第四章 ②

 

 場所は変わる。あるいは、導かれたのか。恢は繁華街の隅にある〝おばけ区域〟へと脚を踏み入れていた。数十年前、バブル崩壊のあおりを受けて多くの企業が〝壊滅〟し、売る価値もなくなった土地と建物だけが残った無機物の墓場である。

「戦うにはうってつけだな。……なんともまあ、俺好みの場所だよ」

 瞬時に紅蓮の火球を展開する。引き抜かれたのは、回転式拳銃にカテゴライズするタウルス社のタウルス六八〇CP〝B六〟だった。世界中に存在する回転式拳銃のほとんどは装弾数が六発であるが、この銃器は強力な三五七マグナム弾を八発まで装填可能である。その分、弾倉の径が太く、フレームも大きい。全長二百九十ミリ、重量千三百五十グラム。名前の末端にある〝B六〟とは防錆処理ブルーイングが施された銃身六インチモデルということを意味する。これが、恢の仕事道具であり〝相棒〟なのだ。

 限りなく黒に近い蒼の輝き。ゴム製のグリップを強く握り、鋼鉄の暴君が目覚める。恢は撃鉄を起こし、一度だけ大きく息を吸った。そして、引き金に指が触れると同時、緑の檻が解ける。

 視界が開く。辺りは灰色が濃い廃ビルの墓標。生命の色が薄い世界だからこそ〝異物〟の影は鮮明だった。

 太い腕に御され、タウルス六八〇CPが立て続けに咆哮する。確実に、通常の三五七マグナムよりも音が図太く、鋭い。ホットロード――発射薬を増量されたハイパワー・ブレッドだ。それもタングステンカーバイト鋼を弾芯とした徹甲弾。その貫通力は、老朽化した廃ビルの壁など豆腐に突き刺した箸のごとく貫く。三発の弾丸が齎したのは、人間の悲鳴が二つ重なった悪夢だった。恢には見えていた。敵様はコソコソと隠れてこちらを窺っているらしい。

 再度発砲。今度は屋上に数人。吸い込まれるように額へ、左胸へ、急所へと着弾する。黒いローブを纏った敵の姿に恢は眉を顰めた。ソフィアでもレイドでもライラでもない。新手なのか。そこまで敵は数を揃えているのか。撃ち尽くしたタウルス六八〇CPを投げ捨て、男はさらに脚を速める。人間を遥かに陵駕する速度は、まさに狼。

 眼前へと迫るのは、黒銀の槍。もはや、まるで追いついていなかった。恢の影さえ傷付けられず、穂先は空を切る。彼は、異能のだけで生き残ったわけではない。敵の攻撃を効率的に捌き、反撃する術を心得ている。

「――我が内に眠る魔神へと乞い願う。目の前の障害を撃ち払うだけの力を我に与えよ。リリスの祝福を、此処に証明する。咲き誇れ『女帝の闇宮リリス・ハート』!」

 恢は滅多なことでは銃召喚に詠唱を使わない。それだけの鍛錬を積み重ねたからだ。逆を言えば、詠唱を使い真の意味でリリスに願った時、力は爆発的に増大する。密度を濃くした紅蓮の火球が〝それ〟をずーるりと引き抜いた。

変態としか言い様がなかった。

 スタームルガー社の〝スタームルガー・スーパー・レッドホーク〟。高威力の四四マグナム弾を放つ破壊力重視の回転式拳銃だ。錆びに強いステンレスフレームが白銀にも似た輝きを孕んでいる。グリップは木材を黒いゴムで覆った特別製で、発射時の反動軽減率が高い。だが、もっとも目を引く特徴は銃身の長さだろう。

 平均値から見ればおおよそ二から六インチ、長くても八インチ程度が主流の現代で異様な十二インチ、約三百九ミリだ。その全長は、約四百四十五ミリ。四四マグナム弾よりも威力が高い五十AE弾のために設計された自動式拳銃・デザートイーグルが全長約二百七十三ミリである点から鑑みれば、どれだけ〝ふざけた全長〟なのか容易に理解可能だろう。

 銃のフレーム、ちょうど弾倉の上に当たる位置に大型のスコープが装着されていた。重量は合計で二千五百グラム。もともと、中距離のハンティング用に設計された銃器であり、命中精度が高く、扱いやすい。

 十二インチものロングバレル・カスタムなど、まず御目にかかれない。だが、恢の手が掴むだけで常識外れの拳銃は大剣が如き雄々しい威光を纏うのだ。

「それ、魔法の杖みたいね」

 気分でも紛らわせたいのか、目をグルグルさせたままレミリアが呟く。

 恢はゴムグリップで軽く肩を叩くような仕草をして、クルンと銃を構え直す。

「南瓜の馬車も作れない〝つまらない杖〟だけどな」

 だが、魔人の手を持ってレッドホークは風を得る。一切の障害を撃ち払う退魔の嵐を吹かすのだ。

「ちょ、ちょっと恢! 前、まえぇええええ!!」

 レミリアが悲鳴を上げる。恢は脚を止めない。眼前にはビルが迫る。このままでは無謀に激突するだけだった。少女が細い脚をジダバタと動かす。

「――制約解除。起動術式は『骸童子の蒐集義体ボーン・ユニバーサル・フレーム』。第二階位の解放を告げる」

 これまでは腕だけだった骨の関節。今度は両足の膝から下をズボンの上から覆う外骨格が形成される。ちょうど、西洋鎧のように。いや、この場合は地獄の軍鬼が纏う鎧の一部か。

 一気に地面を蹴る。外骨格が一個の巨大なバネ――疑似的な筋肉と化し、動きを制御、増幅する。恢の身体がほぼ垂直に数十メートルの高さを凌駕し、そのまま虚空で一回転して、危な気なくビルの屋上に着地した。『骸童子の蒐集義体ボーン・ユニバーサル・フレーム』は、ほぼ万能的に肉体の運動をサポートする。役目を終えた外骨格が消失する丁度、魔人が口を開いた。

「みーつけた」

 屋上で待機していたのは、ローブを纏う人間が十名以上。その近くには、傘立てのようにして投槍が円筒形の台に設置されていた。最初、両者には百メートル以上の距離があった。桁違いの人数差があった。それら全てを前にして、悪魔憑きは淡々と〝作業〟を続ける。レミリアを下ろす。誰もが蛇に睨まれた蛙のように動けない。少女だけが正直だった。全力で、両手で耳を塞ぐ。たった半秒の差が、ローブの連中から希望を拭い取った。轟音が大気を震わし、砕き、乱す。シリンダーギャップから漏れた発射ガスの余波だけで、恢の短い前髪が揺れる。十二インチのロングバレルを駆け抜けた弾丸を飾るのは、緋色と濃い橙色のマズルフラッシュ。

 凄まじい反動が腕に響く。両手で保持し、なおも銃身が上に弾かれる。そして、その分だけ威力は絶大だった。縦に一直線。ローブを纏う若い男の腹部を貫き、老いた女の喉元を抉り、体格が良い男の左胸に食らいつく。一気に三人分の命を刈り取ったのだ。ノーマルの四四口径弾丸でもグリズリー用と評されるのだ。発射薬を三倍にしたトリプル・チャージ。徹甲弾ともなれば、威力は突撃銃にさえ届く。

 音は、大気を構成する酸素や二酸化炭素、窒素の分子を忙しなく揺らす。たった一発で、状況は引っ繰り返る。これだけの距離だ。腕を大きく動かした槍を投げるよりも、撃鉄を起こして引き金を絞る方が圧倒的に速い。

 マズルフラッシュを豪快に突き抜ける。頭部に当たれば脳髄が頭蓋骨ごと爆ぜ、左胸に当たれば心臓を破裂させる。一発撃つたびに、レミリアがビクッと肩を震わす。子供の手で必死に耳を押さえても、これだけの轟音を完全に防げるわけがないからだ。

 とうとう、残りは三名となった。恢はスーパー・レッドホークを後方に投げ捨てる。レミリアが頭痛でも覚えたかのように頭を両手で押さえていた。

「ソフィア達はどこにいる? 大人しく答えて貰おうか」

 このまま雑魚を倒すだけでは効率が悪い。恢の脅しを前にして、ローブ連中は顔を見合わせる。予想外の出来事が起こったのは、数秒後だった。

 恢から見て、右端の若い男が身体をくの字に折った。そのまま胴体が一回、脊髄が千切れる。

 恢から見て、真ん中の老人が両目を沸騰させたように白濁に染めた。鮮血を口から垂れ流す。

 恢から見て、左端の女が四肢を曲がってはいけない方向に折り曲げた。地面へと転がりだす。

「「「                        アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア !!!」」」

 三人分の絶叫が重なった。まるで、ジャガイモが芽を出すように。蛆虫が死体を内側から食らうように。蜘蛛の赤子が膨れ上がるように。眼窩から、口内から、腹部から触手が伸びた。肉を貫き、切り開き、抉りながら数千数万の触手が現世へと顕現する。明らかに、三人の体積よりも多い。黒紫の管が互いに絡み付き、複雑に織られ、一個の形と成す。無数の触手が鰐か犬にも似た怪物の形を得た。青白い炎が二つ、双眸のように見開く。

「な、なんか。こういう化け物、映画で見たわ。呪う神様でしょう」

「こんなのが神様か。……人間を生贄にした悪魔の簡易召喚ってところか。随分と、面白いことを考え着くものだ。怒りしか沸いてこないよ」

 いくら、それが敵だろうとも、超えてはいけない一線があるだろう。あの雑魚が、自分達の末路を了承していたとは思えない。触手を纏う怪物、ではない。あれは、触手が形作った化物だ。人間の形など、どこにも残っていない。触手からは特殊な毒液でも分泌されているのだろうか。白い煙を上げてコンクリートの地面が悲鳴を上げている。

レミリアが身をくの字に折り、口元を両手で押さえる。

「俺の後ろに下がってろ。大丈夫。君には一ミリも近付けさせやしない」

恢は少女に手を伸ばせない。目の前の敵がこちらの正体に気が付いたからだ。獲物を寄こせと、肉を寄こせと、数本の触手が鞭のようにしなりながら彼らに襲い掛かった。当たれば骨を砕かれ、飛沫を上げる毒液に触れただけでも危険な二段構えの攻撃を前に、彼は真っ向から迎え撃つ。

 大気を切り裂いた発砲音は一つだけだった。だというのに、数本の触手が先端から、水全開のホースのように青白い体液を撒き散らし、地面に叩きつけられる。それは、彼が全くの同時に六発の弾丸を放ち、撃ち落とした事実に他ならない。

 瞬間的な複数発射。可能としたのは、最新式の拳銃ではなく――百年以上昔のアメリカ、激動の西部開拓時代に生まれた名銃。今もなお受け継がれる伝説、コルト・シングルアクション・アーミー。またの名を〝ピースメーカー〟。そして、五と半インチの銃身モデルに名付けられた二つ名は〝理想郷フロンティア〟。コルト社初の金属薬莢式の拳銃。全ての弾丸を吐き出した銃口からは、朦々と白い煙が零れている。それは速射――クイック・ドロウの絶技。早撃ちに命を賭けた者達が編み出した執念の到達点。右手が引き金を絞ったまま、左手の指を撃鉄に叩きつけることで弾丸を連射するのだ。一秒の半分、さらに半分、さらに半分。

 時間という概念さえ突破する。そこに異能の力は関係ない。この速射、そのものは、恢の実力だった。――そうして、彼は鉛と硝煙の世界で踊るのだ。

「足りないな。全く以って足りはしない。こんな雑魚に、俺が遅れをとるかよ」

 口の端を歪め、頬を引き攣らせるような笑みを浮かべ、恢は実力を行使する。触手がさらに殺到する。だが、届きはしないのだ。

「――我が内に眠る魔神へと乞い願う。目の前の障害を撃ち払うだけの力を我に与えよ。リリスの祝福を、此処に証明する。咲き誇れ『女帝の闇宮リリス・ハート』!」

恢の右手に、新しい回転式拳銃が次々と召喚される。それら全ては、一九〇〇年代よりも前に生まれ、自動式などという概念すら存在しなかった時代の英雄達。すなわち、コルト・ウォーカーモデル。コルト・ネービー。コルト・ドラグーン。アーミー・リボルバー。S&Wスコフィールド。レミントン・ニューモデル・アーミー。過去の名銃達が彼の手の中で命を吹き返す。銃声が一発鳴る度に、触手が十数纏めて破裂、粉砕、撃破されるのだ。まるで、見えない壁にでも阻まれているかのように、触手が、その一定範囲まで近付くと迎撃されてしまう。

 現代の拳銃では不可能なクイック・ドロウ。銃声の数と、穿たれた触手の数が全く合わない。まるで、飛翔した弾丸が分裂したかのように。『女帝の闇宮リリス・ハート』は、弾丸に退魔の力を与えるが、都合良く曲がったり、分裂したりするような効果を与えない。だから、この技は紛れもなく、彼の力だった。古き時代の英雄は一瞬にこそ、命を賭けた。彼は今、英雄達と同じ領域へと足を踏み入れている。〝ただの化け物〟が敵う道理などない。

 とうとう化け物が苦悶するように身を震わせる。恢はコートの内側から引き抜いた試験管を投げつける。中身が、聖水が化け物にかかり、一瞬動きが止まる。それだけで十分だった。

 紅蓮の火球が産み落とされ、新しい力が目を覚ます。

 薄暗い世界においてもなお、輝きを失わないステンレス製の大型回転式拳銃、タウルス・レイジングブル。ブラジルのタウルス社が開発した〝怒れる雄牛〟。四四マグナム弾の反動を軽減させるためにゴムグリップを採用している。八インチの銃身を含めた全長は三百二十ミリ。弾薬抜きでも重量は千七百グラムに届く。荒々しいフォルムは恢の体躯にピッタリと似合っていた。男の親指が撃鉄を起こす。

触手が瀑布と化して恢に襲い掛かった。ただし、迅雷の轟音が大気を砕く方が早い。

 四四マグナム弾――十五・六グラムの鉛弾に与えられた速度は秒速三百八十メートル。その物理的エネルギー、九ミリ・パラベラム弾の約二倍。レミリアは、まだ知らない。彼の能力である『女帝の闇宮リリス・ハート』で召喚される銃器の退魔能力は、弾丸が本来持つ物理的エネルギーに比例することを。緋色と濃い橙色の閃光が花開き、極点穿つのは猛威の弾丸。魔物の触手が纏めて吹っ飛び、そのまま胴体に突き刺さる。対グリズリー用の弾丸が退魔被甲されたのだ。効果は推して知るべしだろう。

 あれだけの巨体が後方へと数歩吹き飛ばされる。そのままバランスを失った魔物へと、恢は片手一本で次々と弾丸を放った。今度は頭部部分を狙って立て続けに五発。朦々と硝煙が上がり、銃声が鳴る度にレミリアは両肩を震わした。そして、彼は未練一つなさそうに、タウルス・レイジングブルを地面に投げ捨てる。頑丈なステンレスが脆い硝子へと変化し、砕け散って消滅してしまう。凶悪な魔物が、抵抗一つ許されずに討伐される。

 恢は振り返り、首に右手を当ててゴキリと小気味良い音を鳴らした。

「ったく、今回も面倒臭い事件らしいな」

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