第三章 ①
ようやく日光がピークを過ぎてくれた午後四時頃。バー『蒼い鳥』のカウンターで、恢とレミリアは並んで珈琲を飲んでいた。夕ご飯の買い出しのついでに立ち寄った次第である。
「やっぱり、レミリアちゃんは砂糖とミルクがないと飲めないんだな」
「あら、恢みたいにドロドロの泥みたいな苦い物を飲むのもどうかと思うわ」
「……あんた達、短い間に随分と仲良くなったわねー。まるで、本当の兄妹みたい」
レミィのやや呆れたような感想に、恢は黙って珈琲を啜った。馬鹿みたいな苦味の濃度だからこそ、色々な不満を纏めて飲み込めるのだ。それが男だと、なんとなく見栄を張る。一方で、レミリアは砂糖とミルクたっぷりのカフェオレだ。歳相応。それでも、ちょっぴりな苦味で背伸びをしたい年頃なのだろう。
「レミリアちゃん。恢はどう? 我儘言わない? ちゃんと貴女の言うこと聞く?」
「はっきり言って雑ね。脱いだ靴下は丸めたままにするし、ビールは零すし、歯磨きなんて口元をベッタベッタにするのよ。もう、大きな子供を相手にしているみたいだわ」
「あれ、おかしいな。俺の評価が日を追うごとに下がっているような気がするんだけど?」
小さな淑女であるレミリアがわざとらしく、ぷいっと唇を尖らせてそっぽを向く。そんな様子が面白いのか、レミィが露骨に意地悪そうな笑みを浮かべるのだ。恢は全部事実なだけに上手い言い訳など浮かばず、また黙って珈琲を啜る。一分前よりも苦く感じるのは気のせいだと信じたい。
ただ、それも悪くないと想う自分がいたのも、また事実。レミリアと過ごす穏やかな時間が、彼の心を癒していたのだ。だから、レミィが告げた言葉に、胸がざわついた。いつもなら、有り得ない動揺だった。
「……あれ、完成したわよ」
表情が強張った。恢の顔に一瞬、険しさが戻った。男の微かな変化に気付いたのか、レミリアが首を傾げる。白のブラウスと青色のプリーツスカートを纏う少女の姿が、彼の心が崩れるのを防いだ。
「えーっと、すまん、レミリアちゃん。ちょっと〝大人の話〟がしたいから、席を外してくれると助かるんだけど」
「まあ、露骨ね。そんなに、私に隠し事がしたいのかしら?」
澄まし顔でチクチクと針を刺すようなレミリアの態度。どうしてだろう。この子に全く頭が上がらない。情けない男を見て、レミィが助け舟を出してくれた。
すると、レミリアが素直に席を外す。コップを持つのも忘れない。恢の背中を人差し指でツンツンと突いたのは、ささやかな抵抗か。『じゃあ、二階で待ってるわ。なるべく早くね』と階段を上がって行ったのだ。彼女の姿が完全に見えなくなったのを確認し、大人二人は顔を見合わせる。
「あなたね。もうちょっと、段階ってものがあるでしょうが。あんな言い方だと『子供は邪魔だからどっか行け』ってしか聞こえないわよ? それで、怒ることなく素直に退いたんだから、レミリアちゃんの方がよっぽど大人ね。……何か、随分と焦っているみたいじゃないの」
「焦りたくもなるさ。正直、ここまで手詰まりが続くとは思わなかったからな」
今日で、レミリアと出会って一週間が経過しようとしている。敵からのアクションはなく、未だに進展がない。焦燥感は隠しきれないのだ。そして、恢以上に疲弊しているのは間違いなく少女の方なのだ。一刻も早く、何とかしなければいけない。自然と、男の手がアークロイヤルに伸びた。紫煙と珈琲は良く合うからだ。
「煙草もろくに吸えないような生活はこたえるでしょうね」
「なーに。たまには健康に気遣うのも悪くはないだろうさ」
「これまでのあなたなら、絶対に言わない台詞でしょうね」
何か珍しいモノでも見るようにレミィが目を細める。恢はゆっくりと煙草を吸いつつ、バニラフレーバーと珈琲の芳しさが混ざる心地良さに頬を緩める。
そして、御互いに〝正しい感覚〟を思い出したのだ。
「リフレッシュは済んだよ。あんまり、レミリアちゃんを待たせるのも悪いからな」
「じゃあ、本題に入りましょうか。まったく、作るのに苦労したわ。恢ったら注文付け過ぎ」
そうして、レミィはカウンターの隅に置いてあったアタッシュケースを恢の前に置いた。彼は半分も吸っていない煙草を硝子製の灰皿に押し付ける。紫煙を吸いながら片付けて良い用件ではないからだ。ケースは一般人でも金があれば簡単に入手可能な品だ。だが、彼は息を飲んだ。まだ開けてすらいないのに、すでに重苦しい感覚に襲われていたのだ。
恢は恐る恐るケースを開ける。ウレタンの緩衝材と共に入っていた〝それ〟を掴み取り、感嘆の溜息を零してしまうのだ。革製のホルスターから解き放ち、真の姿が顕現する。
それはカテゴライズするのならば、剣だった。緩やかな円弧を描く刀身は肉厚で、凶悪な猛獣の爪を想起させる。血溝が深く彫られた刃渡りは三十センチ強、全長は五十センチ程度か。その重みはまさしく、標的を倒すために開発された武器の剣呑さでもあった。
柄は木製で焦げ茶色である。彼の手にピッタリ合うように設計されていた。恢は軽く振って感触を確かめる。新しい玩具を貰って喜ぶ子供のように笑みを浮かべる彼を見たレミィは、微苦笑を浮かべて肩を竦めたのだった。
「言われた通りに強化の術式を七重にかけたわ。これなら、上位悪魔が相手だろうと刃毀れしないでしょうね」
魔女――異能を学問として発展させた者達が扱う魔術。その中でも高等技法に数えられるのが〝術式付与〟だ。物質に様々な〝特性〟を与えることで、本来ならこの世に存在してはいけない存在に対し、絶大な効果を誇る。並みの魔女なら、一つの道具に一つの特製を与えるだけで精一杯だろう。一つの武器に七つも重ねて刻むなど、尋常ならざる大技である。
「ここまで術式付与された武器を作れるのは、世界でも二十人といないだろうな」
レミィは〝魔女〟である。それも、一定の組織にも結社にも属さないフリーの魔術使い。こちらも、彼女がもつ〝別の顔〟なのだ。どうやら、バーの地下に彼女の工房があるらしい。秘匿性を重視しているのか、頼んでも入らせてくれない。プライベートな部屋なのだ。
「どうもありがとう。けれど、貴方に武器なんて必要なの? わざわざ用意しなくても悪魔憑きには『
「確かに、俺が使う『
彼の『
「この短剣って、何か名前が付いているのか? 確か、魔術っていうのは、物に明確な名前を付けるのを厳守しているんだろう。日本だと、言霊って信仰だったかな。物は名前を与えられて、初めて自分の役割を全うする。昔、教えてくれたよな」
アタッシュケースを片付けていたレミィがくるっと、こちらに背中を向けてしまう。重苦しい沈黙が、暫くの間続いた。もしかすると何か、不味いことを言ってしまったのだろうか。恢が怯えていると、女はぽつりと呟いた。
「……『火竜小唄』。それが、その子の名前」
自分で造り、鍛え、名付けた武器を〝その子〟と評するレミィ。つい噴き出してしまうと、振り返った彼女から、鋭い視線で睨みつけられた。
「代金、三倍増しにしてもいいのよ?」
恢は、すぐに『ごめんなさい』と謝った。彼が情けない男だからではない。代金を吊り上げられると、二週間は水だけで過ごさなければならなくなるからだ。レミィが座ったまま頭を下げた彼の後頭部へ『よろしい』と許しの言葉を落としてくれる。
「それと、こっちは事件に関する〝回答〟のコピーよ。失くさないように注意すること」
A四サイズの紙が十枚ほどの束になってクリップに留められた物を、レミィが恢に押し付ける。男は軽く視線を走らせ、トレンチコートのポケットに無理矢理、押し込んでしまった。その表情は、少しだけ強張っている。
「『
レミィの伝手を辿り、同盟に今回の事件へ協力要請を出していたのだ。結果は不可。それも、無駄に言葉を並べ『あくまでこっちは協力したいけど、立場上ちょっと難しいから頑張って。いやー、残念だな。本当はすっごく協力したいんだけど』と、恢から言わせれば『一回死ね』と訴えたくなるような無能のバーゲンセール状態である。
「私が〝居た〟頃と、何も変わってないわ。むしろ、悪化しているわね。このままじゃあ、十年以内に大きな争いが起きるわ。賭けたっていい。何を守るべきなのか忘れているのよ」
義憤の炎を目の奥で光らせる彼女の様子は真っ直ぐで眩しい。それが自分の役目だと理解していても、すでに犠牲者の安否よりも標的の殲滅ばかりを考えている自分が恥ずかしくなった。恢はアークロイヤルの角が立たない丸みのある煙を吸い込みながら、返事をした。
「仕方ねえさ。あっちはあっちで面子がある。……たとえそれが、肥えた豚の糞だとしてもだ。ともかく、俺達が事件を解決すれば、それで〝こともなし〟。だろう?」
「あーら。俺〝達〟なんて言っちゃうの? 昔の恢なら、信じられない台詞ね。出会った頃なんて、ただの世の中に拗ねた糞餓鬼だったし。男の子って成長するのね」
こちらを小馬鹿にするレミィ。裏世界のイロハを教えてくれたのは彼女だけに、恢は強い言葉で言い返せない。男は黙って紫煙を吹かす。事実上の、敗北宣言だった。
「俺だって、成長するよ。いつまでも、ガキのままじゃいられないからな」
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