第二章 ③


 世界が色を変えた。轟々と、煌々と、明々と。恢の周囲で紅蓮の火球が咲き乱れる。顔を伸ばすのは銃口の乱舞。一個大隊にも勝る火力が一斉に解き放たれようとしていた。

 レイドとライラが動く。ゴミ山の中に仕込んでいただろう《魔女の道具》が発動する。鋼鉄の鎖が無数に射出され、恢を拘束したのだ。どんな銃器だろうと、引き金を絞って貰えなければ弾は撃てない。二人の判断は半分正解で、半分間違っていた。銃器はあくまで、彼だけの怒りだった。だから、彼の怒りに呼応して〝起きて〟しまった〝彼女〟の怒りは止められない。

「オ前タチ、此処カラ、生キテ帰レルと思ウナヨ」

 突如、恢の足元から汚泥が溢れ出した。急速に沸騰するように泡立ち、内側から〝それ〟が伸びた。あるいは、縮んだ。爆発的に棘が伸び、花が咲き、雷鳴は海に落ちて炎は風の向こう側で砂糖の鎧は鋼の時が刻む。長く太い短く細い首を十重二十重に伸ばし、単一に伸ばし、全身から黄金の炎を噴き出し、剣を構え、銃を構え、弓を引き、拳を握り、爪を鍛え、牙を凍らせる、ただ冷たく微笑みを謳いながら空に食欲を振り撒く猛烈に巨大で馬鹿馬鹿しくて鮮烈で歓喜で、凶悪で、凶暴で、台風で、鋼鉄で、猛毒で、幸福で、不幸で、大地の加護を見下し、天空の間隙に喜ぶ、白銀の大海さえ飲み干して真理の欠片を掬い取り、全身が鱗に覆われた綿雲のような烈火をそこら辺に散りばめる星屑のような雷鳴は遠くに落ちて岩宿の竜は蝶の夢を視るために雨を殺すような霧の深さを嘆く〝何か〟へと甘く囁いた。ざあざあと重力は不幸の嵐に鍛えられ、神の御手は獲物を捉える。旗は降ろされる剣は投げられる斧は砕け、銃声は全てを包み込み、梟は地面に埋まった宝石が腐り果てるのをただただ見詰める。産声が、胎動が、堕胎が全くの同時に始まり、終わり、ぐわんぐわんと未来は揺れる。私はどこに行くのだろう? 溢れ出す。溢れ出す。溢れ出す。今、何かが過去の鉄槌を拾い直す――?

 人間では理解不能な〝よく分からない何か〟が〝よく分からない方法〟で〝よく分からない風〟に召喚される。

 今度はレイドがライラのために動いた。女を押し倒すように彼女の視界を封じたのだ。だが、それは無防備になる悪手。恢と〝それら〟が動き出して、静寂。


 ――脳裏に浮かんだ〝彼女〟の横顔に、愛らしい〝少女〟の姿が重なったのだ。


 ふっと、全てが〝嘘〟になった。何もかもが消え果てる。初めから、夢だったように。いつの間にか鎖は消えてなくなり、恢は大の字になって背中から倒れていた。御互いに空を見上げて、誰も喋れない。

 ややあって、恢が口を開いた。酷く疲弊し、掠れた声だった。

「今日は、もう帰るよ」

 ふらふらと立ち上がり、敵を一瞥もせずに恢は帰った。脚が鉛のように重く、その双眸からは精気の色がまるでない。

 殺すなら、絶好のチャンスだっただろう。立ち上がったレイドとライラは、恐ろしいモノでも見るような目で、恢の背中を眺めるだけだった。まるで、化け物が去るのを祈っているかのように。


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