第五章 ◇


 遊園地の中央よりも先に進んだ場所に『氷の世界』と銘打った看板を下げた室内式のアトラクションがあった。それは、部屋の内部を零下に落とし氷のオブジェを沢山用意して客を涼と美しさで魅了するという内容だった。当然、営業を止めた室内に氷が残っているはずもない。学校の教室を縦横高さ二倍にした程度の空間は、虚しい暗闇で満たされただけのはずだった。しかし、四方には古い時代のオイルランプが用意されていた。内部へ、真昼当然の明るさを捧げていた。セラミックタイルの床には複雑怪奇な記号と文字で術式が刻まれていた。古代の刀、獣の骨、樹木の化石、色取り取りの宝石が無造作に並べられている。もしも、此処にレミィがいれば、その高度な術式の組み合わせに嫉妬の炎を燃やしていただろう。まさに、魔術の世界だった。たった一つの奇跡を叶えるための場所だった。

 そして、中央には巨大な石から切り抜かれた台座があった。レミリアは、ゴツゴツと硬い感触が背中に当たるのを嫌い、横になっている。

 台座の上、鋼鉄製の楔と鎖でレミリアは拘束されていたのだ。四肢はある程度の自由が利くものの、台座からは下りられないような長さの鎖である。

「随分と、趣味が悪いわね」

 それは掠れるような声だったが、耳聡くもソフィアが反応を示した。

「きしししし。ごめんねー。けど、そういう仕組みだからさー。ちょーっとだけ我慢してよ」

 人を嘲ることしか含まれていない笑みに、レミリアは涙を抑えるので必死だった。今泣けば、今度こそただの〝泣き虫〟だ。そんなことでは恢に顔向けできない。彼女はまだ〝負けていられない〟のだから。

「どんな悪さだって、最後まで隠し通すなんて出来はしないわ。必ず、罰が下るものよ」

 幼い娘の虚勢。ただ、小馬鹿にするような者は誰もいなかった。むしろ、その逆だった。ライラは壁に背中を預け、レイドは儀式の準備を続けている。その二人が顔を見合わせたのだ。

「本来、僕達の行動は『王華総攬騎士同盟おうかそうらんきしどうめい』が許す範疇を大きく超えている。これは、明らかな違反行為だ。それに、隠し通すつもりなんてない。もう、とうの昔に見透かされていますよ」

「――ああ、だろうな。もはや、我々の行動は異端でしかない。『王華総攬騎士同盟おうかそうらんきしどうめい』が本気で動けば、我々など机の埃を払うような呆気なさで〝処分〟されるだろう。レミリアよ、君の判断は正しい」

 後がないのはライラ達も同じだった。それでも、彼女達は二重に三重に策を用意していた。

「……だが、残念だな。その理屈は、少なくとも、この地で、日本では通じない。日ノ本の退魔組織は『八柱の根月原オオヤシマ』を含めた神道や仏教を主体とした機関が牛耳っている。我はな、ある契約をしたのだ。神凪恢の死と引き換えに、この地での『儀式』を〝不問〟とする契約をな。正しいことが常に正しいとは限らない。よく、覚えておけ」

 死した彼の姿を思い出したレミリアの奥歯がカチカチとなった。だから、必死で歯を食い縛る。ソフィア達にとっては、子犬が吠える程度にしか感じていないのだろう。ゆえに、口が軽くなったのか。ライラが頬を上気させ、熱を帯びた声で歌うように語るのだ。

「あの男は異端だ。悪魔憑きとはつまり、意志を持つ兵器だ。鎖に縛られていなければならない。ここにいるソフィアでさえ、『戦争屋』と呼ばれていながら、裏では組合の有力者にパイプを繋いでいる。だが、あの男は違う。真の意味で独りだ。名を貸すだけで組合が存在を許すわけないだろう。ただ単に、あの男が『八柱の根月原オオヤシマ』の血を引いているから、手を出すのを躊躇っていただけだ。ならば、その『八柱の根月原オオヤシマ』から掃討屋抹消の免罪符を貰えば済む話だ。…………少々骨が折れたが、ようやくここまで来た」

 ライラの瞳に映る狂気に、言葉を失うレミリア。この女は、此処まで入念深く他人を陥れてまで、叶えたい目的があるというのか。

 ソフィアが冷ややか視線を〝何処か〟に向けながら、言葉を足した。

「簡単に言えば、ここで悪さするのを見逃す代わりに掃討屋を殺せって契約だよ。ねえねえ、レミリアちゃん。この街、ええっと、日高市だっけ? 今ではすっかり栄えているけど、潰れた工場とか、遊園地とか、使われていない倉庫街とか、妙に明暗くっきりだなーって思わない? それってね、大きな理由があるんだよ。この街ってさ、龍脈の流れが不安定なんだ。うーん、違うなー。不安定じゃなくて、ムラがある? そう波みたいにムラがあるんだよ。だから、良い時と悪い時の差が激しくなる。ここの遊園地もね、十数年前は最強MAXの超スーパーラッキーパワーみたいな瞬間があったの。潰れた時は真逆のアンラッキークオリティ。……で、今から一時間後に、始まるんだよ、波が。龍脈っていうのは、パワースポット。目には見えない力が集まる場所。龍脈の上にこそ、都が栄える! そんなベリーベリーラッキーパワーを使って『儀式』しちゃおうって話が〝これ〟なわけ」

 まるで、好きなドラマでも語るかのように楽しげな口調に、レミリアは烈火の怒りを再度、爆発させる。

「そんなことのために、恢を殺したの? あの人は、私を助けてくれた。なんの見返りも求めずに助けてくれた。恢は優しい男よ。卑怯者のあんた達なんかと違うわ」

 都合の良い言葉なのかもしれない。恢はけっして、正義の味方ではない。どんな理由であれ、彼は多くの人間を殺してきた。しかし、それでも、レミリアは助けられ、護られた。それは、けっして嘘ではない。彼の優しさは偽善なんて言葉では片付けられないのだ。胸に残った甘くも苦しい猛りは、理屈や道理で片付けられるものではない。

「いひひひひひひ。いいのかなー。そんな反抗的な態度で。私、けっこう虐めるのって大好きなんだー。ほらほら、どうしたの? 私達が怖いの? 大丈夫だよ。最後には、ちゃーんと楽しませてあげるからね。ひひひひひきいひひひひひっひひひひひひ!」

 ゲラゲラと笑うソフィア。今にも泣き出しそうなレミリア。二人の間に割って入ったのは、レイドだった。

「お喋りはここまでにしましょう。ソフィアは、術式の前段階を済ませてください。貴女の御父様も、万全を期したいでしょうから」

 忠告は静かで、淡々と。

 ソフィアが、片眉を吊り上げる。

「あれー、お兄ちゃん、私の邪魔するの?」

「邪魔ではありません。しかし、儀式を失敗したくないのは本当でしょう? それとも、無駄な時間を使ってまで、儀式の成功確率を下げたいのですか?」

 両者の間に、沈黙が広がる。レミリアには、レイドの背中しか見えない。彼が頬に冷たい汗を滲ませていることなど、知る由もなかった。ややあって、ソフィアが降参でも示すかのように両手を顔の高さまで上げる。

「ふーん。まあ、いいけどねー。じゃあ、君の言葉に免じて、レミリアちゃんを虐めるのは止めてあげよう」

 そうして、ソフィアが部屋から出てしまう。レイドがほっと胸を撫で下ろし、レミリアへと向き直ったのだ。ただし、彼は何も語らない。少女を数秒だけ見詰め、彼も外へと出たのだ。その背中をライラが慌てて追う。相対的に、少女は独り、残された。

「な、なんなの、あいつら……」

 贔屓目に見ても、親しい仲間意識があるようには見えない。むしろ、レイドやライラはソフィアを嫌悪しているようにも感じられた。レミリアは、敵の正体を知らない不気味さに背筋を冷やす。今、この状況に置かれても、自分が一体〝どんな目〟にあうか見当もつかない。

「……恢」

 彼の名前を呼ぶ。当然、返事はない。凍えた心は壊死を選ぶように摩耗していく。悔しさ、苦しみ、怒り、悲しみ、負の感情が全て小さな身体を軋ませるのだ。こんなことなら、出会わなければよかった。最初から希望なんてなければよかった。レミリアは、もう考えるのも辛くなって瞼を閉じかけ――途方もない音が大地を揺らしたのだ。腹の底が揺れる。地震よりも鋭く、短く。まるで、爆発。巨人が地面を殴りつけたかのように、世界が悲鳴を上げたのだ。

 何故だろう。不思議と、怖くなかった。目を見開いたレミリアには、それが救いへと届く福音に聞こえたのだ。

「恢?」

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