第二章 ◇


 問題は山積みだった。身の安全は確保されておらず、敵の正体は未だに行方不明。敵の行動理由も不明となれば、どんな危機が迫っているのかも不明だ。不明だらけ、疑問符のオンパレード。だから、レミリアは、手始めに目の前の問題を片付けることにした。頭に三角巾を被り、マスクを嵌め、スイッチを押す。ゴォゥウウウウと勢い良くモーターを回すのは掃除機。尻から生温い風を吐き出しながら、豪快に床のゴミを吸い取っていく。

「ねえ、恢。そっちに立ったままだと、ものすごーく邪魔だから、隅に寄ってくれる? もう、男の独り暮らしに期待した私が馬鹿だったわ。なにが『それなりに掃除してる』よ。嘘はつかないの」

 恢の部屋、洋室の方である。板張りの床に敷かれたカーペットへと掃除機をかけるレミリアの様子に、恢は猛烈な気恥ずかしさを覚えたらしく、とても居心地が悪そうだった。

 ソフィアと対峙した翌日、レミリアは恢の部屋を掃除することにしたのだ。一人暮らしの男が綺麗にしたと思っている部屋の様子は、彼女にとってレッドゾーンだったからだ。敷いたままの布団がベランダに干され、テーブルの上に並べられた空き缶が片付けられる。ゴミ袋が用意されてドンドンとゴミが押し込まれていく。実に、手慣れた様子である。

 掃除をしながら、レミリアは心中で盛大な自己嫌悪に陥っていた。

 恢の部屋を訪れた初日、部屋の汚さに全く気が付けなかった。それはつまり、それだけ周りが見えていなかったのだ。極度の緊張と不安が、少女の視界を狭くしていたのだ。

 不安な心を誤魔化すために、急に部屋の掃除を始めるパターンが人間にはある。レミリアは恢が邪魔をしないように逐一観察しながら掃除機をかけるのだった。

 煙草も吸えず、酒も飲めず、ただただ立っているだけの大男・恢。何故だろう。そんな彼が可愛くて面白いと感じてしまうレミリアだった。

「レミリアちゃんって、随分と掃除が得意なんだな。最近の子はしっかりしているんだな。……あの、ごめんな。部屋が汚くて」

「これぐらい、別にいいわよ。これから当分、私もここで住むんだから。家賃代わりに家事ぐらいするわ」

 掃除機の音が五月蠅いから、自然と二人の声は大きくなっていた。いつもなら、耳障りだと、煩わしいと思うかもしれない。ただ、今日はそれほど、悪い気分ではなかった。恢は素直に部屋の隅によって壁に背中を預けていた。まるで、親に叱られた子供のように。そんな様子に、背中が妙にゾクゾクする。あれだけの力を持つ彼が、自分の言うことを聞いている。それだけで、なんだか胸がざわつくのだ。

「あの~、ところでレミリアちゃん。俺、今日の昼頃からちょっと用事があるんだけど。その間はレミィの店で留守番してて貰えるかな?」

「レミィさんの所に? 別に良いけど、お昼御飯はどうするの? あ、私が作ろうか」

「え? いや、外で食べるから別に」

 そう言い淀む恢へと、レミリアがわざとらしく声のトーンを落としたのだった。

 ちなみに、少女の今日の服装は白いブラウスに青色のスカートである。シンプルだからこそ、彼女の魅力が際立った。『この服、どうかしら?』と恢の前で一回転すると、男は口元を手で押さえて『まあ、いいんじゃないか?』と頷いた。その言葉に、どれだけの意味が込められているか少女は四割も理解出来ていない。ただ、ある意味で〝正解〟だったのだ。

「恢は、私が作る料理なんて食べれないって言うの? 昨日の夜も、今日の朝も、あんなに喜んでくれたのに」

 愁いを帯びた瞳に射抜かれ、恢が言葉を失う。先程よりも力強くブンブンと首を縦に振ったのだ。

「分かった。分かったよ。だから、ねえ、ちょっと泣かないでよレミリアちゃん!?」

 大の男が慌てる様子に、レミリアは嗜虐心にも似た〝興奮〟を覚えるのだった。

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