第三章 ◆


 身体中が焼けつくような痛みに、ソフィアが悶え苦しんでいた。ベッドの上から転がり落ち、真っ暗な中で天地さえ知らずに四肢を折り曲げ、振り回す。

「ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 壁や床に身体を打ち付け、なおも暴れる。身体を構成する細胞の一つ一つに猛毒のヒ素でも注入されたように。血走った目をこれ以上とないぐらいに見開き、涎を撒き散らし、喉が張り裂けんばかりに叫ぶのだ。腹部で、何かが蠢いていた。グチャグチャとグチュグチュと。まるで、皮膚の一枚下に無数の蛆や蛇が蠢いているかのように。

「ああ、いや、ごめんなさい。たすけて、お父さん、いやあ、ごめんなさいタスケテごめんなさいタスケテたうけっけこふぇおmふぇjふぉfjふゅvlんvsぶvkvllvlw;;うぇfm;えfl;m;mv;sl;vん;んv;んlkんvlkんslvんうぇえここごごご」

 急に部屋の明かりがついた。ソフィアの傍に駆け寄ったのは、二人分の影。隣の部屋で待機していたはずのレイドとライラだった。

「また、反動か。ちっ。これだから禁術は面倒なんだ。おい、レイド。とっとと済ませるぞ」

 ライラがテーブルに置かれていた純銀の短剣を手に取った。レイドが神妙な顔付きで頷く。

「おい、小娘。少しばかり痛いが、我慢しろ」

 言うやいなや、ライラが短剣を逆手に持ち替えた。そして、一気に振り下ろす。ソフィアの喉元へと目掛けた。どんな奇跡も起こらずに、純銀の刃が喉奥へと押し込まれる。

「いぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎあががやぎゃぎゃがやぎゃぎゃががやぎゃぎゃ!?!?」

 口腔の奥から血が噴き出す。なおも四肢は振り回され、レイドとライラが二人がかりでソフィアを拘束する。魔術による鋼鉄の鎖が何重にも覆うのだ。五分か、十分か。か細い声が鎖の隙間から聞こえる。

「もう、いいよ」

 鋼鉄の鎖が飴細工のように砕け散り、大気に溶けるように消えてしまう。

 上半身を起こしたソフィアの身体には、傷一つなかった。ライラは床に落ちた短剣に視線を落とし、肝を冷やす。何重にも清め鍛えた〝聖なる刃〟が、王水にでも浸かったかのように融解していたのだ。いったい、この小さな身体のどこに、それだけの毒を秘めているのだろうか。

 胸の閊えでも取れたかのように、ソフィアが晴れ晴れと表情を喜びで染めていた。途方もない狂気が見え隠れしている様に、ライラは隠そうともせずに顔を顰めるのだった。

「やはり、もう限界か。よく保った方だとも言えるだろう。元々が有り得ない事態だったんだ」

「少し、薬の量を増やしましょうか。儀式が近いのなら、多少のリスクも考慮しないと」

 レイドがソフィアの身体を眺めながら、あれこれと吟味する。少女は、口をへの字にして不満を表した。

「苦い御薬ってきらーい」

「駄目ですよ。ちゃんと飲まないと、身体が持ちません。その結果が〝今〟なのですよ?」

 忠告に対し、ソフィアは不服そうである。レイドがやれやれと嘆息し、眼鏡の位置を直した。

「滞りなく、儀式の用意は出来ています。後は、レミリアを奪還するだけですよ。だから、我慢してください。……貴女の、父親のためにも」

 すると、ソフィアの表情がぱーっと輝いたのだ。ライラが、苦い物でも飲み込んでしまったかのように頬を引き攣らせる。

「じゃあ、僕達は自分の部屋に戻ります。ちゃんと、良い子にしているんですよ?」

 そうして、二人は廊下へと出た。元の部屋に戻るまで、誰も口を開こうとしない。

「どう思う? レイド」

「かなり、厳しいですね」

 ライラがベッドに腰掛け、レイドが椅子に座る。薄暗い室内で二人、表情を険しくしたまま言葉を交わすのだ。

「このままでは、ソフィアという存在そのものが消滅するでしょう。時間的余裕はもうあまり残っていない」

「ならば、ますます失敗するわけにはいかなくなったということか」

 胸の前で両腕を組み、ライラがやれやれとばかりに嘆息を零す。『魔女の道具』もタダではない。ストックも限られている。あの短剣一本で、低級の悪魔憑きなら一撃で仕留められるだろう。それだけの価値があったのだ。暑苦しいから食べるアイスキャンディー感覚で消費など出来るものではない。それゆえに、失敗するわけにはいかないのだ。

「ともかく、今日はもう休みましょう。朝からずっと作業を続けていたのですから。本隊の方は、明日にでも到着します。大丈夫。何も、支障はありませんよ」

「……そうだと、いいのだけどな」

 不安は残る。凍りつき、棘となり、喉奥に刺さったままだ。ライラは今すぐにでも逃げたい気持ちで一杯だった。そうしないのは、レイドはまだ〝戦っている〟からだ。

「……苦労をかけて申し訳ありません、ライラ」

「やめろ、阿呆。私は、貴様から謝罪が欲しいわけではない。そんなことのために、ここにいるわけではない。それだけは、間違えるな。だから、レイド。貴様は好きなように選べ」

 レイドの願いをライラは知っている。知っているからこそ、傍にいる。同情も謝罪もいらない。惚れた男のために命を賭けて、何が悪い?

「ふん。とっとと、寝るぞ」

 話はこれっきりだと、ライラがベッドに寝転がる。すると、レイドが掠れるような声で言ったのだ。

「ありがとう、ライラ」

 今は、それだけで十分だった。


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