第三章 ③
そして、翌日。時刻は午前十時。ちょうど、日曜日である。繁華街にある駅前の噴水は大勢の人々で賑わっていた。若者、とくにカップルが多い。むしろ、ほぼ恋人同士の山だった。いつもの恢なら、噎せ返るような甘ったるい匂い(幻)に息を詰まらせるのを避けるため、逃げるようにその場を去る。しかし、今日だけは違った。独りではないからだ。
「やっぱり、日曜日は街に出かける人達が多いわねー。それとも、夏休みってやつの影響かしら?」
恢の隣を陣取るのは、幼き淑女・レミリアである。近くを通り過ぎる誰もが彼女へと注視していた。フリルをあしらったワンピースは、胸元からスカートの先まで、グラデーションをかけるように赤から白に変化する。それは、カットされた甘いストロベリーのカラーリングだった。踵が高いサンダルを履き、髪は頭の後ろで一本に纏めたポニーテール。少女としての活発さと、乙女としての美しさが絶妙な加減で際立っている。
朝から見ているはずなのに言葉を失っている恢へと、レミリアが首を傾げたのだ。
「どうしたの、恢。まさか、煙草が吸えないからって、頭が麻痺しちゃったの? それ、ニコチン中毒よ、中毒」
日頃、薄暗い世界で戦っている男にとって、それはあまりにも魅力的だった。直視する勇気がなくて、視線が逸れてしまう。
「平気だよ。俺も、うん。そんな頻繁に吸ってるわけじゃないぞ。今日はちゃんと朝にニコチンを補充したから二時間はもつと思う。だから――」
「――こっちを見なさい。それとも、明後日の方向には私よりも優先したい物があるのかしら?」
袖口を引っ張られ、強制的に視線を固定されてしまう恢。レミリアが不服そうに目尻を吊り上げる。
「い、いや、そういうわけじゃなくて」
「だったら、目を合わせなさい。それはとても失礼なことだわ。分かるかしら、恢?」
有無を言わせない威圧に、恢は黙って首を上下させる。すると、レミリアが片目を閉じて頷き、手を放してくれる。そして、頬を人差し指で掻いたのだった。
「それで、コースは決まっているのかしら? まさか、なにも考えていないなんてありませんよねー、恢」
がつんと頭を殴られたかのような衝撃が恢を襲った。そう、なにも考えていなかった。女性が喜びそうなデートコースがまるで思いつかない。服屋? 雑貨店? ゲームセンター? 予測がないわけじゃない。それでも、順番というものがあるだろう。自分の価値観で決めていいのか? 胃の働きを促す前菜より先に肉と魚のメインを出したら滅茶苦茶になるだろう。これはつまり〝そういうこと〟なのだ。少女を一人の女性として楽しませる最高のデートコースを計算し、構築しなければならない。
(いや、待て待て。これはそもそも、デートじゃない。だから、そこまで深く考える必要はないんじゃないでしょうか? けど、普通の女の子って、どうすれば喜ぶんだ?)
恢が悩んでいると、レミリアが呆れたように嘆息を、そして微苦笑を零したのだった。
「私が行きたい場所に、恢がついて行く。それで、構わないでしょう? ふふふ。あなたって人は、難しいことは出来るのに、簡単なことは出来ないのね。まあ、恢らしいと言えば、恢らしいけど。それにしても、随分と暑そうな格好ね」
唐突に服装を指摘され、恢は林檎の塊を丸飲みしてしまったような表情になる。今日も太陽は元気一杯で、周囲の人々は照らし合わせたように薄着である。紫外線を嫌って、重装甲を纏う淑女もいるにはいるものの、彼のように真っ黒い上着を纏い――その内側にナイフや聖水を揃えている者は誰もいなかった。それが、彼の最大限の譲歩だったからだ。
恢がぎこちなく笑うとレミリアはどこか寂しそうに目を細めた。そして、今日一番の大きな声で言ったのだ。
「じゃあ、今日は沢山遊びましょう。……と、その前に」
レミリアが若干、照れくさそうに、不安そうに、口元だけの笑みを浮かべる。
「今日の服、どうかしら? 何か、感想はない?」
「あー、その、えーっと、すっごく、似合ってる。可愛いよ」
「……それだけ? 恢って、本当に仕事以外になるとボキャブラリーが低下するわよね」
苦い指摘をされ、恢はますます済まなそうに背中を丸めてしまう。そんな様子が面白いのか、レミリアがクスクスと笑うのだ。
「まあ、いいわ。飾らない言葉の方が、よく伝わる時もあるもの。その分、ちゃんと私をレディとして扱うこと。良いわね? 今日の私と恢は〝対等〟じゃなければいけないの」
それが、子供の精一杯の背伸びだと気が付けないほど、そこまで恢は鈍くない。だから、一切の迷いなく頷いた。
「うん。今日はよろしくな、レミリアちゃん」
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