第一章 ②


 魔法、魔術と呼ばれる異能とは、神や精霊の奇跡を人間が模倣した欠陥品に過ぎない。それでも、中には現代科学を越える力を持つモノも存在する。異能の発動媒体を『魔女の道具』と呼び、時折、ろくに使い方を知らない馬鹿が魔力を暴走させて事件を起こしてしまう。


「普通は、使用者がいないと発動しないもんだが、抜け道はいくらでもあるものさ」


 語りつつ、恢は『女帝の闇宮リリス・ハート』を展開する。


 炎の球体は、彼へと異能の力を与えるのだ。


 今度は四五ACPを扱う自動式拳銃、パラオードナンスLDA。側面の手動安全装置を解き、グリップを握ることでグリップセーフティも解除する。


 立て続けに四発発砲。内部の特殊機構により、撃鉄を起こさずとも引き金は軽かった。

 狭い廊下に亜音速独特の伸びが悪い銃声が響き渡る。


 壁や天井を蹴るように肉薄してきた猿型の魔物が四匹、等しく頭部を撃たれて絶命する。四五口径のシルバーチップを受けて、下位の魔物が無事で済むはずがない。


 ダブル・カーラム搭載の太いグリップを握り直し、恢は廊下の向こうを睨みつける。廃ビルの内部は、コンクリートが剥き出しで荒れ果てていた。数十年以上も放置されていたせいもあるだろう。しかし、今、新しい傷を増やしているのは彼のせいだった。


 ろくな光源などなくとも、恢の双眸は昼間同然に周囲を見渡せる。ゆえに、その動きに淀みなどない。男はグリップを両手で握り、廊下の向こう側を睨みつける。額に角が生えた猪のような化け物が突進してきたのだ。毛皮ではなく、頑丈そうな鱗を纏っている。


 真っ直ぐに近付く怪物へと恢は迅速に二発撃った。赤黒い眼球を撃ち抜き、視界を奪う。獰猛なうなり声を上げた怪物が進行方向を逸らし、壁を削りながら動きを鈍らせる。さらに二発。今度は綺麗に両前脚を吹っ飛ばした。二度、三度、前転して魔物は動きを止めてしまう。


 無防備な魔物の腹へと、残りの銃弾を叩き込む。豚のような悲鳴を上げ、化け物は動かなくなった。大きな鼻から脳漿と血が混ざって滴り落ちる。恢は色を失った拳銃を投げ捨て、両手を何度か開閉する。銃の発砲とはすなわち、銃弾が持つ反動に耐える行為だ。グリップから伝わる衝撃は握力を削り取る。筋肉の緊張を解すためにも、適度なマッサージが重要だ。


 一本線の廊下。壁、床、天井には無数の穴が開いている。その九割が恢のせいだった。男は欠伸を噛み潰しつつ、紅蓮の火球を展開した。


 異能『女帝の闇宮リリス・ハート』による銃器召喚。されど、その力はあくまで〝召喚〟に過ぎない。


 戦場の動きを、色を、熱を。分析し、解析し、透析し、限定的な未来を検出。問われるのは一つ『今、もっとも有効的な銃器とは何か?』。


 汎用性があり、小回りの利く拳銃か。


 至近距離での戦いでこそ真価を見せる散弾銃か。


 機動力と火力を兼ね揃え、敵を猛追する突撃銃か。


 一撃で決める圧倒的な破壊力に長けた対物狙撃小銃か。


 広範囲へと莫大な量と質の弾丸を撒き散らす重機関銃か。


 あるいは、それら全てを超越する一点に強化された特殊銃器か。


 銃を引き抜き、恢は薄く笑ったのだ。彼が召喚したのは、短機関銃でも突撃銃でも、ましてや重機関銃でもない。それは、個人防御用火器パーソナル・ディフェンス・ウェポンであるベルギーのFN社が開発したP90であった。突撃銃の火力と短機関銃の小回りを要求された新時代の銃器。


 その形は長方形の箱型で、グリップらしいグリップがなく、どうみても銃とは思いにくい。だが、人間工学に基づいた持ちやすい設計である。


 恢は手早くセミからフルオートに切り替えた。


 前方、左手側、約二十五メートル先で突如、壁が破壊された。中から瓦礫の破片を破って現れたのは、ゴリラにも似た魔物だった。しかし、似ているのは輪郭だけだった。


 本物のゴリラは腕が六本も生えていないし、顔に蜘蛛のような複眼もない。軽自動車よりも遥かに大きな体躯なのだ。口内は牙ではなく、鑢のような歯がびっしりと生えている。齧られれば、丹念に擂り潰してくれるだろう。


 六本の腕を振り回し、周囲の壁を殴る。老朽化しているとはいえ、鉄筋コンクリートの塊が豆腐のように脆くも崩れた。複眼が恢を捉える。雄叫びを上げながら迫るのだ。瞬時に発砲、軽く鋭い銃声が連鎖し、魔弾が次々と魔物へと突き刺さる。横に並んで装填された弾薬が直角に曲がりながら薬室に吸い込まれ、銃の真下にある排莢口から、雨のように真鍮の空薬莢が吐き出されていく。手に吸いつくように馴染むグリップが、標的への狙いを煩わせない。


 重心が後方にある小口径高速タイプの五・七×二八ミリ弾は分厚い毛皮を貫き、内部で回転し、そのまま留まる。退魔の力が外へ逃げず、内部へと残る。それはつまり、魔物にとっては猛毒が体内に溜まっていく絶望に他ならない。


 しかし、それでも止めきれない。ほぼ一瞬で弾薬が切れてしまう。魔物は穴だらけになったワイン樽のようになっても、こちらへと肉薄することを選んだ。湿った足音が近付いて来る。


 右手が開いた恢は、腰のホルスターから大振りのナイフを引き抜いた。打ち鍛えられた鋼鉄の戦意は刃渡り二十五センチ、片刃で肉厚の実戦重視だ。腰だめに構え、地面を蹴る。自分自身を砲弾に変えた突貫。六本の腕、その内側、胸元へと跳び込み、一突き。


 銃撃では感じられない感触。腕からダイレクトに伝わる肉の弾力に、恢は顔を顰めた。歯を食い縛り、そのまま押す。五百キロ以上はあるだろう巨体が後方へと戻る。


「けっ。この馬鹿力が。……だが、あんまり俺をなめるなよ?」


 怪物へと、恢は力勝負を選んだ。


 一段、男の筋肉が膨れ上がった。


 呼気は爆発し、気合いを乗せる。


「ぉおおおおおおおおおおっ!!」


 悪鬼の剛力が魔物を凌駕する。刃が筋繊維を千切り、骨を削る。抱擁するように化け物の腕が閉じられる瞬間、手首を捻り、ナイフを引き抜く。腰を捻り、右脚が浮く。魔物の腹部へと、渾身の蹴りが突き刺さった。


 巨体が、見えない巨人の拳にでも殴られたかのように撥ね飛んだ。壁に激突し、廃ビル全体が荒々しく震える。蜘蛛の巣のような放射状の亀裂の中心で、命が一つ、闇へと戻った。

 簡易とはいえ『魔女の道具』であるナイフの刃先が欠けてしまう。恢は刃をホルスターに戻した。左手で右腕の手首を掴み〝軽く〟握る。バキバキと小枝が折れるような音が鳴り、ようやくスッキリした。ずれた関節が整ってくれたのだ。 

 

「魔物のバーゲンセールだな。それとも、売れ残りが放置プレイされているワゴンか? ちっ。ようやく三階か。屋上までまだ半分かよ。おい、レミリア。このまま真っ直ぐで正解か?」


「はあはあはあ……。そ、そうよ。はあ、ところで、あんた、少しはこっちの身になりなさいよ。休憩、休憩させなさい! このままだと、心臓と肺が破裂しちゃうわ」


 ドレスを汗でべっとりと濡らし、レミリアが顔を真っ赤にして胸郭を上下させる。一方、煙草を吸っている恢は息一つ乱していない。男はお代わりに抜いた二丁目のパラオードナンスLDAの調子を確かめつつ、何本目か忘れた煙草を咥える。


「なんだ。魔人の割に体力は見た目通りか?」


「あんたみたいな規格外と一緒にしないで!」


 短時間で随分と〝砕けた〟関係になった。喜ぶべきか。それとも、大人の威厳が足りないことに嘆くべきか。


「屋上にあるんだろう? だったら、早く行かないと」


「分かってるわよ。ああ、もう、女のエスコートが苦手なのね、貴方って! デートで呆れられるタイプよ、貴方って」


 言い様に言われ、恢は何も言い返せない。子供の機嫌を損ねるのは危ないと判断したのが半分の理由。もう半分の理由は『全く以ってその通りです』と、ぐうの音も出なかったのだ。

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