第二章 ①


 一日振りにアークロイヤルへと火を着けた男の左腕が肩口から両断されて宙に吹っ飛んだ。煙草を口に咥えた後だったから助かったと、恢は肺一杯にバニラフレーバーの紫煙を吸い込んだ。パズルでも組み立てるかのように骨格が組み立てられ、神経と血管が絡み付き、肉が盛り上がる。『肉体の再構築オート・メンテナンス』による強制的な自己再生だ。新しい五指が花開き、対照的に地面へと落ちた古い腕は沸騰でもするかのように白い煙を上げながら消失する。

 新しい左腕の関節を好き勝手に鳴らし、乾いた余韻に煙草を重ねるように煙を吐いたのだ。

 恢はそれを〝見た〟。そして、もう終わったのだ。右手にはすでに、拳銃が握られていた。銃口から、か細い硝煙が零れている。まるで、もう撃った後のように。

 悪魔憑きの戦いは合理的であり〝非人道的〟だ。ただの人間は腕一本と弾丸一発を交換しようとしない。しかし、彼らには『肉体の再構築オート・メンテナンス』がある。つまり、同士討ちの価値さえ平等ではない。

「悪いな。ちょっとばかし、高い買い物になっただろう。俺の奢りだから遠慮するなよ」

 街外れにある廃品置き場。リサイクル業者以外は滅多に訪れず、ホームレスも不良も近寄ろうとしない。時刻は午後一時過ぎ。真夏の日光に打たれたゴミの山が外部からの視線を防ぎ、そこは異界と化した。化け物が住まう世界を異界と評すならば、彼を中心とした半径二千四百メートル範囲は〝異形の世界〟だった。

 砂利の地面に横たわるのは、細身の人影だった。季節外れの真っ赤なコートを纏う妙齢の女性である。ウェーブがかかった髪は腰まで伸び、肌は病的なまでに白い。双眸はこれ以上ないぐらいに開き、ギョロギョロと何かを探すかのように蠢いている。突如、バネ仕掛けの玩具のように勢い良く不自然な動作で立ち上がった。忙しなく動いていた双眸がピタリと止まり、恢を睨みつける。牙のように鋭く伸びた歯に粘度の濃い唾液を絡ませながら〝それ〟は語る。

「何故ダ。何故、邪魔をスルのダ〝同胞〟ヨ!? 何故ダ! 何故ダ! 何故ダ!」

 女は――腹部に赤子が潜り込めるだけの大穴を開けたまま、化け物は叫ぶ。血の泡を飛ばしながら、恢へと増悪と怒りの矛先を向けるのだ。

 悪魔憑き。それはなにも、恢のように理性が〝ちゃんとある〟わけではない。むしろ、目の前の女のように、悪魔に意識を乗っ取られるのが大半だ。そして、それらは全て〝討伐〟しなければいけない。

 恢は右手に持っている回転式拳銃の撃鉄を起こした。S&WのM19〝コンバット・マグナム〟である。ただし、このタイプのサイズに利用される〝Kフレーム〟では三五七マグナム弾の反動に耐えきれず、何度も使用するとフレームが歪んでしまう。ゆえに、弾薬に装填されているのは同口径の三八スペシャル弾だった。

 銃身四インチのモデル。全長約二百四十一ミリ、重量約千三十グラム。三五七マグナム弾と比べ威力は三割にも満たない三八スペシャル弾だが、低級の悪魔憑きを倒すには十分過ぎる。

「一緒にするな。俺は、人間を食ったりなんてしねーし、罪のない人間を快楽で殺したりしない。……手前は、その足元に転がっている〝誰か〟に、何か言うべきじゃねーのかよ」

 女の足元にはブヨブヨとした黄色い脂肪の塊が無数に転がっていた。内臓の欠片が散らばっていた。骨の欠片が無数に落ちていた。人間数人分の〝食べ残し〟が落ちていた。この悪魔憑きは、言葉巧みに男達をかどわかし、ここで食事をしたのだ。もう二度と家に帰れない者達の死骸は、ここで蛆虫に食われて消える。だから彼は、これ以上の犠牲を出さないために女を消さなければいけない。掃討屋の義務を果たすために、M19でしっかり狙うのだ。

 女の右手が微かに動いた瞬間、お返しとばかりに今度は女の右腕が肩口から吹っ飛んだ。まるで、見えない猛獣に食い付かれたかのように。悲鳴を上げる悪魔憑きへと、恢は忠告する。

「もう、終わりだよ。お前の動きは俺にとっちゃ遅い。異能を使う前に、こっちが引き金を絞る方が断然、速いんだ。……頼むから、綺麗なまま死んでくれ。人間を、粗末に扱うな」

 悪魔憑きの〝症状〟には段階がある。意識を乗っ取られ、欲望のままに暴れる一段階。人間には不可能な異能を使う二段階。そして、三段階目――女の頭が地面に落ちた。首は繋がったままだった。首がホースのように伸びたのだ。今度は腕が伸びた。脚が伸びた。皮膚が赤く爛れ、眼窩から真っ白な液が漏れだす。

(三段階目。肉体そのものの変化。こうなる前に、仕留めておきたかったんだけどな)

 残る四発を一気に吐き出し、恢は新しい銃を取り出すために紅蓮の火球を展開する。

 彼のように、理性と人間としての形を失わずに戦えることは〝僥倖〟なのだ。人間一人につき、魂は一つ。それが絶対法則。だが、そこへ、人外たる悪魔の力が注がれるのだ。半端な覚悟では、容易く人間の形は崩れ去ってしまう。どんなに高く積み上げた砂の城も、バケツで水をかければ瞬く間に崩壊するように。

 格式と厳粛を重んじるドイツが誇る銃器メーカー、H&K社のUSP。

 革新的技術を求め続けたH&K社が原点に立ち返り、既存技術を集大成させた自動式拳銃である。銃身の底部にはレーザーサイト等のオプションが付けられるレールが施されており、操作性が高い。フレームはグロック17等と同じ、プラスチック製だ。そのお陰で、全長が約百九十四ミリに対して重量はわずかに約七百七十グラム。金属製には不可能な軽さを実現している。使用するのは九ミリ・パラベラム弾。装弾数は十五プラス一。側面の刻印が鈍く光る。

 H&K社の拳銃に、敗北は許されない。鉄と血の掟に縛られた国は、母国を害する敵に容赦はしない。そして今は、彼のために九ミリの牙を振るうのだ。

 恢は引き金に指をかけ、真横に跳ぶ。元立っていた場所へと、黄色の波長を帯びた光の刃が飛来したからだ。砂利がクラッカーのように弾け飛び、斬撃の尾となって引いた。先程よりも数段、威力が上がっている。あれなら、鋼鉄だろうが切り裂くだろう。悪魔にとって、憑いた人間の〝身体〟は力を抑制する檻であり、邪魔でしかない。ならば、話はシンプルだ。人間の枠を外せば済む。どんどん異形に成り果てるのだ。さらに、光質な刃が飛ぶ。いや、もはや星々の光を束ねた強弓か。十重二十重と飛び交い、男を狙う。光の矢の一部はゴミ山に着弾し、レーザーのように焼き焦がしながら貫徹する。火事にでもなれば、大事だった。

 九ミリ・パラベラム弾。系統は、トリトン社のクイックショック。三つの鉛を銅合金で被甲したハイテク・ブレッドだ。体内で三つに分かれ、肉を切り裂く剣呑な性能である。

 USP――汎用自動式拳銃の名は伊達ではない。恢は回避を続けながら発砲する。乾いたリズムが三つ、大気を割った。やはり、低級か。悪魔憑きの女は回避などろくにとらず、腕と足を撃たれる。

 しかし、大きな変化があった。三八スペシャル弾で開いた腹部の穴も含め、急速に自己再生していくのだ。まるで、ビデオを逆再生したかのように。

「おいおい、冗談はよしてくれ。長引かせるのは、趣味じゃねえんだ」

 光の矢はあくまで直線だった。それも、発射時に起点となる光を強めるせいで、タイミングが計りやすい。それでも、普通の人間ならば五秒で蜂の巣だ。悪魔憑きとしての、文字通り超人たる能力だからこそ、可能とする動きだった。煙草は吸ったままでも、余裕はあまりない。

 いくら街の隅っこだろうが、騒ぎがでかくなれば自然と気付かれるものだ。人が集まる前に、とっとと始末をつけなければいけない。

「――制約解除。起動術式は『骸童子の蒐集義体ボーン・ユニバーサル・フレーム』。第二階位の解放を告げる。生憎と、手前の御遊びに構っている時間はない」

 左腕をだらりと下げ、右腕は〝三本〟に増えた。紅蓮の火球が三つ展開される。

 回転式拳銃のスタームルガー、ブラックホーク。コルト社の名銃、シングルアクション・アーミーのコピーでありながら、三五七マグナム弾の威力に耐えるよう各部強化された優等生。

 同じく回転式拳銃のコルト、アナコンダ。四四マグナム弾用の大型で、蛇シリーズの血統を受け継ぐ暴君。ステンレスフレームの銀にも似た輝きが眩しくも冷たく周りの空気を清める。

 自動式拳銃のベレッタM8000〝クーガー〟。発砲の際の排莢時、銃身が傾かないロータリー・バレル方式が採用され、命中精度が高い。コンパクトながら実に頼もしい戦士である。

 荒鷲が羽を広げるように撃鉄を起こし、毒蛇が鎌首をもたげるように銃口を敵に向ける。そして、山猫が敵を残さず食らわんと叫ぶのだ。

 一丁の拳銃で足りなければどうするか?

 火力を増やせばいい。質も、量も全て!

「キメラの弾丸だ。大人しく、食らっておけ!!」

 星の矢は当たらず、敵に逃げるだけの能力はない。そして、恢は敵の攻撃を避けながら反撃するだけの力があった。その差は、圧倒的で、致命的だった。

 恢が一条の矢を回避する度に、三発以上の弾丸が敵の身体を大きく抉るのだ。三五七マグナムの徹甲弾が容赦なく貫き、四四マグナムのホローポイントが確実に命を削ぎ、九ミリパラベラム弾が手加減知らずに撃つ、撃つ、撃つ。

 だんだんと、恢の顔から表情が抜け落ちる。敵を殺す瞬間は最悪だ。もしも、この人がちゃんと〝人間〟として生きられたらどんな人生が待っているのだろうかと想像してしまうからだ。

 美しい女性だ。恋人がいたかもしれない。親しい友がいたかもしれない。自分の趣味に誇りを持っていたかもしれない。何か、大きな夢を持っていたかもしれない。全てはもう手遅れなのだ。罪悪感が胸の奥で痛みを生み出す。それさえも忘れないと、今、この瞬間だけは心の温度を下げなければ、自分が自分で無くなってしまいそうで〝怖い〟のだ。

 このまま押し切れる。そう確信した時だった。恢の右腕に〝何か〟が絡み付く。それは、鋼鉄の鎖だった。ゴミ山の中から伸びたとしか言いようがない鋼鉄の束縛が、男の動きを阻害する。とうとう下半身を蜘蛛のように八本の節足で満たした女の悪魔憑きが〝嗤った〟。

 無数の星の光が集約し、槍へと鍛え上げられる。恢はアナコンダ以外の拳銃を捨て、二本の骨腕で鋼鉄の鎖を引き千切った。その間に、女は力をさらに高め、煮詰めていく。避けられるようなタイミングではなかった。掃討屋の右手はアナコンダを強く握り、固く奥歯を噛む。

 恢も〝わらった〟。きっと、女と似たような笑みを浮かべていた。

「我慢比べといこうじゃねえか」

 そして、

 ――発砲。骨の芯に響く反動。四四マグナムの退魔弾頭が化け物の腹部へと大穴を穿った。

 ――咆哮。腹の底に響く衝撃。蜘蛛の化け物が放った星の槍が恢の腹部へと大穴を穿った。

 喉奥から血が逆流し、鉄錆の味と臭いが口内を満たす。恢は獰猛な笑みを浮かべて歯を食い縛り、その回転式弾倉に残った弾丸を全て吐き出しながら移動、接近する。化け物が、近付く獲物の愚かさをせせら笑い、大量の矢を放った。だが、浅慮だったのは女の方だ。彼はまだ、実力の半分も出していなかったのだから。

「――制約解除。起動術式は『武装翁の覇導鎧ガビィダ・シルバースキン』。第四階位の解放を告げる!!」

 トレンチコートが変貌する。色は黒から白銀へ。化学繊維が堅牢な板金へと変化する。まるで、中世の西洋で活躍した鎧のように。されど、重さは知らず、疾走は止まらない。

 星の矢が尽く直撃するも、全ては火花を散らすだけ。魔人の鎧が下級悪魔の攻撃を完全に防ぎきった。そして、なおも恢は加速する。その姿は地上を滑る流星だった。

 右手が紅蓮の火球から引き抜いたのは、ボルト式回転式拳銃〝ドミネーター〟。口径は二二三レミントン。突撃銃に標準採用されている五・五六ミリ×四五弾であり、三〇八ウィンチェスターと比べれば、威力はワンランク下がる。もっとも、それでも九パラの三倍以上のエネルギーだ。銃口を突き出し、女の口内へと捩じり込んだ。

 花弁を散らすように『武装翁の覇導鎧ガビィダ・シルバースキン』がコートから剥がれ落ちる。白銀の粒子へと変わる様子はまるで星屑の乱舞。恢は一瞬だけ、苦渋で顔を歪め、鬼の眼光で引き金を絞る。拳銃弾とは比べ物にならない銃声が雲一つない真昼の空へ轟雷の音を散らした。化け物の頭部が、火薬が仕込まれた西瓜のように四散する。

 鼓膜を震わすものは全て消えた。恢は新しい煙草を咥え、ドミネーターを投げ捨てる。左腕には力を入れず、振り返らずに敵を睨みつけるのだ。

「随分と卑怯な真似をするな。……まあ、俺も人のことを言えたわけじゃない。だから、さっさと姿を見せてくれ。それとも、ここに地獄の亡者でも集めてやろうか?」

 ゴミ山の陰から、二人分の人影が現れた。どちらも黒いスーツを纏っている。恢から見て右手側が、知的なイメージで眼鏡をかけている男。左手側が、可愛いながらも気が荒そうな少女。どちらとも面識はない。少なくとも、友好的ではないだろう。纏う空気は濁っていた。レミリアには絶対に近付けたくない邪気を孕んだ空気だった。掃討屋の警戒に対し、まずは細身の男から名乗りを上げたのだ。

「僕はレイド。そして、こちらがライラ。単刀直入に言いますけど、レミリアを今直ぐ渡してくれませんか?」

 恢は一秒も迷わなかった。

「分かった。死ね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る