第五章 ②


 日高市の北西にはとうの昔に人々を楽しませることを放棄した〝元〟遊園地が存在する。電気回路は完全に切断され、遊具の一部は撤去されているものの、撤去作業は二割も終わっていないまま放置され続けている。遊園地のオーナーが事業に失敗した挙句に借金苦で夜逃げした、あるいは自殺した。工事中に事故が起きる。自殺した子供の幽霊が仲間を求めている等々。眉唾物の噂まで飛び交い、真偽は定かではない。時刻は深夜。空を見上げれば目に痛いほど眩しく、冷たい光が注がれている。満月が空の隻眼ならば、今宵は何を見るのだろうか。罪深くも己が信念を貫く男の背中だろうか? 神凪恢はちょうど、遊園地の中央にある広場へと足を踏み入れていた。ここがまだ運営していた頃は、パレードが客を賑わせていたのかもしれない。今は全てが遠い。夢の果ては冷たい現実だ。

「……やはり、戻って来たか。そうだろうな。貴様が、あの程度で殺されるような男なら、ここまで名は轟かせていないだろう」

 水が抜かれた噴水の淵に腰をかけているのは、蜂蜜を濃く煮詰めたような瑞々しい褐色肌の少女・ライラ。深い青を湛えたオーシャン・ブルーの瞳が月光の中で妖艶に光る。恢は彼女の〝格好〟を見て、怪訝そうに眉を顰めたのだ。

「一人で仮装パーティーか? 随分と御洒落だな」

 着ているのは、あの時のスーツではない。黒く染めた絹生地をベースにしているワンピースのようにも見える民族衣装だ。赤と青のリボンでスカート部分が飾られている。金糸と銀糸で肩の部分に美しい刺繍が施されていた。背中がぱっくりと開いているデザインで、涼しさも追求しているようだ。メロンのように育った乳房は、谷間を隠すように黒い革のベルトで固定されている。動く際の揺れを制限するためだろうか。余計に胸元が強調され、扇情的な雰囲気を醸し出している。

「歴史の表にはけっして登場しない、すでに滅びた我が祖国の正装だ。光栄に思え。これを見せたのは貴様以外ではレイドのみだ」

 そこにどんな意味があるかなど、恢は知らないし、知る必要も意味もなかった。敵は敵であり、ただただ撃つだけの対象に過ぎないのだから。

「レミリアはどこにいる? 俺は、あの子と一緒に、家に帰らないといけないんだ」

「ならば、私を倒してみろ。――出来るものならの話だがな」

 悪魔憑きを前にして、ライラは退かない。その口元に、凶悪な笑みを浮かべるのだ。

 ――その刹那、足元の影が〝ぬらり〟と鎌首をもたげた。毒蛇のように左足へ漆黒の帯が十重二十重に絡みつく。引き抜こうとするも、まるでボルトで固定されたように動かない。ただの耐久性云々ではない。これは一種の結界だ。恢の身体を、その場に固定する概念そのもの。たとえ、十トンの鉄塊を動かす力を加えたとしても拘束が解かれることはないだろう。相当な密度の術式である。

「面白い。これも『魔女の道具』か。ここまで〝複雑精緻〟なのは滅多に見られるものじゃない。まさか、こんなに早く会えるとは思わなかったよ。嬉しい誤算だ。俺は今、猛烈に〝喜んでいる〟」

 拘束されて笑う馬鹿がいるとは思ってもみなかったのだろう。ライラが皮肉気味に舌打ちを飛ばす。そして、合図でも送るように指を鳴らす。パチンと。新しい影が現れる。しかし、今度は〝人影〟だった。恢を囲むように〝それ〟が集まり、輪を描く。

 まるで、中世の魔法使いが現世に迷い込んでしまったかのようにローブ姿の者達が四十人以上も肩を並べる。装備している武器は時代遅れの自動小銃、スプリングフィールドM1〝ガーランド〟である。セミオート射撃を可能にしているものの、装弾数は八発と少ない。現役だったのは第二次世界大戦時代の骨董品だ。ただでさえ大きな銃に銃剣バヨネットを装着したせいで全長は千四百ミリを超える。小回りが利かず、現代の戦闘では役に立たないだろう。――もっとも、それは〝普通の戦闘〟の場合だ。

 恢は〝それら〟に気が付いた。

 悪魔憑きとして、瞳孔が開く。

「『簡易契約式呪装機コンポジット・ウェポン』か……。試験段階だろうに。あれまで引っ張ってくるとは光栄だ」

 仮に恢と同等の戦闘力を持つ者を〝作成〟するとすれば、二万人を犠牲にし、五十年に一度成功するかしないかの確率だろう。そんな大々々博打につき合ってはいられないと米国政府が業を煮やして製作させたのが、人間側ではなく武器だけを対異形へと強化させた『簡易契約式呪装機』だ。意思を持たぬ最下級悪魔を武器〝そのもの〟に封じ込めた、正に生きている武器である。まだまだ実用化が完全には進んでいないものの、数を揃えれば〝それなり〟の効果を発揮する。今後、更なる進化を遂げるだろう。

「手前ら、米軍とまで関係があるのか? そこまでして、レミリアちゃんに何を求める?」

「……ふん。上の連中など知らん。私の役目は、貴様の足止めた。せいぜい時間を潰せ。その間に、事態はどんどんと悪化するだろう。さあ、どうする?」

 ライラの問いかけに対し、恢は微塵も迷わなかった。

「こうするに決まってんだろ」

 恢は、左足を拘束されたままでも微塵の躊躇も困惑もしなかった。この程度、掃討屋にとって脅威にすらならないからだ。彼は高速展開した『女帝の闇宮』の炎球から右手で、自動式拳銃を引き抜く。イスラエルのIMI社製のデザートイーグルを。手動安全装置を解除。すでに初弾が装填されて、撃鉄が起こされている銃口を左足の膝部分へ押し付ける。――間髪入れずに発砲。人間の頭部を水風船のように破裂させる五〇AEの大口径銃弾が、左足を文字通り吹き飛ばす。発射薬の燃焼ガスが体の内側に入り込み急速膨張。骨も纏めて血肉が周囲に飛び散り、べったりと張りつくのだ。脳味噌に鉄杭が突き刺さったかのような痛みに歯を食い縛り、倒れないように右足で踏ん張る。

 膝から下を失った左足の断面から槍のように新しい骨が飛び出し、枝分かれし、関節を形成する。瞬く間に肉が盛り上がり、神経が連結し、皮膚が浮かび上がる。その間、五秒とかからない。『肉体の再構築オート・メンテナンス』による血生臭い脱出方法だった。拘束から解放された恢は、右手に握ったままのデザートイーグルを今度はライラへと向けた。 

「あんまり俺をなめないでもらおうか。……手前、ライラって言ったか? 魔人ってわけじゃなさそうだが、純粋な人間ってわけでもねえだろう。俺の力は異能にこそ有効だ。魔弾として強化された五十AE弾は人間の上半身を簡単に〝ロケット〟へ変える。このまま、お月様まで〝飛んで〟みるかい? それとも、地面にへばりつくヘドロにでも変えてやろうか? ――ほら、とっとと選べよ」

 六インチの銃身を湛える二百七十三ミリの全長、七発+一の五十AE弾を装填した重量二千百グラム。デザートイーグルは、純粋な物理的エネルギーだけを考慮しても、人間を殺すには十分過ぎる。

 ライラが後方へと跳んだ。ローブの兵隊よりも下がり、恢と距離を取る。

 乾いた発砲音。ローブの一人が引き金を絞ったのだ。スプリングフィールドM1の銃口が火を噴き、恢の腹部に七・六二ミリ×六三弾が突き刺さる。内臓が傷付き、激痛が腹を内側から齧る。思わず顔を顰めてしまった。流石に百年クラスの『簡易契約式呪装機コンポジット・ウェポン』は威力が段違いだ。低級の魔物なら、容易に討伐が可能だろう。自分達の武器が通用したことを、ローブの連中達が喜んだ。そして、最初の者に続くかのように二人目の男が引き金に指をかけた。狙いは頭部。ゆっくりと引き金が絞られ、悪鬼の声が滑り落ちる。

「手前らがどんな人間なのか俺は知らない。金で動く阿呆だろうが、正義に燃える糞だろうが、悪道を極める屑だろうが、関係ないんだ。だから、これだけは言っておくぞ――」

 普通の人間なら首の骨がスナック菓子のように折れる速度で恢の頭が勢いよく後方に弾かれる。だが、それだけだった。背中がちょっと仰け反っただけで、一秒足らずで首は同じ位置に戻った。額の皮膚が薄く裂けて血が薄っすらと滲むも、すぐに傷は完治してしまう。対照的に頭の四割を失った黒いローブ姿の敵が倒れた。悪魔憑きの男が持つデザートイーグルから、朦々と硝煙が零れていた。あの一瞬で放たれた弾丸は敵が一発、こちらが一発。だが、相討ちすら許されなかったのだ。掃討屋が口に咥える煙草さえ消えていない。敵勢が、はっきりとした動揺の空気に飲み込まれてしまう。

「手前ら全員、生きて帰れるなんて思うなよ。ここはもう、俺の〝射線上〟だ」

 恢の両手に一丁ずつ拳銃が握られる。彼の戦意に呼応するように、暗闇の中で尊大な存在感を露わにするのだ。

 右手に自動式拳銃のエリート、SIGザウアー社の226。全長約百九十六ミリ、重量約八百九十グラム、装弾数九ミリパラベラム弾の十五+一。質実剛健、西ドイツで生まれた名銃。米軍の制式拳銃トライアルで唯一、最後までベレッタM92と競った静かなる狂喜。

 左手にイントラテック社のTEC9。全長約三百十七ミリ、重量約千四百グラム、装弾数九ミリパラベラム弾の五十+一。アメリカで育てられた問題児。犯罪に数多く利用され、とうとう販売規制がかけられて会社は倒産。人々の恨み辛みを背負った亡霊の化身。

 共に、夢を見た。覇道の道を半ばで去った。一九八〇年代のアメリカで生まれ、夢を掴み損ねた。奇しくも、かつてのアメリカを支えた小銃達を前に火を噴く。

 スマートな右手の優等生。無骨な左手の暴君。

 有り得ない組み合わせを用い、恢は謳うのだ。

「さあ、始めよう。――俺達の殺し合いを」

 銃撃が十重二十重に重なった。恢だけではない。おそらく他に『簡易契約式呪装機コンポジット・ウェポン』や『魔女の道具』が用意されていたのだろう。ローブ姿の兵隊達を護るように白い霧が障壁と化して九ミリ・パラベラム弾を弾き落とす。地面から伸びる黒い影が、鋼鉄の鎖が悪魔憑きの動きを抑制せんと迫るのだ。どうやら、敵もかなり本気らしい。

 無傷とはいかなかった。七・六二ミリ×六三弾が恢の身体へと次々に着弾する。しかし、それは悪魔憑きにとっては些末事だった。避けられなかったのではない。避ける必要がなかったのだ。どんな傷も、瞬く間に再生していく。一方、彼が放つ九パラは着実に敵の数を減らしていくのだ。恐怖は伝染する。男は手元へと伸びた鎖をP二二六の一撃で吹っ飛ばした。

 誰もが口を閉ざす中で彼だけが〝正常〟だった。

「甘いぞ、人間。この程度の火力じゃあ、俺を殺すには足りない。あと三十倍は用意しろ」

 恢は煙草を深く吸い直した。肺にニコチンを取り入れ、吐き出しながら弾丸もついでに吐き出す。軽快な九ミリ・パラベラム弾が対魔被甲を纏う魔弾となり、敵の頭部を抉り、ローブを切り裂き、腹部を貫く。ちょっと装備を整えた〝素人共〟に彼が負ける道理などない。次々と敵勢が散って逝く。ここは地獄の最果てだ。悪魔が闊歩する絶望のどん底だ。一人を抜かし、誰も彼もが恐怖に顔をグチャグチャに歪めていく。

 統率などとうに消え失せた。あるのは、半狂乱となった者達の小便を撒き散らすような悪ふざけ。そして、いちいち雑魚に構っているほど、彼は暇ではない。

 二丁の拳銃が原初の砂となって散ると同時に、恢は高らかに〝それら〟を呼んだ。

「――我が声を聞け。黒と赤の衣を纏う者よ。六十四の徒党を組んで怨敵を尽く撃ち払え!」

 恢を中心にして、コンクリートの地面へ真っ黒な泥が広がる。爆発的に増加し、泡立ちながら沸騰し、ズルズルと伸びて、広がっていく。次第に、それは浮かび上がった。縁を掴むように這いずり出でたのだ。生まれ落ちたのは骸の兵隊。泥沼の黒とコントラストを描く真っ白な〝しゃれこうべ〟。これが、彼の使う奥の手の一つだった。

 リリスと彼に忠誠を誓った証しである黒と赤のボロ布を身体に巻き付けた地獄の従者。その数、彼が宣言した通りに六十四体。それらは統一された銃器で武装していた。世界で一億八千万丁ものコピーが製造されたとされるカラシニコフ・ライフル、AK47を。バナナのように曲がった弾倉を持つ突撃銃である。熱帯のジャングルだろうが、髪の毛さえ凍る寒冷地帯だろうが、砂が肌を削る砂漠地帯だろうが関係ない。どれほど過酷な条件下でも実用可能な名器だ。有象無象が蔓延るここで、今、戦場証明バトル・プルーフされた真価を発揮する。

「悪魔憑きが持つ特権の一つ『小神召喚サモン・エレメンタル』だ。これで、数の優位性は失われたな? 残念だったな。それでも、俺は攻撃を絶対に止めないぞ。売られた喧嘩は万倍にして返すのが趣味なんだよ、俺」

 恢は今、魔軍の一個小隊を手に入れたに等しい。恐怖を知らず、躊躇を知らず、慈悲も知らぬ地獄の一等兵共は、顎をカラカラと鳴らし歯の隙間から瘴気を漏らしながら命令を待っていた。数を減らしていたローブの男達は一瞬で化け物に囲まれ、顔色を蒼白から土色に変えていた。――ああ、やはり素人だったのかと恢は納得した。もっとも。ただ、納得した〝だけ〟であり、こちらに盾突いた野郎共を逃がす気など毛頭ない。

「敵を撃て」

 それだけで十分だった。骸の兵隊が周囲へと駆け出し、行動開始する。死霊共が次々と放つのは七・六二×三九ミリファースト・カラシニコフ弾。音速の二倍強で放たれるライフル弾を前にして敵は逃げることさえ許されなかった。その全てが、彼が使う弾丸と同じく退魔被甲された特別製。手足を千切られて、頭を吹っ飛ばされ、心臓を撃ち砕かれながら悲鳴一つ上げることなく絶命する。それはまさに、絶望の最果て。魂を食らう亡者の行進。遊園地の広場から〝普通の人間〟が消えるまで一分もかからなかった。一息はこうと胸ポケットから取り出した煙草を指で摘まみ、唇から外す。その間、兵士達は忠実な部下として彼の命令を、顎を鳴らしながら待っていた。まるで、熱砂地獄の軍靴デザートストーム・オブ・アフガンが掻き鳴らされているかのようだった。ここはすでに、化け物が闊歩する地獄。暴力を以って道を拓き、鮮血を以って標を見出す。どうしようもない。こんなモノ、どうしようもない。

「さあ、どうする? まだ、戦うのか?」

 悪鬼は怒り、人は戸惑うのが裏の世界の〝常〟なのだ。

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