第四章 ①


「――制約解除。起動術式は『真緑姫の揺り籠ドライアド・クレイドル』。第五階位の解放を告げる」

 少女を胸の内に抱き寄せた恢の髪が変化する。爆発的に伸長、増加、色を変えるのだ。瞬く間に織り上げられた真緑の檻へと殺到するのは、黒銀の投槍。常勝無敗を誇った古代のローマ兵達の技を模倣したが如く、雨となって無数の穂先が彼らを狙い撃つ。

 槍が緑の檻に弾かれる。硬質的な音を立てて火花を散らす。現代の大型戦車から放たれた主力砲さえ防ぎ切るはずの『真緑姫の揺り籠ドライアド・クレイドル』。だが、恢は背筋に蛇でも這ったかのような悪寒を覚えた。身体を強張らせたレミリアを抱きかかえ、全力で一歩後ろへと跳ぶ。瞬間、防御殻の一部がごっそりと削られたのだ。はっきりと見えた。投槍の正体は『魔女の道具』だ。それも、尋常ならざる量の〝聖的加護〟が注ぎ込まれている。

 古来、魔女と悪魔は密接な関係にあった。しかし、それはなにも友効的な繋がりだけではない。同盟には存在するのだ。悪魔憑きや魔人を討伐する魔女達の集団が。コストとリスクを度外視すれば、たった一体の悪魔憑きを倒すことさえ、難しくはない。二日、三日で済ませる光景ではない。五年か、十年か。掠めれば手足が吹っ飛ぶ猛毒の雨を前に、恢は歯噛みする。どうやら、敵は今度こそ本気でこちらを潰すらしい。ようやく、心臓の鼓動が加速を終える。ここからは良く見知った世界――死と硝煙が渦巻く闘争の世界だった。

「ちょっと窮屈だと思うけど、我慢してくれ。後、耳は塞いだ方がいいな」

「だったら、さっきの雑貨店で耳栓でも買うべきだったかしら」

 脚を折り、身体を丸めるレミリア。まるで、寒さに震える子猫か。一刻も早く、元の世界に返さなければならない。恢は片手で少女を抱き留めたまま、全力で駆け出す。公園を出て、少女がまず違和感に気が付いた。

「恢、なんだか変だわ。街って、こんなに静かだったの?」

 繁華街と住宅街の中間に位置する細い通りの前後左右を眺めても、人影が一つもない。いや、気配だけならあった。こちらへと殺意を向ける剣呑な気配が。恢はかつて、レミィから教えてくれた言葉を思い出す。人避け、意識干渉、簡易結界。適さない人間だけを、一定の空間から遠ざける術式。『理由は分からないけど、此処から離れよう』『あの場所には近付かないようにしよう。どうしてだかは分からないけれど』。人の無意識に作用し、現代社会という枠組みの中に故意の〝死角〟を生み出すのだ。街の一部か。それとも、街全域か。とうに、二人は異界へと脚を踏み入れていた。

 何が起こっても沈黙する。たとえ、誰が死んだとしても。

「とうとう、敵様は本気で来たみたいだな。ここまでする程、レミリアちゃんには価値があるんだろうよ」

「高く買って貰うのは、悪くない気分だわ。って言いたいところだけど、本人の意思を無視されちゃあ、大問題ね。恢、分かってるわよね。ちゃんと、護りなさいよ。じゃないと、今日の夕飯は誰が作るのかしらね」

 か弱い命の重さが、そこにあった。恢は微苦笑を零し、レミリアの言葉を何度も胸の内で反芻する。戦場では常に冷酷だった男が、その瞬間だけは優しかったのだ。あるいは、甘かった。

「ああ、約束する。俺が、レミリアちゃんを必ず護るよ」


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