは無理だろう。視界に映る範囲だけでも、虚空に百羽以上も浮かんでいるのだから。――雲霞のごとく、一斉に彼へ襲い掛かる。彼もまた、攻撃に転じる。

「悪いな。その程度じゃ俺には傷一つ付けられないぜ?」

 引き金を絞り、轟音と肩に大きな衝撃。ガス圧によるフルオート射撃だった。十二番径ゲージから放たれる鳥撃ちバードショット用の極小粒が一発の装弾ショットシェルに数百粒。十発が立て続けに撃たれれば数千粒。互いに魔弾として共鳴し、対魔被甲の群が暴竜の牙と化して鳥群を飲み込んだ。羽を千切り、腹を食い破り、目玉を抉る。驚異のことごとくを残らず食らい尽くした。原初の硝子に回帰するジャック・ハンマーを捨て、恢は骨腕を解除し顎に伝った汗を拭った。

「恢! しっかり私を護りなさいよ! いいわね?」

「ああ、そいつは最重要だ。必ず、護らないといけないな」

 我儘な御姫様を一人助けるために、恢は新しい火球を展開し、三つの腕で〝それ〟を現世へと召喚する。ずるりと、鎌首をもたげる。それは、長大で、尊大で、莫大だった。名は、サコーM60。一九五七年に米軍が正式採用した汎用機関銃である。ベトナム戦争の主流機関銃であり、全長千百五ミリ、重量十キロ強。まさに桁違いのスケールだ。北大西洋条約機構NATOにより定められた七・六二ミリ×五一弾をガス圧利用機構で毎分五百五十発の速度で撒き散らす。幾度も改装され、現代でもなお現役を誇る怪物だ。リリスの祝福が鋼鉄の牙を優しく彩る。

「ちゃんと、しがみつけ。俺の首を折る勢いでだ。じゃないと、振り落とされるぞ」

 それは凶悪であり、美しくもあった。戦場を弾丸で埋め尽くすために生まれた姿は、洗練され、なおかつ堅牢。味方を勝利へと導く、戦女神が風情。対魔物用の暴君。対異能者用の断罪者。恢にとっても、信頼する切り札の一つだ。

 肉の腕がメイングリップを、肘から伸びている腕がフォアグリップを握る。そして、肩から伸びる腕が掴んでいるのは、真緑にペイントされたポリタンクサイズの弾薬ボックス。

 ジャラジャラと顔を覗かせるのは、弾帯――金属ベルトで横一列に繋がった弾薬の山。そして、先端はサコーM60の機関部へと繋がっている。

 汎用機関銃の真価とは、敵を一人でも多く殺すことではない。敵の〝群れ〟を一秒でも長く阻むことだ。そのためには、弾薬は〝無数〟に必要なのだ。

「何故、邪魔をする、リリスの銃声よ。よこせ、その娘をよこせぇえええええええ!!」

 レミリアが捕らわれていた建物から、黒霧が濁流となって溢れ出す。次々と実体化するのは、神話昔話御伽話にのみ、その存在を許された怪物達。棍棒を持つオークが前を阻む。左右を、サーベルタイガーにも似た怪物が囲む。空にグリフォンが飛び交い、岩の巨人・ゴーレムが隊列を正すのだ。

 そして、それが現れるソフィア――だった〝何か〟が。恢はレミリアが目を閉じていた幸福に、出会ったこともない神に感謝する。

 恢はバレットM82でソフィアの身体を真っ二つにした。だが、悪魔憑きならば持ち前の自己再生能力で容易く完治するだろう。新しい〝下半身〟を生やすか、それとも繋げるか。

 そこに立っていたのは。下半身だけで動く神代の怪物だった。足を手のように動かして這いずり、腹部の顔が鬼の形相を作る。上半身は失われたまま、内臓が髪のように零れるのだ。

 もしも、ここにレミィがいれば、二つの魂が分かれたせいで、再生能力に〝不具合〟が生じたのだと看破するだろう。悪魔憑きとしてまだまだ素人である恢は、一人の男として叫ぶのだ。

「そう言われて、はいそうですかって行くわけねーだろ。この子は手前のものじゃない。俺のものだ。たとえ、神様に言われたところで渡せるわけねーだろうが。おい、糞野郎。よく聞け。手前は何も掴めない。とっとと地獄に落ちろ!」

 憤怒と増悪を叩きつける恢はレミリアにだけ聞こえるように、そっと囁くのだ。

「レミィのところまで案内する。アイツと一緒に逃げろ」

「えっ、けど、恢は――」

「走るぞ」

 言うや早く、恢は全力の六割で駆け出した。慌ててレミリアが両腕に力を込める。前方を阻むオークの群れを狙うのは、サコーM60の銃口。引き金が絞られた。瞬間、大気が破裂する。音ではなかった。それは音速超過の集合体。文字通り、衝撃の嵐。外だというのに、銃声が乱舞する。音が周囲の建物にぶつかる。反響し、反響し、反響するのだ。耐え切れないと少女が瞼を固く閉じて叫んだ。その声さえ、洪水の中に落とされた人形のように深く沈んでしまう。

 マズルフラッシュは銃口を永久に飾るかのように咲き狂う。空薬莢が、駆ける恢の後方へと、蒸気を吹かす真鍮色のラインを描いた。七・六二ミリ×五一弾のスクリーンはオークの群れを容赦なく蹂躙する。脚を吹き飛ばし、頭部を破裂させ、上半身と下半身を永久に別つのだ。まさに、圧倒的。いちいち狙いを定める必要などない。何故なら、小口径高速弾の威力は、敵の耳を掠めただけで、頭部の半分をごっそりと削り取るからだ。棍棒など、スナック菓子のように砕け、防御さえ許さない。弾薬はほぼ無制限。退魔被甲された弾丸の軍勢は、ただただ一方的に魔物を蹂躙する。血と肉が狂喜乱舞するのだ。

 音速の二倍を凌駕する弾丸は一発だけでも三百キロ以上の物体を一メートル動かすだけの反動を恢に与える。悪魔憑きの膂力がなければ走りながらの発砲など、とてもではないが不可能である。本来なら、二脚や三脚で一ヶ所に固定して撃つ銃器なのだから。

(失うかよ。もう、二度と、失うものか!!)

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