第五章 ◆


 目の前に広がる地獄を見て、ライラは苦悶に顔を歪めた。この男が機関でも危険視されているのが十分過ぎるほどに理解出来た。化け物が銃器を持つことが、これだけの脅威になるとは。

 通常、銃撃戦とは距離を開ける。遮蔽物に隠れ〝ちびちび〟とやるのが常識である。何故なら、人間は脆いからだ。どんなに小さな弾丸でも死ぬ時は死ぬ。九パラの半分にも満たない二二口径の弾丸が重要な血管に入り込み、死亡した例さえあるのだ。ゆえに隠れる。だが、この男には〝それ〟がない。真っ向から、弾丸を撒き散らす。傷は傷ではなく、ダメージはダメージではない。死と殺意だけを押し付ける生きた絶望。

「ふざけた生き物だな、貴様は」

 両手に何も持たず、ライラは恢と真っ向から対峙する。ローブの兵隊達は屍となって、地面を赤黒く飾っていた。

 黒と赤のボロ布を身体に巻き付けた骸骨の兵隊が六十四体、AK四七をライラへと向ける。逃げ道など、どこにもない。たとえ百メートル以上離れようとも七・六二×三九ミリ弾には殺傷能力がある。普通に考えれば〝詰み〟の状態だった。倒せるわけがなかった。

(なんと、凄まじい。この怪物に、本当に勝てるのか?)

 しかし、動揺で心臓の鼓動を強張らせているライラへと恢は怪訝そうな視線を向けたのだ。

「手前、一体全体、何を考えていやがる」

「何と言われても、貴様を倒すことだけだが?」

 その言葉に嘘はなかった。それでも〝間違っていた〟のだ。恢は大口径の自動式拳銃AMT社のオートマグVを構えつつ、直ぐに撃とうとはしなかった。

「あの時、俺を〝殺した〟術式を、どうして使わない? いや、本当に俺を殺したければ、あの時に首を落とすべきだった。悪魔憑きが〝死に難い〟ことを、知らないわけがないだろう?」

 沈黙が夜風となって頬を撫でる。恢の言う通りだった。ライラ達の行動は〝阿呆らしい〟としか言い様がない。本当に彼を殺したければ、問答無用で心臓を抉り出し、首を落とし、肉片に変えるべきだった。少女は何も語らず、男は淡々と言葉を進める。

「あれだけの大規模魔術を使った後に〝この程度〟か? はっきり言って、矛盾しているな。言ってみろよ。ここで、俺を生かしたまま足止めする理由はなんだ? レミリアちゃんを利用するだけが目的なのか? それとも、他に何かがあるのかよ」

「……ふん。ただの化け物となって殺し合えばいいものの。全く以って人間臭いな、お前は」

「心まで化け物になった覚えはねえよ。俺はただ、真実が知りたいだけだ」

 オートマグVに使用される弾薬はデザートイーグルと同じ五〇AE弾。彼我の距離、三十メートル弱。身体を掠めただけでも動きが奪える。そして、恢の腕なら外しようがなかった。つまり、撃たないことには、それだけの理由があったのだ。

 ライラは空を見上げた。

 夜の闇が何よりも孤独だった。

 だから、早く彼の元に帰りたかった。

「私は、時間を稼ぐだけだ。ただ時間を稼ぐだけだ。そう、レイドから頼まれた。しかし、私はアイツの犠牲を願わない。レイドはこれまで、何度も傷付いた。だから、最後には夢を掴んでも許されるだろう? ふん。これだけ時間を稼げば、アイツとの義理も果たしたことになるだろう。恢よ。愚かなまでに甘い悪魔憑きの男よ。遅れてしまって申し訳ない。さあ、始めようか」

 そうして、ライラは腰に差していた短剣を引き抜いたのだ。しかし、それは数時間前に使った黄金の刃ではない。赤茶に錆び、刃としての機能を完全に失った〝鉄屑〟だった。ボロボロの柄に、欠けた鍔。骨董的な価値さえ皆無だろう。恢は眉を顰め、みるみるうちに顔を強張らせる。男が、叫んでいた。

「止めろ! ソレは使うな。それが何なのか知らないのか? 精霊が鍛えた刃の次は、悪魔に呪われた『魔女の道具』かよ。おい、人間。駄目だ、それを捨てろ。今直ぐに捨てろ!!」

 必死な形相で恢が叫ぶ。すると、妙なことに骸骨の兵隊達が一斉にAK四七を撃ち出した。地獄の兵隊達が、魔神の統率から離れ、何かに怯えたように命を乱したのだ。

 突撃銃の銃弾が横雨となって迫る。だが、今度はライラが世界を沈黙させる番だった。

「我、ライラ・エルン・ウィンガードナーが告げる。此処は、汝が眠る王国であり墓場である」

 弾丸がライラに当たる直前で〝何か〟に弾かれる。骸の兵隊が突如、爆発した。恢もろとも、爆炎の中に包まれる。

「汝が領土を此処に広げよ。汝が支配で此処を満たせ。汝が恐怖を此処に刻め」

 闇が落ちる。

 闇が広がる。

 闇が満ちる。

 だんだんと、世界は暗くなる。だんだんと、世界は冷たくなる。だんだんと、世界は静かになる。

 錆びた刃に青白い炎が纏わりついた。刃が粒子へと変換され、爆発的に体積を増大。霧となってライラの身体を包み込む。全身に術式が噛みつき、魂を削る激痛が女を壊していく。

「ぁああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 喉が裂け、血が吐き出される。黒い霧は質量と硬度を覚え、やがて、無骨なフォルムの鎧と化した。フルメタル・プレート。中世時代の全甲冑姿である。ライラは今、人間を止めたのだ。

 鎧を纏った女の双眸は恢からは見えない。赤黒く濁った眼光は〝敵〟だけを睨みつけるのだ。

「神凪恢。貴様ハ私が殺ス」


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