第二章 ◆


 残された二人は、恢の気配が完全に去ったのを確認してから、その場に尻餅をついたのだ。ライラもレイドも、足をガクガクと震わせていた。極度の緊張が筋肉を麻痺させたのだ。

「あれは、なんだ。機関のデータにも、あんな馬鹿げた〝現象〟など、記録されていなかったぞ。おい、レイド。私達は何と会った? 恢か? リリスか? それとも、化け物か?」

「……はっきりとは言えませんが、高位の悪魔は眷属を飼っています。従順な兵士を束ねている。けれど、悪魔の召喚とは元々、この世界では禁止されています。ゆえに、魔女は道具や自分自身を〝媒介〟にして力を行使する。悪魔憑きも、人間という器がなければ悪魔の力を使えないわけでしょう? ならば、ならばですよ、あれは純粋なリリスの力なのかもしれません」

 顔を青褪めさせたレイドの仮説に、ライラは顔を顰める。もしも、それが本当ならば、被害は自分達だけでは足りなかっただろう。下手をすれば、日高市そのものが消滅する危険性さえあった。ただ、女は不可解とばかりに首を捻る。

「神凪恢が、ちょっとした怒りで力を暴走させるほど危険ならば、機関も放置はしていないだろう。すると、レイドの言葉は、余程にあの男の逆鱗を刺激したのだろうな。レミリアと初めて出会って二日。そこまでの、情を抱いたと言うのか?」

 レイドとライラは顔を見合わせ、知ってはいけないことを知ってしまったとばかりに、口を半開きにした。

「レイド。間違いない。あの男は、ロリコンだ」

「いや、ちょっと待ってくださいライラ。え? いや、それは違うでしょう。いくらなんでも、それはあんまりでしょう」

「しかしだ、大の男が初めて出会ったばかりの少女のために、我を忘れかけるほど怒るものか? 絶対にアイツはロリコンだ。レミリアのように愛らしい少女となれば、劣情を抱く男がいてもおかしくない。閃いたぞ。『幼女を監禁している男がいます』と警察に電話をするんだ」

「国家権力を待ちこまないでください! それに、あっちだって機関にコネがあります。政府関係は干渉出来ませんよ」

「そんなことを言っている場合か? レミリアを護って、恢はどんな報酬が貰える? 金でも名誉でも地位でもなければなんだ? もう、レミリアの身体しかないぞ。少女の身体のために命をかける男だぞ、アイツは」

「――だから、ちょっと待ってくださいって言ってるでしょうが!!」

 レイドの大声に、ライラが言葉を喉奥へ引っ込める。男は眼鏡の位置を直しつつ、ぜーぜーと肩で息をするほど興奮していた。戦慄いた唇が大人しくなるまで三十秒も要した。

「言い過ぎです」

「す、すまん」

 素直に、ライラが謝った。そして、レイドは立ち上がる。こんな所で怠惰を享受する暇などないからだ。今日の衝突には、大きな意味があった。収穫が、何もないわけではなかったのだ。

「恢は、余程にレミリアの身を案じているのでしょう。そこまで大切に想っているのならば、そこに付け入る隙がある。光明が見出せましたよ、ライラ。ようやく、僕達は戦いの舞台に立てるだけの資格を得た。後は、淡々と着々と準備を続ければ〝こともなし〟です」

「ならば、無駄ではなかったというわけか。ふむ。怖いモノを見た甲斐はあったというわけか」

 手札を得た。たった一枚で、全ての盤面を引っ繰り返す鬼札だ。ライラとレイドは顔を見合わせ、どちらともなく笑う。

「さーて、そろそろ帰りましょうか。ついでに、お昼も済ませましょう。何か、希望はありますか? この街、観光業に力を注いでいるみたいで、食事が美味しい店が多いんですよ」

「そうなると、迷うな。今日は暑いし、冷たくも何かボリュームがあるものがいいのだが」

「じゃあ、冷やし坦々麺なんてどうでしょう? 肉味噌がたっぷりでスタミナもつきますし」

 先程までの血生臭い空気など、どこにもなかった。二人の後ろ姿は楽しそうで、幸福で。だからこそ、眩しくて脆かった。

 ――誰が傷付けば、この戦いは終わるのだろうか?


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