第五章 ◆


 ソフィアは苦痛を感じていた。身体中が粉々に砕かれるような激痛が心と魂を際限なく傷付ける。赤熱した鉄棒のように熱い四肢を根元から両断出来ればどんなに、楽になれるだろうか。

「ごめん、なさい。お父さん、ごめんなさい。ゆるして、ゆるして、ゆるして、ごめんなさい。いぎぎっぐうぐぎぎっぎぎいいいいいいいがががっがががっがががっがががががっががががが」

 狂ったようにソフィアの喉奥が痙攣する。それでも〝その声〟は、はっきりとレミリア達へと届くのだ。

「もう、待ちきれん。もう待てない。もう待つ必要もない。はじめ、るぞ、ハジメルゾ――!」

 少女の意志に反し、腕が動く。胸元へと伸ばされ、そのまま服を破り捨てるのだ。豊満な乳房が晒され、激しく揺れ、ソフィアの顔が羞恥に濡れる。だが、扇情を抱く者は地獄にさえいないだろう。本来なら、白い肌に引き締まった筋肉美が浮かぶ腹部。しかし、そこに御腹も臍もなかったのだ。

 目があった。

 鼻があった。

 口があった。

 そこには、顔があったのだ。日本には、人面瘡と呼ばれる妖怪が記録されている。化膿した傷が人の顔に見えるのだと。肉が盛り上がり、醜い顔があった。数百年も放置されたかのような男の顔が張り付いていた。臍の部分には、大きな口がある。舌は赤く、少女の内臓はどこにあるのだろうか? 眼球は出目金のように飛び出し、鼻が細く長く。見ているだけで、嫌悪が腸を抉るような醜悪さが塗りたくられていた。疫病で悶え苦しんだ死体でさえ、ここまで顔を歪ませはしないだろう。

「胃ぎっぐぐぐぐぐ具亜具あぐあぐがうぐぐぐぐおっごごいおぎおあぎおがおっごあうごうあぐうおあぐおおあぐぐあおあがぐあごあうぐあおぐあぐおあがうおがうおがうおがうおがうあぐあぐおあぐおあぐおあがうおぐあがうお――!!!」

 まるで、流れを変えたかのように、ソフィアが感じる苦しみだけが増加する。ソフィアの〝父親〟はとうとう、我慢するのを止めたのだ。これまでは、彼の術式で彼だけが苦しんでいた。何故か? 娘の身体を円滑に動かし、レミリアを取り戻すためだ。

 だが、もう我慢する必要はない。ソフィアの愛らしい双眸が反転し、白目を剥く。まるで、何度も絶頂を迎えるかのように身体中が痙攣し、いや、暴れ出す。糸が乱れた操り人形の末路は? 二度と下には直らず、糸を切って捨てるしかない。レミリアが声を失っている中で、低くしわがれた声だけが室内を満たすのだ。ゆえに、その男の行動など、誰も知る由もない。

「たすげてよ、たうげてよとうさん おとうさん、たすけて、私は、私はなんで、ぐるしまないよいけないのごのののの?」

 壊れた〝入れ物〟のソフィア。入っていた物は、罪悪感の欠片も抱いていない。

「朽ち、るだ、けの身体を、我が娘に、移、したの、は正しかった。魂が似て、いる、から、身体が、馴染み、やすい。だが、ソレも、ゲンかいがある。アタラシイ肉体をてにいれれ、なけけけ、ばばばいけない。みつけた、我が、身体を、新しい器を生む。揺り籠を、いや、母体をををををををををををおをををを」

 その声は興奮していた。まるで、初めて恋人の裸を見た少年のように。まるで、空腹の限界だった遭難者のように。まるで、極上の魂を目の前にした悪鬼のように。

「さがした、探したぞ、三百年もかけて、やっと、我が身体を生むにてきした、モノを。いあいあいあいあいあいああ、まままま、から、こここ、これを、孕ませる、ぞぞぞぞぞぞ」

 はっきりと言ってしまえば、この男は今からレミリアをレイプして妊娠させるつもりだった。新しい自分を生ませるために。転生の器を用意するために。無論、数百年も生きた怪物を少女が身ごもれば、どうなるか分かったものではない。最良でも廃人。人としての生命は終わる。

「いや、いやあぁああああああ。誰か、誰か、助け、助けて! 恢! 恢――!!」

 涙を散らし、少女が泣き叫ぶ。四肢を動かすも、鋼鉄の鎖は少女の逃走を阻むのだ。ソフィアの身体がレミリアを〝寝台〟へと押し倒す。父の醜い顔が、少女の腹部へと向けられるのだ。

「やだ! やだ! やだ! やだぁああああああ! ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 絹が裂けるような、どころではない。魂さえ張り裂けそうな叫びだった。だが、届くわけがない。あの、男が、悪魔憑きが届くわけがない。ソフィアは知っている。恢とライラが戦った広場から、この室内まで直線距離で六百メートル以上もある。数多の阻害用術式を用意した。奇跡でも起きない限り、間に合うはずがない。

 腹に咲いた顔。その口から舌が伸びる。黒く太く、長く、まるで男根のように屹立する。唾液に濡れ、鈍く光るのだ。それが、とうとうレミリアの秘部へと近付き――、


 ――リリスの弾丸は間に合った。


 ソフィアが、その父の身体が〝削られた〟。それ以上でも、それ以下でもない。上半身と下半身が内側から爆発するかのように両断、切断、分断される。

 誰かが、遅れて飛来した銃声を聞いただろうか。恐怖で顔をグシャグシャに歪めたまま、このままショック死でもしてしまいそうなレミリアへと、彼が優しい声を届けたのだ。

「俺の女を、返してもらおうか」

 何もかも奪い取って遥か、悪魔憑きの男は最後の舞台へと間に合ったのだ。


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